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-------- 婆ちゃんと銀太郎 ------- ------- Short Story --------

 第一話  プロローグ

「暑い」いや「熱い」夏はまだ収まらない。
あと一週間は30度超えが続くらしい。
でもまあ、今年は何とか生き延びられた。
しかし来年の夏は生きているのか、または、と思う。

今年の夏は「熱死」の二文字がまんざら冗談でもなくなった。
去年まではそんなことは考えもしなかったのに。
夏の終わりを前にして、中国を襲った台風「ヤギ」は海南島方面に大被害をもたらした。
夏が狂い始めていることは確かなようだ。

 婆ちゃんが庭で洗濯物を干している。
乾燥機もあるが、あるだけで使わない。
洗濯物の乾燥は自然に任せて外で、陽の光で、風で、乾燥させる、それが婆ちゃん流の生き方だ。

乾燥器で乾かしたモノと、自然に乾かしたモノ、どちらが衛生的でかつ健康的か。
意見は別れるだろうが、わたくし的には自然乾燥に軍配を上げる。
たとえ町中であっても、だ。

だがマンション全盛のいまでは中々そうはいかない。
そもそも高層マンションにベランダは無く、干そうにも干すところがない。
庭のように足元には土さえ無い。
周りは総てコンクリートだ。

『ああいうところで子どもを育てていいのかね、土を知らない子ども、風も知らない子ども、その結果はいつか出てくるだろうけど、そのときは遅いかもしれない』と婆ちゃんは以前テレビに向かって言っていた。
それは人間だけではなく、動物も同じだ。

 かくいうわたしはこの婆ちゃんの家の飼い猫である。
名を「銀太郎」という。
夏目漱石が著した名作「吾輩は猫である」にも猫が登場する。
あちらを本家とすれば、こちらは分家のそのまた分家のまた分家程度だ。

でも、でもだ、この分分分家は並の分家ではない。
本家には及びもせぬ異能を持っているのだ。
それは何か、みずからの歳もわからぬほどの長生きをしているのも、その一つである。
加えて、いつ死ぬのか、それさえもわからない。

 東京の隅のそのまた隅の古びた一軒家が婆ちゃんの家であり、わたしの住まいだ。
古びた、というよりも江戸時代そのまんまのような家ではあるが。

表には堂々とした門があり庭も広く、小さいが池もある。
築後何年経つのか、専門家は四百年以上というから関ヶ原の乱より少し前くらいらしい。
徳川幕府が出来る前だから相当なもんだ。

ただ古くても固定資産税はかかってくる。
家の住人は婆ちゃんだけだが、婆ちゃんにこれといった仕事はなく、どうやって税金を払っているのか、わたしにはわからない。
さりとて都の役人が来たことも無く、税金の督促状が来たこともない。

亭主が亡くなって遺産はあったらしいが、それと自分の年金だけでこの家を守り、税金も払うのは大変だろう。
だが婆ちゃんを見ているとそんな苦労は感じない。
いつもひょうひょうとしいて悠然と構えている。

わたしの餌も途切れたこともなく、肉が無くなったこともない。
たまに猫用のペットフードが混じるが、経済的というよりも栄養の面で気にしてくれているようだ。
婆ちゃんが着ているモノも並みのモノで特に安物でもない。

古着が好きで、いいモノを見つけて帰ってきたときは機嫌もいい。
「アンタこれなんぼと思う? 1200円だよ」
とこの前も猫のわたしに向かって喜んでいた。
婆ちゃんが金のことで悩んでいる姿も見たことがない。

どうなってんのかな、と猫は猫で考える。
考えてみれば、うちの婆ちゃんは確かに普通の婆ちゃんとはひと味違う。
人のようであって人ではないのだ。
わかってもらえるかな、人とはどこか違うのだ。

 わたしが拾われてここへ来てからすでに四十年が経つ。
だが婆ちゃんはあのときから婆ちゃんだった。
その後いまにいたるもそれ以上の歳は取りもせず、あのときとまったく同じ婆ちゃんだ。

整形? とんでもない。
そんなことは婆ちゃんは大嫌いだ。
”あるがままを愛する”、というのがわたしの婆ちゃん観だ。
テレビで韓流の整形女を見ると画面に向かって「ペッ」と唾を吐く真似をするほどだから”つくられたものへの抵抗感”は相当なものだ。

