見出し画像

#casement13

伽十心くんからcasement13という展示のお誘いを頂いた時、セルフポートレートを出そうと思った。

10代から20代の頃、セルフポートレートは適当に立って適当にシャッターを押すだけだった。どう撮っても絵になったので苦労をしたことがなく、むしろ撮るよりもセレクトの方が苦労していた。
私は美しく、しかも天才なのだ。

32才の今も美しく天才でしかも大人。

しかし、美しさにも天才さにも変わりはないが、造形は確実に変化している。毎日鏡を見ても髪が伸びるのには気が付けないが、髪は伸びているのだ。

撮ってみて戸惑った。
知らない体が、そこにあった。
もちろん鏡で見たり、写真や絵の題材にしてもらうことは相変わらず多い。
しかし自分を自分のカメラを通して見ると、知らない人がいた。


もう20代ではないのだ。ただ立っているだけでは絵にならない。
ただ立ってるだけでは、ただ立っているだけにしか見えない。

あの傲慢で美しかった私が消えていた。
怖くなった。

どれだけ撮っても自分の体に慣ることができなかった。なにかが自分の中から消えたことに向き合うのが面倒で、自分を撮ることが嫌になった。
仕事や趣味で女性を撮影することが多くなり、これ幸いと他人の体ばかりを撮っていた。もちろん逃避ではないが、逃避する口実にはなっていたと思う。

しかしいよいよ一月になると切羽詰まってきた。撮らねば撮らねば
友人達のポートレートを出すのも良いかも、いざとなったらそうすればいいと思ったのはおかしなことじゃない。
それだけ沢山撮っているし、モデルになってくれた友人達は素晴らしく素晴らしい。立っているだけが立っているだけではないモデル達だ。
そう、こちらのほうがいい。無理に自分を撮ることはない。

そう思い始めた頃に撮った自分は、少し変わっていた。

こんなところにほくろがある、真っ直ぐに立っているつもりでも前方に傾いている、左右の目の大きさが違う、背伸びをした時必ず右の踵の方が高くあがる、唇にしみがある。
変わったところもあれば、変わっていないところもある。当たり前のことだけど、これは私だ。

変わったのは私の身体だろうか?
それとも写真を撮る目だろうか?
どちらにせよ、撮る毎にセルフイメージのアップデートが進んでいくことを感じた。
展示の初日にアップデートは完了した。
私は私という素材が好きだ。なによりも愛おしい。

これからも見慣れない体になっていくだろう。
それでも5年、10年、15年、その先まで、セルフポートレートを撮りたい。あの傲慢な天才には撮れないような技術を尽くして自分を記録し続けたい。
その度に私のアップデートは自動実行されるだろう。
そして私は私を愛していくことができる。

伽十心くんに展示に誘ってもらわなかったら撮っていなかった。
他の人からのお誘いだったら過去に撮ったセルフポートレートを出したかもしれない。誘ってくれた伽十心くんが後悔するような作品を出すのだけは嫌だった。新作のセルフポートレートが見たいはずだ、大好きな伽十心くんに恥じぬよう真面目に向き合おう。

そんな気持ちで展示をしました。
読んでくれてありがとう。
展示の様子はTwitterで #casement13  と検索してください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?