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眠れぬ夜は愛してよ

8/2
眠れない。というのも、今日は11時間も睡眠をしたからだ。25時に寝て12時に起きた。途中、一度も目が覚めなかった。夢も見なかった。起きたら喉がからっからに乾いていた。あと3時間眠っていたら死んでいたかもしれない。眠りながら死ぬ、という私の人生最大の夢をもう少しで叶えられる所だったのに。惜しい事をした。

睡眠をたくさん摂ったので元気いっぱいなうえに、菊地成孔氏の投稿を一から十まで読み始めてしまう。私は氏の音楽を聴きながら仕事をし、氏の書籍を読みながら電車移動、そして入浴をし、寝る前にはYouTubeで演奏の動画を拝見している。最近のお気に入りは「 mint exorcist 」自分が撮った写真集のタイトルにするくらい好きだ。

ただでさえ元気がありあまり、目がギラギラに冴えているのに奇妙な文章を読んでしまったから大変だ。体は元気なのに、頭と気分は落ち着き、静まり返っていく。体と頭の整合性がとれたら眠れるだろうか。
自然と眠たくなる迄は本を読もう。菊地成孔氏も愛読している「悪趣味百科」。私はスノードームの頁が特にお気に入りである。

8/3
SMマッチングアプリLunaさんのリアル交流会に呼んでもらう。永遠嬢様とSMショーをする。
変態が集まる場に行くと、自分の性癖について考える事になる。公には言えない癖があるだろうか、と思いを巡らせてみる。ここに書けるような事は特に無いのであった。

8/4
「さくらちゃんが日記に書いている事、一つも理解出来ない」と言われる。
そもそも他人という物は理解し難く、不快で、意味の分からない存在だ。それを分かりやすく伝えるのがコミュニケーションなのかもしれないが、私はこの日記においては他者との関わりを放棄している。
実際に会う私は人見知りで発声が不明瞭だが、人に優しくしようという努力は見られると思う。この日記ほど他人を拒絶している印象を受けないだろう。目の前にいるのに目を合わさず、ぶつぶつと独り言を言っているようなこの日記は、私自身のささやかだが確かな癒しだ。とても大切にしている。

生身の私と対面した時、目をじっと見て何を思うだろうか。多分何も思わないだろう。私はそういう人間だ。これを読んでいるあなたに対して特別影響力があるわけでも、何か出来る事があるわけでもない。人を癒すとか治すとか、そんな事を言い出したらそいつからは絶対に離れたほうが良い。ましてやこの日記に治療的効果があるわけがない。即効アプリを落として心療内科か精神科の受診をすると良い。

今日の私は完全に気が立っている。これは決して悪い事ではないだろう。泣いたり怒ったり悲しんだりしないと感情が狂ってしまう。調子を良くするのではない、自分との調子を合わせる為に必要な行為だ。私は自分の気持ち、感情、考え、思考、そういった物は常に点在しており、一つに纏まる事がない。あちこちに散らばった物を少しずつ拾って集めていく事がすなわち生きるという事だと思っている。
そして、私は荷物が多いのが苦手だ。たくさん集めたからといって全てを大切に出来るわけではない。落としたり捨てたり、やっぱり大事な物だったと思い直し拾いに戻ったりを繰り返しながら前に進んでいる。

花が落ちる音がする。
2週間前に買った切り花が進行し、成長し、耐え、枯れ、花や葉が床に落ちていく。はらはら、というより、ぱらぱら、という。

8/5

物凄く高額なお肉を頂く。
値段に驚き、美味しい美味しくないはよく分からなかった。ここまでくるとゲテモノに近いとも思う。

8/7


張り詰めた集中力がいつか切れるのが怖い。そしてそれを待ち望んでもいる。

8/9
地震が怖い。
めずらしくTwitterを開き、一心不乱に投稿を見た。こんなことをしても全くの意味がない行為だと気づいているのに止めることは出来なかった。

私は社交的ではなく、親切心もほぼ無い。ギリギリの社会性で何とか生活をしている。
今まで生きて来れたのは周囲の人達が優しかったからだ。怒ったり褒めたりしながら面倒を見ていてくれる。

この人達が居なかったら私は一体どうなっていただろう。この年齢まで生きていない事は確実だ。

自分がアウトサイダーだという自覚がある。どこで何をしていても落ち着かない。人と同じ様に出来る事は一つも無いし、言っている意味が分からない事も多い。
難のある自分と向き合うのは面倒くさく、自分を管理する事を放棄していた頃もある。投げ出すのは楽だ。でもそんな事ではより苦しくなるだけだ。くじけながらも必死で人とコミュニケーションを取っている。関われば関わるほどつらくなる。自分の事など誰も分からず、受け止めてくれない。

