知的な男
日中は汗ばむほど暑くなってきた5月の末頃。
「知的な男はかっこいい」
テレビで女のタレントがそう言っているのが聞こえた。
風呂上がり、火照った股間に扇風機の風をあて涼みながら考えた。
私は知的な男になれているか、と。
「知的」とは、「知識や知性が豊かなさま」を表す言葉らしい。
「知的そう」とは言われたことがある。
でも「知的ですね」とは言われたことがない。
「知的そう」に関しては、あと一歩“知的”と受け取るに足らなかったのか、そもそも優しさで言われたのか。
股間に扇風機の風を当てながら考えている状況からおそらく後者だろう。
私は知的な男ではないのだ。
しかし、もう一度考える。
知的な男は自分を知的な男だと理解できているのであろうか、と。
「俺って知的だから」なんて、かっこいい男は絶対に言わない。
そんなセリフはかっこいいの対極だ、馬鹿な俺でもわかる。
つまり、知的な男は知的な男を自認していては駄目なのだ。
少なくとも自ら公表してはならない。
“知的な男かどうか”は、その男と関わった周りの人間が客観的に判断するのだ。
そうすると、どうやって自分が“知的な男かどうか”を判断すればよいのか。
他の人に聞いた時点で“知的でかっこいい男”ではなくなる。
さすれば、ひたすら待つのだ。
「知的ですね」の言葉を。
「かっこいい」もあれば尚良いが、冒頭「知的な男はかっこいい」と女のタレントが言っていた。
“知的な男=かっこいい”ので“知的”だけでも良しとしよう。
そして、知的な男になろうとする努力なんてものはきっと知的な男はしない。
勉強や仕事、趣味などに熱意を持って取り組んだ過程できっと“知的”は育まれるのだ。
まずはそう、これからはより一層に仕事を頑張ろう。
その先に“知的な男”が待っている。
あぁ知的。
きっと、この地球にいるどこかの知的な男も、火照った股間を扇風機の風で冷ましながらそんなことを考えている。
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