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インパルスレスポンス(IR)がスピーカーの挙動を正しく再現出来なかった理由

IRがギタースピーカーのシミュレーションに使われるようになって久しく、その再現度の高さは当時としては衝撃的でした。しかし、IRをそのまま使う限り実際のマイク録音に近いフィールを得ることは理論的に不可能です。

この記事では何故IRがギタースピーカーの挙動を再現しきれないのか解説します。

動的な音色変化を再現できないから

の一言で概ね説明出来ます。硬い言葉で言うとノンリニアが原因です。

雑に説明すると、音量を上げ下げした時に音量だけでなく音質(音色)も変わってしまうことがノンリニアであるということです。

  • アンプの音量を上げていった時にスピーカーの音色が変わってしまう

  • スピーカーの音量を上げていった時にマイクで拾う音の音色が変わってしまう

  • 大音量で鳴らした時と小音量で鳴らした時のキャビネット自体の揺れ方が変わってしまう

これらは全てレコーディングチェインがノンリニアであることの一例ですが、意外と意識されてこなかった部分です。どちらかというとアンプの複雑な挙動を再現することに多くのメーカーが心を砕いてきたと思います。

このノンリニアな環境でギターを演奏すると当然出音はダイナミック(動的)に変化します。では何故IRでこの動的な出音を再現出来ないのでしょうか。

そもそもIRとは何か

ギタースピーカーのIRは

スピーカーに対しある音量のインパルス(非常に短い時間の信号)を入力した時のスピーカーの出力をマイクで録音したデータ

と表現することが出来ます。これだと分かりづらいのでこのIRに何が出来るかを説明します。

「ある音量で」スピーカーを鳴らしてマイクで録音した時の音色の再現

これならもう少し分かりやすいんじゃないでしょうか。

ここで問題になるのが「ある音量で」という条件です。先述の通り、ギタースピーカーやマイクはノンリニアな性質を持っているのに対し、ギターを演奏する時は通常それなりの音量差/抑揚を伴うためギタースピーカーからの出音は常にダイナミック(動的)に変化しています。

つまり、本来は音量に応じて音色が変わってしまうにも関わらずIRはその中のある瞬間の音量の性質しか再現することが出来ないのです。IRでギタースピーカーの音を再現しようとすることは、喩えるなら強打したスネアのサンプルだけでスネアロールを表現しようとするようなものです。

パワーアンプ/マイクプリアンプもノンリニア

IRの測定の際に使用する機材についてもう少し範囲を広げて考えてみましょう。

実際にIRを測定する際はインパルスでなく正弦波のスウィープを使ったりもしますが、それらは例えばPC等の中で生成された後に一旦パワーアンプで増幅してからスピーカーに入力しなければなりません。

しかしパワーアンプは当然完全にリニアなデバイスでは無いのでパワーアンプの持つ歪みがIRデータに影響を及ぼします。これは本来IRデータに入っていてほしくないものです。マイクプリアンプも同様に影響を与えます。

ここで注意したいのは、パワーアンプやマイクプリアンプのキャラもIRに録れた!嬉しい!というわけではないことです。スピーカーIRの測定には出来る限り歪みの少ないパワーアンプやマイクプリを使うことが望ましいです。

その結果どうなるのか

感覚的な言葉で表現するとIRはマイク録音と比較して「平たい音」になります。これについては思い当たる節があるギタリストがほとんどだと思います。IRを使ったスピーカーシミュレーションは必ず嘘臭くなります。

特に、クリーン〜クランチのローゲインなセッティングで抑揚をつけながら弾くと平坦さが顕著に感じられるはずです。これは、IRファイルの質の良し悪しではなく、IRを使ったスピーカーシミュレーション全般が持つ問題点です。

ではどうすればいいのか

そもそもIRの音の平坦さが気にならなければ何も対処する必要はありません。特にロックやメタルではIRを使うことによる音の平坦化の悪影響は少ない上に、プロダクション上では音の平坦さはミックスのしやすさにも繋がったりするので限られた条件においてIRの平坦さは寧ろ武器になります。

平坦さが気になる人にはこれまで2つの選択肢がありました。

  • マイクで録音する

  • 高度なスピーカーモデリングを使用する

マイク録音は言わずもがなですね。本物で録れば当然本物の音になります。

高度なスピーカーモデリングは例えば

  • Universal Audio OX / UAFX / UAD Fender '55 Tweed Deluxe

  • Softube Celestion Speaker Shaper

といった、いわゆるIRを使用していないことを謳っている製品です。Softubeの方は触ったことが無いのでなんともですが、UAのスピーカーモデリングはとんでもないです。マイクを立てるのがバカバカしくなるくらい良い。

ここで注意したいのが、例えばTwo notesのDynIRやIK MultimediaのVIRはノンリニアの問題を解決するためのものではないことです。これらは、無数のマイクポジションでIRを測定することによってマイキングを擬似的に行える自由度をもたらしてくれましたが、それぞれのIRは特定の音量でのスピーカーの挙動だけしか再現しません。

IR界に起きる革命

2022年12月、ついにこのIRによるスピーカーシミュレーションが抱える問題を解決する「マルチレイヤーIR」という技術が開発されました。それに関しては下記の記事で詳しく触れていきます。

数年前から「音量で音色が変わると分かっているのに何故音量別にIRを録って切り替えないんだろう」とずっと疑問に思っていたのですが、ついにZoomがそれを製品として実現しました。

G2 FOUR / G2X FOURという低価格帯のマルチプロセッサーに注目されている方はまだ少ないかもしれませんが、この機種ではマルチレイヤーIRという上記の問題を解決するIRの実装が行われています。

詳細は製品紹介をご覧頂ければと思いますが、簡潔に言うとIRを様々な音量で収録しておいて入力の音量に応じて切り替えるというものです。

楽器屋で見かけたらぜひ試してみて欲しいのですが、従来のIRを使った製品と明らかにレスポンスが異なるはずです。生のアンプを弾いた経験が多い人であればあるほどこの違いを感じると思います。

これまでのIRを使ったアプローチについてはIRの数が足りていなかったのは間違い有りませんが、足りなかったのはマイクのポジションではなく収録時の音量のバリエーションだったということにそろそろ世界は気づき始めるんだろうなと思います。

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