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昭和ヒトケタ生まれの女性は強い。

1000日修行14日目
新年からこちら、ずっと命と向き合う時間を過ごしてきた。それは微妙に時空がゆがんだ様な、少し不思議な時間だった。

今日は寒いけれど、ピンと張り詰めた空気が気持ち良い。午後から母と共に再度姉の家に向かう。出かける暫く前から、母は身支度を整え、薄く化粧をして待っていた。私は母のこういうところが好きだ。もうかなり背中も曲がっているし、脚も弱くなっている。でも、顔も首もシワが少なく、91歳だが着ていくものに気を使い、私のいでたちにも口を出す。最近は、私のショートカットが気に入ったらしく、自分の髪も私の様にカットしてみるつもりだと楽しそうに話す。

昨年11月に訪れた徳島でお会いした母と同年の女性を思い出す。こちらは91でまだ現役。徳島でモーテル経営を始めた第一人者だったとの事。一時期はチェーン化して大分手広く商売をなさっていたが、今は2箇所のみにして、そこの会計はその方が今も握っておられる。話しのテンポも良く、笑いを織り交ぜながらも、頭の中がものすごい勢いで回転しているのが見て取れる。

同じく徳島にて。こちらはお写真で拝見しただけだが、93歳の元芸者さんだ。着物を素敵に着こなし、背筋をピシッと伸ばし、妖艶な笑みを浮かべている。驚いたのは、その方は毎晩寝化粧をなさるのだそうだ。年齢が年齢なので、もしかしたら朝冷たくなっているかもしれない。誰かに発見された時に見苦しくない様にと、いつの頃からかの習慣とされているらしい。

いずれも昭和ヒトケタ生まれだ。第二次世界大戦時子供だった彼女たちの、時代に翻弄されながらもしぶとく生きてきた軌跡が見える。

姉の家に着いたら、介護施設で働く甥が飛んできて、母を義兄の枕元にいざなった。母は義兄の顔を見るなり、涙を流しながら何度も何度も名前を呼び、自分が義兄に送り出してもらうつもりだったのにと、絞り出す様な声で語りかける。そばにいた私達も泣けてきて、本当に切ないお別れの場面となった。

それでも、直接顔を見てお別れ出来たのはやはり良かった。帰る車の中で、母は何かを考える様にしていたが、家についてしばらくしたら、お別れして諦めがついた、私は私の人生を最後まで人に迷惑をかけないで生きなければと淡々と話していた。昭和ヒトケタ生まれの女性はやはり強い。

明日は先火葬。義兄の3次元の身体に別れを告げる。
でも…私達の魂はこれが終着点では無いという事を知っている。義兄の魂と語りながら、しっかりと骨を拾ってこようと思う。

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