だからウソをつく奴も、人を騙す奴も大嫌い。
ときたまだが、テレビを見てて目が光ることがある。
それも青白くだ。
やはりというか、婆ちゃんは人間とは思えないが、見た目は確かに人間だ。

額のシワ、首のシワ、迷路のような指のシワ、顔の皮のたるみ、風呂上りに見る怪奇というか怪異のような裸。
へそまで垂れ下がった乳房にしがみついている干し葡萄のような乳首もみんな最初に会ったときのまま。

あれから四十年、なのにそれ以上に歳を取らないし変りもしない。
風邪もひかない、足腰も丈夫、眼鏡もかけず、声も変わらず、たまにする放屁も適当に臭い。
なんで歳を取らないのか、不思議でしょうがない。

年寄りは臭いのはずなのに、臭くない。
いわゆる加齢臭なんか無いのだ。
猫のわたしが言うのだから間違いない。
いまの婆ちゃんの匂いは間違いなく壮年女子の匂いだ。

身体は古いのに臭いすらない。
風呂上りにはなぜかお香のような匂いすらする。
裸の婆ちゃんの足元に身を寄せると気分が薄れるくらいにいい気分になる。
この婆ちゃん、人間に似せた何かの化身かもと思うことがある。

 だがそういうわたし銀太郎も、婆ちゃんに言わせれば何かの化身のように見えるらしい。
この前も言ってた。

「お前、銀太郎も歳を取らんなァ、拾ったときも何か普通の猫と違った。見ただけで年寄りであまりに可哀そうじゃと思うたが、頭をさすってやるとどこか普通の猫と違う。どうするか考えたが、拾って良かった。
お前もわしと同じで歳を取らん。

四十年後のいまも互いに元気じゃ。ともにあのときと全く同じで歳を取らん。
並みの猫ならとっくに死んでおるが、お前は死なん・・・不思議じゃ。

いまも床下や天井に入ってはネズミを獲るし、ときたま青大将まで獲りよる。野良犬が庭にでも入ってきたら毛を逆立てて唸りよるし、夜中に誰か入ってこようものなら飛び掛かっていきよるし。
なあ銀太郎よ、お前一体何者なんじゃ、並の猫ではあるまい。やはり何かの化身ではないのか」

だが、わたしにも、わたしはわからない。

そう言う婆ちゃんも並みの人間ではなく、何かの化身のようだ。
亡くなった亭主もそうだった。
しばらくして亭主が並みの人間ではなかったことに気づいたが、やはり婆ちゃんもそうなのだろう。

わたしこと銀太郎も確かに古いようだ。
いまに至るも自分の歳はわからない。
だが何か関係があるのか、物心がついて最初の記憶はわたしが飼われていた前の前らしい家でのことしか思い出せない。

その家のことは飼い主もその名前も場所もなぜか記憶にない。
婆ちゃんに飼われる前の前あたりの飼い主の家で、訪れてきた客が酒を飲みながら主人に話していた記憶だ。
客と主人は、ともに徴兵された経験があり、そろって大陸に従軍した過去があった。

聞いた話だが、とその客が主人に言った。
『都内の下町を徴兵された出征兵士たちが日の丸の旗の波の中を行進していた。
みんな半年前までは一般人だ。
役人もいれば会社員もいるし、教師もいれば大工も左官も米屋も坊主もいる。

みんな徴兵されて軍服を着せられ軍隊で殴られながら兵隊になり、ある日、出動命令が出た。
行く先は秘密だが船に乗っていくという。

だが当時すでに日本海軍にはまともな軍艦は残っておらず、商船も徴用されて南洋や日本海で片っ端から米軍に沈められていた。
「満足な船があるんかい」
という大方の不安な声は当たった。

岸壁に行ってみると出征兵士を乗せる船はスピードも出そうにないボロ船だった。
だが乗らないことは許されない。
徴兵された元都民たちは船に乗せられ、万歳の歓呼の中、船は真っ黒い煙を上げながら岸壁を離れた。

もう戦争も負け続けていたころだ、
軍部は退却を転戦と言い換えて誤魔化し、1万メートル上空を飛んでいく米軍の爆撃機Bー29に向かって女子学生たちが竹槍で突くようなことをさせられていたころだ。

