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オルタナティブスクールインターン日記

毎週私はとあるオルタナティブスクールに通っている。そこでの学びというか気づきというか日記を上げていくシリーズ第一弾。

🌸学習時間と休み時間を分ける。

学習時間や集団ミーティング?でだっこ、とか、座っている膝に乗ってくる。今までは受け入れてたけど今日高学年や中学部の子どもたちとの集団ミーティング中、スタッフの方が膝乗せをさせなかったし、その子たちが「椅子に座って」とか「椅子に座らんでも話は聞いといてな」「これはどう思うん?さっき言ってたけど」と伝えていた。
その光景を見て、私は低学年だからと言って甘えを受け入れていたと思った。
そのことを振り返りの時間にスタッフの人に話したら、甘えを受け入れてくれたという感覚は低学年の子にとって重要だが、学習時間は自分として参加してほしいから膝乗せは私も断ってるなと話してくださった。
膝乗せや普段のスタッフの方の子どもとの関わり方は、たとえ低学年の子だとしても子どもを一人の人間として接するという根幹を体現しているんだなと改めて思った。そういう風に関わってくれたら子どもがちゃんと話している姿をよく見るし、それは子どもに対するリスペクトだと思うし、それは子どもにも伝わってるだろう。だから高学年、中学部の子どもたちもそうやって低学年の子に関わったんだろう。怒ったりイライラする心情を伝えようとせず、その子の意志を確認しようとしながら伝えようとしていた。

🌸学びをデザインするということ


この学校は国語、算数はクラスの中で基本自分で机に向かい、学びを自分で進める。分からないことがあればスタッフに聞くのだ。
昨年はテキストを用いてテキストに沿って子どもが自分にあった学ぶペースを自分で決めていた。自分のペースで分かるところはすべてテキストをする必要はないし、分からないことがあったり、一人でできないことがあるときに一人でできるようになるためにスタッフの力を借りるのだ。
でもその中でスピードを競う姿が見えた。確かに速さも指標になるが、それは本当に学べているのだろうか。
今年に入り、そのクラスのスタイルががらっと変わっていた。クエストと題し、学びを自分のものにできたと言える目標、課題があり、それをクリアしていく。クリアするためにヒントとなる学びの手立てを参考にしながら自分で学習方略を選択していくというものだった。
私は卒論で自律的な学習について取り上げた。その中で「自律的な学習ができる能力ってね、自分一人で学びに向かうことができる力でも、学習方略(学習ストラテジー)のような学びを得るための手立てを沢山知っていることでもないんだよ。それは自律的な学習をするための能力の一つなんだけどそれが最中地点じゃない。最終地点は自分で自分の学びを管理、コントロールできる能力なんだよ。」というメッセージがあった。そのことを体現しているかのようだった。
様子を見ていると、クリアしたいクエストのためにどのような学習をすればよいかスタッフに聞いている姿や分からん…とぐでっとしている子の近くで手立てをそっとプレゼントしているスタッフの方の姿があった。
その時間の中で今日することを聞いたら伝えてくれたがあまり乗り気じゃない子に対してスタッフの方が目標設定を対話しながら適切なものに変えるお手伝いをされていた。ここでは自己決定が大事にされているけれど、あ、自分で決めたからなあと思って見守るだけじゃなくて、その子の学びのプロセスに関与する能力を伸ばすことがこの場面ではいいな、と思った。

🌸自分で自分のことを管理する力を育むために見守る


ここではチャイムはならない。皆次のクラスの時間が近づいてきたら自分で時計を見て移動する。今日は移動がギリギリだった子がいた。他のスタッフの方が「もう時間やで~」と言いそれに気づいた子に対して私はそれからしばらくして「あ、やばい、はよいかな!」と横で自分を言い聞かせるようにあおってしまっていた。でもその行為をしている自分に対して「それする必要ある?」と問うた。この子はそんなに急いでなかったけど、別にそんなに焦らせるような言葉を私がかける必要はあったんだろうか。クラスに多少遅れることよりも、時間を見て動くという気づきを得ることの方が大事じゃないのかな。自分で自分のことを管理する力をつけるための機会を妨げたと反省した。

🌸自分がやりたいことをやろうという力を育むために問う。

自分がやりたいことをやる、プロジェクトという時間がある。それは基本一人で行うが他の人と共同プロジェクトとしてすることも可能である。
他の子に刺激を受け、「私もあれやってみたい!」が生まれることがよくある。これはイエナプラン様様である。憧れは成長へとつながる。
でも、一緒にやりたいからと目的をはじめに持つより手段が先行してプロジェクトが共同となることがある。いいのだが、それは自分は本当にしたいことは何だろうと問う機会が失われるケースでもあり、結果うまくいかないことが多いそうだ。

毎週行かせてもらっているけど、なかなか自分の中で咀嚼しきれていない感覚があった。
それは確実に私自身のインプットが伴っていないことが一つの原因。
自分が行きたいから行っている。その学びに対して自分でマネジメントできるようになりたい。せっかくの機会いいものにしたい。
このnoteはそのための一つの手立て。片道の電車の中で書ききってしまう、そんなプチ階段。鮮度高くていいじゃない、後から「あ~こいつ多分こんなこと言いたいんやろうな~」って分かったらいいじゃないと開き直る。
来週はもっと分かりやすくかけたらいいな。

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