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忘じがたし想い出

井上靖さんの「孔子」を読んだ。

本についての感想は別に持ちたいと
思う。

この本は、亡くなった父が最晩年
絶えず携行していたものだった。


早いもので没後、26年となり
当時、30歳だったぼくは、とうとう
父と同じ歳に寄った。

遺品という訳ではないが、生きている人が
亡くなると、役所やら弔い事やらの
事務的な作業に没頭せざるを得ず
喪主という立場もあり、悲しむ暇が
なかったと言ってよい。


小さな骨壷となって、還ってきた
父を前にして、遺したものを整理して
いる時に、見つけた本だった。

本音を言うと、この本は26年間ずっと
読めなかった。

未だに、父はその姿を見せずとも
越えられない高い高い壁だ。

膂力で言えば、高校2年か3年辺りで
超えていたと思う。

動物の世界で言えば、若い雄が、年の
寄った雄を駆逐するのだろう。

読めなかったのは、辛かったろう
闘病を口に出さずに
コツコツと身辺整理をしていた情景が
ありありと浮ぶからだった。

なぜ、孔子なのだろうとも思った。

ぼくは、医師から余命は半年と聞いて
おり、それでも、男からすると
絶対的位置にいる父が死ぬはずはない
と、およそ、ガキのような世間知らず
の考えで、その言葉を信じてなかった。

果たして、一年後の七夕の日、
ぼくが、一旦、勤務先の東京に戻った
翌朝、帰った事を見届けるように
逝った。

最期に入院した時には
がん細胞が、脳に転移して、手の施し
ようがない状態だった。

病室で最期に言葉を聞いたのは
「はよ、帰りや」だった。
その後、一言も話せる状態ではなかった。

一言だけ、本について…

孔子を読んで
ずんときたのが

「自分は自分流にいて、自分を汚さずにいて、自分の手足を使って生きて行こう」
と、弟子がいう場面がある。


同じ本をぼくも購入していて、ぼくは、ぼくの本でそれを読み、ずんときた。

勤務先では、父の遺した本を読んでいて、その部分に、父が鉛筆で傍線を
引いていたの発見した。

高い高い壁ではあり
その時の、父の精神状態とも違う。

しかし、全く予期せぬところで
父と出会い、父と同化したような
気持ちになったのも事実だ。

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