この船の船員たちも軍人ではなく、徴用された一般の船長や船員ばかり。
なのに守ってくれる軍艦も無いまま、単船で東京湾を出ていった。
湾外で他の船と合流すると言われていたが、その合流する船団にもまともな軍艦は無かった。

潜水艦相手ですら、まともに戦えもしない7、800トンくらいの古い海防艦が二隻いただけだ。
みなが暗澹たる気持ちになったが、どうしようもない。
そして船員たちは東京湾外に出たときから遠くに潜望鏡が見えることを知っていた。

米軍の潜水艦の潜望鏡だ。
すでに日本の沿岸そのものが最前線になっていた。
潜望鏡のことは噂にもなり、望遠鏡を持っている陸軍将校たちもそれを知っていた。

米軍の潜水艦から見れば丸腰の船団そのもので、いつでも沈められるとバカにされていたらしい。
その後その潜望鏡は二日にわたって船団を追い、三日目には潜望鏡の数が一気に増えた。

どうやら仲間の潜水艦を集め、まとめて一斉に沈めるつもりだったようだ。
こうなると日本軍の将兵には地獄だが米軍には祭りでありイベントだった。それほど米軍は余裕があり、日本海軍にはもう何も無かった。
徴兵された兵士は魚の餌になるために出征していったようなものだ。

案の定、あくる日には潜水艦からの集中雷撃を受け、船団はほぼ全滅した。
海上に浮いた無数の出征兵士は、浮いてきた米軍の潜水艦の乗員によって射的代わりにされて海を真っ赤に染めた。
生かせていても助かる見込みはなく、サメに食われるか溺死するだけだと後に潜水艦の艦長は言ったらしい。

あのとき、空を見上げてもゼロ戦どころか、日本軍の飛行機はどこにもいなかった。
日本軍の特に陸軍の幹部は徴兵された兵士を人とも思ってなかったのだ。
軍部は、最後には国を要塞化し国民を死滅させるようなことまで本気で考えていた。

ひどい時代だったが、いまの政治家がそれを反面教師にして国を守っているとは思えない。
戦争は向こうからもやってくる。
こっちから行くだけではないのだが、一部の者にはそれすら理解できない。

あの時代を批判する者も多いが、さりとてやってることは当時の陸軍と同じだ。
彼らは思い込むと途端に視野狭窄になって客観的なことが考えられなくなる。
それも自分では考えずに誰かの意見に流されるのだ。
日本の行く末を思うと、あのときと同じ気持ちにさせられるよ』

とまあ、あんときのわたしの飼い主が客と酒を飲みながら話していたことだ。
輸送船の悲劇は客も人づてに聞いた話らしく、どこまで本当かはわからない。
だが、まあまんざらウソでもあるまい。

話しがそれたが、あれからもう80年になる。
あのときわたくし銀太郎はすでに大人だったのに、だったのに、なぜか猫であるわたくし銀太郎は老猫にもならず、いまも元気だ。
わたしの歳はいくつなのか、もう永遠にわからない。

何よりも困るのは、いつ死ぬかすらわからないことだ。
寝込んで段々とあの世が近くなるなら覚悟もできるが、いつあの世に逝くのか、いまこのときもわからない。
婆ちゃんも元気なら猫のわたし銀太郎も元気だ。
一人と一匹、そろってやはり何かの化身なのかと思ってしまう。

家も古くて雨漏りもあるが、ちゃんと建っている。
家さえも尋常ではない気がする。
普通の生活なら特に不便も無い。
家の補修のセールスマンがよくやってくる。

だが、そのたんびに婆ちゃんは返り討ちにしている。
森羅万象、家の事も並みの大工よりも詳しく素人のようなセールスマンには太刀打ちできないほど婆ちゃんの知識は百科事典並みだ。
それ以外にも色んなセールスマンや訪問販売員がやってくるが、攻められたら攻め返すのが婆ちゃんだ。

婆ちゃんのモットーは「やられたらやり返せ」だ。
ときには怖くなって相手が警察を呼んだこともあるし、涙ぐむほど相手をとっちめることもある。
この婆ちゃん、一体何者なのか、横にいるわたくし銀太郎にすらわからない。