でも、実際には全くそんな事は無いのだ。周囲の人は私の存在を受け入れてくれている。これは滅多な事ではない。より深く感謝をしながら粛々と生活をしていこうと思った。

「ニトラム」という映画を観た。この主人公は私だと思う。

8/12
何も予定が無い日。
お昼まで寝て、何かを食べ、映画を観ながらお昼寝をし、ジムに行き、重たい物を持ち上げ、帰宅しお風呂に1時間入った。
現在22時の段階で体力が有り余っている。元気がいっぱい過ぎる状態で深夜を迎えるのは大変良く無い為、体を疲れさせなければいけない。

8/15


人との距離の取り方が分からず、とても寂しくなる。一生この事について悩むのだと思うと辛い。
距離感が近くて気持ちが悪いと思われるよりかは、遠くてよく分からない人で居たい。

自分を理解されたくない。
本当に心の底から私の事を分かってくれる人など居ないと知っている。誤解されるのが嫌だ。本当はそんな人間じゃないのだ、私は・・・。私について知ったようなふりをされるよりかは、全く理解出来ない存在で居たい。それがとても悲しい。

8/16
夏の日。
BBQと花火の一方、私は着物を墨汁で汚したり火をつけて焼いたり靴で踏んだりしていた。

8/17


奇妙にそわそわしながら過ごす。何も手につかなかったが、何とかなる。
友人と電話で話す。
「私は山姥で山に住んでおり、夜中に麓へ下り、人の暮らしを覗き見て、陽が昇る前にまた山に戻っていく。そんな暮らしをしたい」
「世が世なら蔵に閉じ込められ一生をそこで過ごしていた筈」
という妄言を寝る前に聞かされる友人が可哀想だ。

8/18


ここ1年で1番目覚めが良い。「今日はなんかいい日だ」と口に出して言う。
そんな日はまやかしであり、実際には私の脳の調子が外れただけに決まっている。友人からも忠告を受ける。「そういう日に人は死ぬ」。
普段より注意深く生きる事にする。

最近観た映画
「ミーガン」
「フィッシャーキング」
「素晴らしき世界」
「ゆれる」
「マッドマックス:フュリオサ」

8/19


大阪へ。
仕事でも半分仕事でもない、純粋に遊びに行くのは本当に久しぶり。


ドミロンさんとレトロラブホの富貴へ。
全てのラブホが小綺麗に改装、もしくは破壊されゆく中、堂々の佇まい。

そして味園ビルの夕顔楼さんで美女撮影会。

味園ビルが閉館する為、年内までの営業とのこと。もう何度か遊びに行く予定。

8/25


呪縛というイベントに永遠嬢様と出演する。
今回は妖怪の役をやらせて貰う。
人を愛し愛されたいと強く願い、それ故に誰にも受け入れられないまま命を断ち、妖怪になる。私そのものだと思った。
そんな未練を晴らしてくれた永遠嬢様は眩しかった。

8/28
とても少数の、大切な友人と家族が居る。近頃は浮ついており、この人たちの事を蔑ろにしてしまっていた気分だ。最も愛しているのに、それ故に居て当たり前だと思ってしまっている。絶対にそんな事は無いのに。

8/31
夏、やり残した事。
ワンピースのワノ国編を読む
ピニャコラーダを飲む
水着パーティをする

強烈な暑さと日差しと、対照的な夜の暗さ、エアコンを効かせ過ぎて極寒の部屋、毛布に包まって見るラテン音楽が流れる映画、ちょっと好きかもと思っている女の子とのLINEのやり取り、あんまり得意じゃないかもと思っていた女の子の事を少しずつ好きになり始める女子会、帰り道喫煙をしながら見上げる湿気と気温で重たい深夜の空、スタジオに置いてある食品サンプルは暑さでどろどろに溶けていた。

辛い事があっても歯を食いしばって耐えて生きていくことを良しとされるなら、私はすぐにでも舌を噛んで死んでしまおう。感情を抑え込む行為は、何の為にもならない。しかし感情を解放させるとクールダウンの方法がやや難しい。

心を落ち着かせる方法はこうだ。
入浴をしながら何十回も読んだ書籍を読む。髪をつやつやになるように乾かす。お気に入りのくたくたのパジャマに着替える。男の(もしくは女の)太ももを撫でながら、時に腕枕をしながら映画を見る。
しばらくもしていると気分が解れてくる。副交感神経が優位になったら役割を逆転し、私の頭を撫でてくれたまえ、から始まり、「可愛い」と言うことの強要、膝枕も腕枕も何でもしてもらい、ホットミルクにラムを入れたものを作る事を強制する。
そうしていると自然に眠たくなってくる。寝言と妄言の合いの子のような発言をしなから眠りにつく。眠りにつく瞬間が私のリラックスの極限だ。しかし僅かな恐怖も孕んでいる。明日の朝になったら目を覚さなければいけない。私はこのまま一生目を覚さなくても一行に構わないのだが。

新しい1日の中でまた泣いたり笑ったりするような出来事と遭遇する。忙しく賑やかで、虚しくて仕方がない夏が今日終わる。

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