備忘録 季語のこと「嵯峨大念仏」

季語「嵯峨大念仏」のメモを置いておこう。

嵯峨大念仏 さがのだいねんぶつ(9音)
 傍題 嵯峨念仏 さがねんぶつ(6音)
    嵯峨大念仏狂言 さがだいねんぶつきょうげん(12音)

解説
嵯峨大念仏狂言のサイト 
 嵯峨大念佛狂言Webサイト (sagakyogen.info) より抜粋

春季公演
原則として毎年4月の第一日曜日、第二土曜日、第二日曜日に開催されます。 通常は1日に三番の演目が上演されますが、一日目最初の最初の演目を「花盗人」、 三日目の最後の演目を「餓鬼角力」とするのが定番となっています。

秋季公演
清凉寺大念佛会の創始者・円覚上人の命日である10月26日に近い日曜日に開催されます。 公演の前には清凉寺裏手の元地蔵院の墓地にある上人の墓に保存会の会員が墓参に訪れます。 ここでも、上演されるのは原則として三番です。

清凉寺お松明式
釈迦如来入滅の陰暦2月15日にちなんで毎年3月15日に開催される清凉寺の涅槃会とお松明式にあわせて開催されます。 狂言の上演が終わってしばらくすると、お松明のおねりと点火が行われます。

嵐山紅葉祭り
毎年11月の第二日曜日、渡月橋上流で開催されるお祭りです。 洛西のさまざまな文化や芸能を紹介する数々の舟が、大堰川に浮かびます。 原則として午前と午後に同じ演目が一回ずつ 上演されます。

この他にも、出張公演などが不定期に行われます。

 ふむふむ…。
では、なぜ春の行事の季語なのだろう…。
ま、措いておこう。

嵯峨大念佛狂言は、京都市街の北西に位置する清凉寺境内の狂言堂で年に数回開催されます。 私たちがよく知る能楽の狂言と嵯峨の「大念佛狂言」とはだいぶ様子が違います。

その特徴は
1.狂言師というプロが行うのではなく、演者も囃子も裏方もすべて民間人の手で行われていること
2.すべての役者が面をつける「仮面劇」であること
3.セリフのない「無言劇」であること
4.「融通念仏」と「大念佛会」に連なる宗教的な背景を持っていること

などがあげられます。 

平安後期に良忍上人が始めたのが「融通念仏」です。「一人の念仏が他人の 念仏と通じ合い(融通)、より大きな功徳を生み出す。」というこの信仰に従い集団で念仏を称える「大念佛会」が生まれました。
この良忍の事蹟と後の融通念仏の様子を描いたのが、《融通念仏縁起絵巻》 です。原本は正和三年(1314)の制作と考えられており、数多くの転写が行われました。清凉寺にもこの絵巻が伝わっています。  
この絵巻の下巻第十段には清凉寺で行われた大念佛の様子が描かれています。 この場面に先立つ詞書には、清凉寺の大念佛会が円覚上人導御(1223-1311)に よって弘安二年(1279)に開始され、「洛中辺土の道俗男女雲のごとくにのぞ み、星のごとくにつらなりて群集」したと書かれています。 
画面の中には「猿曳き」と見物人の姿が、小道具の駒や面とともに見えたり、 釈迦堂の縁で壇に登って袖をまくりあげ、おそらくは鉦をたたきながら舞い踊り、口を大きく開けて念仏を称えている二人の僧の姿を見ることもできます。 ここには宗教と芸能の密接な関係が示されていると言えるでしょう。

うむ…。
最初は少人数だったものが、だんだん人が集まるようになった念仏を唱える祈りの場だったのだな。
人が多くなるとどんな場も変容するものだ。
先鋭化してトランス状態になった人もいて、それが鳴り物を伴う舞踊になったというわけだ。
単調な鉦の音と繰り返される弥陀称名と煽る舞踏。
現代でもこういう場面はある。

円覚上人の没年が1311年、観阿弥の生年が1333年と大変に近いこともあわせ考える と、大念佛会がその開始の頃からなんらかの芸能を伴っていて、寺側もそれを了承・認知していただけでなく、猿楽にも取り入れられるほどに人々によく知られた存在で あったと推測できるでしょう。

猿楽かぁ…。
ここが狂言と結びつく接点なのだな。

演じられる風景は、おなじ「仮面劇」「無言劇」の壬生狂言のほうがわかりやすいので、こちらを参考とする。
日本でも珍しいセリフを用いない宗教劇「壬生狂言」【HD】


アプローチの手掛かりになりそうなもの
・安寧への祈りがもとになっていること。
・大衆の芸能でありつつ、宗教的要素が大きいこと。
・仮面劇であること > 表情を伴わない舞踏による物語 
・無言劇であること > 非言語コミュニケーション > ハイコンテクスト文化のひそみ。

例句
季語/嵯峨大念仏(さがのだいねんぶつ)を使った俳句 | 俳句季語一覧ナビ (haiku-kigo-ichiran.net)

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