前置きが長くなったが、このおかしな婆ちゃんとわたくし銀太郎でこのお話しが進む。
ああそう、わたしの名前の銀太郎について。
わたしの名前の銀太郎は元々婆ちゃんの亭主の名前だ。

わたしが拾われてここに来たとき、名前をどうするか婆ちゃんは亭主に聞いた。
すると亭主は
「そんな野良猫、何でもええ、おまえ考えろ」
て答えた。

これが腹立たしかったのか、婆ちゃんはわたしにひっそりと言った。
「あんた、いまから名前は銀太郎だからね」
そのときは
「銀太郎かカッコええな、気に入った。猫の銀太郎か、うん、ええな。ありがとう婆ちゃん」
とわたしは思った。

その日の夜、晩飯のときに婆ちゃんが皿に餌をてんこ盛りにして出してくれながら言った。
「うちに来て初めての晩飯だよ、お食べ、銀太郎!」
とそのときだ、亭主が大声で怒鳴った。

「何だとォ・・銀太郎だとォ。替えろ、名前を替えろ」
と亭主は顔を真っ赤にした。
婆ちゃんは平気な顔で亭主の飯を茶碗によそおいながら言った。
「いやですよ、決めろと言ったのはアナタなんですから。もうこの子もその気ですよ」

「バカヤロー、亭主の名前を猫につけるやつがおるか!」
そのときわたしは銀太郎が亭主の名前だと知った。
そして婆ちゃんは平然と言った。
「この子は銀太郎です。さあ銀太郎やご飯をお食べ」

最初の晩飯はご飯と鮭のそぼろと鶏の皮の唐揚げという人間並みの扱いだった。
美味かった、本当に美味かった。
亭主、いや亭主の銀太郎は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

しかし亭主の銀太郎も知ってみればすごいもんだった。
名付けでは怒鳴ったものの、すぐに何も言わなくなった。
そして彼はわたしに対しては叩くことも叱ることさえもなく、それどころか、いつもわたしを可愛がってくれた。

「おい、銀太郎ちょっとこい」
なんて言いながらわたしとよく遊んでくれたものだ。
そして我が家には一人の銀太郎と一匹の銀太郎が同居してきた。
亭主の銀太郎も少しおかしかったと言っては怒られるかもしれないが、いややはりおかしかった。

月を見るのが好きで、なぜか新月のときは月が見えずふさぎ込んでいた。
一番に元気だったのは満月のときだった。
そしてそれを見たのも満月のときだった。
ある夜、満月に向かって背伸びしていた亭主の銀太郎。

その銀太郎の頭から二本の角が5、6センチズズッと伸びているのを見たときは腰が抜けるほどおどろいた。
後ろから見るに顔も変わっているようだったが、おそろしくて見れなかった。

この家の銀太郎と婆ちゃんは魔物かと思い、逃げようかもと思ったが、なぜか逃げようとすると身体が動かない。
普通に家を出たり庭に出たりするときは身体は自由に動くのだが、逃げようとすると身体が動かない。

しばらくの間は銀太郎と婆ちゃんが怖かったが、特に何もされることもなく、可愛がってくれるし、大事にしてくれる。
その後も亭主の銀太郎の角を何度もみたが、変わったこともなかった。
だが不幸は突然やってきた。

最近になってコロナが流行り、役所から知らせもあり、公民館でワクチンを打った。
婆ちゃんはよかったが、亭主の銀太郎は突然震え始め、高熱になり、そのままあの世に旅立った。

亡くなったとき、角が少し出ていたようだが、今どきの医者に角はわからず、ただの吹き出物とされて事なきを得た。
亡くなったのはワクチンのせいだとなったが、例によってうやむやになった。

亭主の銀太郎はいまは写真の額に収まってニッコリと笑いながら婆ちゃんとわたしを見下ろして守ってくれている。
でもしかし、満月の夜に亭主らしき影を見たこともある。
彼は額に収まっていても本当に死んだのか、どうもよくわからない。

 今日は熱さも暑さに変わり、昨日あたりよりも2度くらい下がっている。
少しづつ少しづつ秋に向かっているようだ。
いまの婆ちゃんの楽しみはやタブレットとネットだ。
だがそこはやはり昔の人、テレビだけは手放せないらしい。

