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本当は嫌いなのに続けている料理   中学高校編


病弱から丈夫な体にするため、スポーツの日々

喘息体質の長男は、季節の変わり目や風邪をひくとよく咳が止まらなくなった。小学校になってから入院することはなくなったが、喘息症状が起きると夜あまり眠れなかったり、たくさん薬を飲まなくてはいけないのが不憫だった。
長男の身体の調子が良い時に体力をつけさせたくて、空手や、夏休みや春休み期間の水泳、校内マラソンやマラソン大会に出るためにマラソン練習も行っていた。
そのために痩せた体で毎食のご飯はよく食べてくれた。
下の長女も、長男と同じスポーツをしてよく食べた。

嫌だけどどうしても必要だったから続けた

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私は相変わらず料理が嫌いだったが、子供達の試合遠征費、教育費、医療費、様々な費用で、いつも外食は出来ない。同じ値段で作る方がお腹いっぱい食べられる上に、むやみなカロリーオーバーが控えられる。
そして子供達の身体を大きくしたくて、体に良さそうなものをたくさん食べさせたくて、スーパーで割引商品を必死に探した。同じ値段でよりたくさん食べさせることが出来るから。

相変わらず品数をたくさん作ることができない。家にいる時間がご飯を作るだけで終わるのがどうしても我慢できない。
そこで私がよくやったのが、少ないおかずの野菜を多くしてボリュームを持たせたり、具だくさんの丼物にすることだった。
そしてスーパーの出来栄えをプラスしたり、簡単な味噌汁を作ったりして満足感を上げた。
それでもよその家のご飯の方が品数は多いようだが、気にせず無理をしないようにしていた。
一番大事なのは子供達のお腹を満たして、普段のスポーツ活動の疲れをとること。しかし私にとっては毎日がハードルの高いことだった。

爆発的な中学生の子供の食欲

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長男が中学生になって陸上部に入った。家から学校までの距離も長くなり、学校活動も忙しくなった。公立中学なので給食もあった。
長男を含む男子生徒は、体型を気にする女子生徒が残す給食をいつも引き受けていた。
長男は早生まれで、小学生の頃喘息がちだったせいか、同じ陸上部より背も低く、体重も40キロ台だったが誰にも負けないくらいよく食べた。
しかし陸上部の長距離の練習がハードで体重が増えなかった。
クラスメートから「家で何も食べさせてもらってないんじゃないの?」とからかわれたが、決してそんな事ない。
家でも相変わらず私の作る拙いご飯をよく食べてくれた。

家ではいつの間にか小腹が空いた用に、麺類、チーズ、豆乳などストックするようになった。
子供達は袋麵や、乾燥めんをおやつ代わりに自作するようになった。よっぽどスポーツで消費するのか、全然太らない。

子供達の学校給食の終焉

長男が中学3年になり、夏に部活を引退した。引退後、受験を理由に学校側から部活にすることを禁止された。
長男は現役より動かなくなる日々が増えた途端、背が急激に伸びた。
私より低かったのに、あっという間に見下ろされるようになった。
成長期の華奢な体にハードな部活動は、心身ともに相当ストレスだったのだろう。
長男は希望する学校へ進学し、入れ替わりに長女が中学生になった。
長女は空手の選手を続けるために私立の中学に入学した。
さて次の新学期からはいきなりダブル弁当作りになる。

長男・長女のダブル弁当作り

長男は実習を伴う専門的な勉強、長女は空手の選手としての成就。ともに進学後は大きな夢に向かって相当の頑張りが必要になる。
学校側の方針があるので、私は今までのように2人の子供の努力の並走が出来ない。
そして在学中は2人分の弁当が必要になるが、2人の頑張りを前に妙に腹が座った。なるだけ難しく考えないようにしよう。同じものを作るのだから、一人作るのも、二人作るのも同じはずだ。
なるだけ楽に考えよう。弁当作りが楽になる方法が何かあるはずだから。
そうじゃないと料理嫌いな私は続かない。

昨晩作って冷蔵庫がスタイル

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夕飯のおかず利用や卵焼きなど時間のかからないものは作り、ハンバーグや手の込んだ煮物はスーパーに売っている総菜を利用した。
総菜の、写真のような常温パックはかえって冷凍食品より使いやすい。
おかずは前の日の夜に作って、ラップして冷蔵庫へ。ご飯類は出かける朝に詰めた。

私は卵以外は面倒くさがってあまり手作りしないので、気が向いて簡単なものを手作りすると、子供達から「えー?これ作ったの?」と驚かれたものだ。
子供達はあえて「料理が苦手だから。」と言うと「うん、知ってる。」と返された。

長女は特に部活動での消費が多くて、弁当と一緒に市販のパンも一緒に食べていた。
長男は5年間、長女は6年間弁当を作り続けた。長男はあと2年間学校があったのだが、一人暮らしを始めたり、私が出稼ぎに行ったりしていたので、学校の昼ごはんは自分で用意したり学生食堂を利用したりしていた。

子供達が幼稚園だった頃、あれほど死ぬほど嫌だった弁当作り、よく続いたものだと自分でも思う。しかし今でもやっぱり弁当作りは好きになれない。

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