新聞はとっくに解約している。
昨日か、ひどいときには一昨日の記事が今朝になって紙に印刷されて配達されてくる新聞。
その記事の内容もネットと比べると天地ほど違う。

公園に市民団体が集まり大盛況だ、という記事をネットで検索すると大盛況どころか、集まったのは年寄りばかりで三十人足らず、なんてことは日常茶飯事だ。
最初のころは我慢していたが、とうとう我慢もできなくなった。

新聞のでっち上げは昔からだったが、昔はそれがバレずに済んでいた。
だがネットの時代になり、ネットを見ていると新聞のウソやでっち上げや印象操作や扇動という読者を煽る記事の多さに気づき、嫌気が差してきたらしい。

そしてある日のこと婆ちゃんは新聞を配達するところに電話した。
「来月から新聞の購読はやめますから、よろしくね」
「エッ、なんで」
「もう読まない、バカバカしいから。朝に読むとさ、一日中不愉快なのよ。こんなもん金まで払って読めりゃしないわよ」

はっきり言うのが婆ちゃんだ。
相手は二の句もつげずに黙った。
本当なんだから反論もできない。
新聞販売店の主人でさえ新聞のウソには辟易していたのだ。

婆ちゃんの祖父の代から購読していたらしい新聞だが、だらだらと惰性で取っていたのだ。
『ああ、やれやれせいせいした。購読料も3500円から4000円に上がってさ、4000円も払ってなんでウソとでっち上げの記事を読まされなきゃならないのよ。自分たちの言い分と意見だけ記事にしてばらまく新聞なんか新聞じゃないわよ。

でも永いこと騙されたもんだ。慰謝料払えよ、このクソ新聞屋野郎』
なんて言ってた。

 だけどテレビはタダだし、リアルタイムでニュースはあるし、ということで家にある3台ともそのまんまだ。
わたしも婆ちゃんとよく一緒に見る。
でもこれもまたレベルが下がるばかり。

最近のテレビの番組の出来の悪さは猫のわたしが見ていても感じる。
ワイドショーていうのか、日曜の朝の番組に出てくる人間たちの人相の悪さと品性の無さは狂犬並みですらある。
その司会者も知性もなければ教養すらも感じさせない。

キャスターもコメンテーターも口から出てくる言葉は荒くて雑で偏り、それをまた出演者がみんなで口を合わせて囃し立てる。
元通信社の記者で何の実績も功績も無かったのに、怒声が大きく常識は無いというだけで、テレビの討論番組の司会をやっている老害もいる。

ずいぶん昔、テレビが日本中に流行り出したころ、評論家の大宅壮一てのが言ったらしい。
「テレビは『一億総白痴化』」
本当にそう思う。

だがこれは今となっては、視聴者ではなくテレビ局側の制作者と出演者が白痴化していることのように思える。
何よりもテレビの世界も外国人だらけになっている。
彼らに責任感や日本人の常識を求めても無意味なのだ。

 婆ちゃんはネットを見ながらテレビもつけてる。
テレビも新聞化が進んでいる。
テレビが、多いというと少ない、少ないと言うと多い、人気があるというと不人気、不人気だと言うと人気がある、というように婆ちゃんは逆に捉えている。

「なんだ、このキャスター、てめえの思うようにゲストに言わせたいのかい、ええ加減にしなよ」
新聞購読を止めてもテレビもやっぱり同様だ。
婆ちゃんのストレスは増える一方だ。

 そんなとき始まった。
与党自民党の総裁選だ。
圧倒的多数の自民党の総裁はそのまま首相に横すべりだ。
現首相岸田文雄氏の様子を見てみんなが思ったのだろう。

「この程度なら、オレだって、ワタシだって、首相がつとまるもーん」
おまけに同盟国アメリカのいまの相手はボケがウリのバイデン。
大統領選に立つハリスは困ったときは大口開けて大笑いして誤魔化すだけの口裂け女だ。

学歴だけは一流だが、最近のアメリカも学歴取ったら何も残らない、こういうのが増えている。
中国は経済危機で内政も破綻寸前、ウソしか言わない韓国も明日が見えない。

いまの日本なら誰がやっても首相が務まる、と思っている総裁選候補も多いのではないか。
日本よどこへ行く・・・

ーーーーー続くー


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