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音楽理論の要不要

インターネットを眺めていると定期的に議題に上がる音楽理論の要不要の話ですが、議論が噛み合っていない場面も散見されます。

本記事では音楽理論の要不要を議論するためにまず何をしなければならないのかを考えた上で、どのように議論されるべきかについて考察していきます。


そもそも音楽理論って何?

ここの認識が人によって大きくばらついていることが、議論の成立を難しくしています。

そもそも理論という言葉が何を指すか調べてみました。

個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識。

デジタル大辞泉

ちょっと硬いので大雑把に噛み砕いてみると、音楽がどのように成り立っているかを説明するための知識のことと言って差し支えなさそうです。

今日において音楽という言葉を用いた場合ライブでの実演と録音物両方を指すと考えるのが妥当ですから、一旦ビジネス的な側面を排除して音楽理論をかなり広義で解釈すると

  • 楽典

  • 和声、対位法

  • 管弦楽法

  • 電気工学、電子工学、信号処理

みたいなものがすべて音楽理論に含められることになります。(勿論もっと広くとることも出来ます)

なので、音楽理論の要不要について言及する場合はもう少し具体的にどの分野の知識について触れたいのかを明示しないとややこしいことになります。ちょっと喧嘩腰になってしまう人がちらほらいるのはここが共通認識になっていないせいというのが大きいと感じます。

ちなみに個人的な印象だと和声、対位法のことを指して音楽理論と呼んでいる人が多い印象はありますが、当然それらが役に立つ音楽ジャンルは限定されます。例えばクラシックの和声や対位法を修めた人がロックを書こうとして上手くいかなかった例は枚挙に暇がありません。(逆もまた然りですが)

誰が議論に参加すべきなのか

SNSで音楽理論の要不要について質問する人は当然その理論を身につけていないから質問するわけですが、それに回答する人の属性は意外とまちまちです。

プロの方もいればアマの方もいますし、理論をアカデミックに学んだ方も居れば独学で学んでいる人、逆に全く触れずにきた人まで様々です。色んな人がいるので、当然回答もバラバラな内容になります。

ただここで冷静に考えて欲しいのですが、理論を修めていない人が理論の意義を正しく把握できるでしょうか? これは構造としては

  • お金の無い人がお金の要不要を語る

  • 学の無い人が学歴の要不要を語る

  • 運動不足の人が筋肉の要不要を語る

みたいなものと近いです。何が言いたいかというと、

  • 持っていないものの意義は語れない

  • 語ったとしても酸っぱい葡萄になりがち

ということです。本来、初心者からの質問に対してはそれを修めた人間のみが正しく回答できると考えられます。

なぜ要不要の議論が起こるのか

そもそもなぜ音楽理論の要不要について質問するのか、その動機について考えてみると「どうにかして学ばないまま音楽を作ることが出来ないか」という心理が見て取れることが多々あります。言い換えると、理論を学ばないまま音楽を作る自分を自分で受け入れたいという気持ちです。

だからこそ、望まれている回答は常に「学ばなくても大丈夫」なのです。なぜ必要なのか、修めるとどんないいことがあるかではなく、ただただ「無くても大丈夫だよ」と言ってもらいたいのです。少なくとも僕はそうです。

では実際に音楽理論を修める人がどういう人かというと、誰かに言われるまでもなく学ぶ人です。それがカリキュラムに入っていたから当たり前のように学んだ人もいるでしょうし、必要性を感じて自然と身につけた人もいるでしょう。

理論の重要性を啓蒙することは非常に大切で、そこが伝わっていけば初心者からの質問は「理論は必要ですか?」ではなく「理論はどうやって学べばいいですか?」に変わっていくはずです。

音楽理論は何の役に立つのか

音楽理論は一種の書式、文法のようなものです。多くの「ちゃんとした」音楽はその書式に沿って作られていますし、何をもって「ちゃんとしている」か言語化するのを助けてくれます。

文章と文法の関係性に例えてみましょう。

  • 口語文法を完全に把握している人が皆人の心を打つ文章を書けるかというとそんなことはない

  • 人の心を打つ文章が常に文法的に正しいかというとそうではない

  • 現代国語の成績が全くだめでも人の心を打つ文章を書く可能性はある

  • 人の心を打つ文章を書く人間は文法を把握していることが多い

これらは同時に成立するものです。

一方で、理論は言語そのもののようでもあります。理論を知ることで、音楽の構造について他人と共通認識を得たりある種の再現性をもたせることができます。楽譜がその最たる例です。

つまり、音楽を作るという行いを他人と一緒にする時にはお互いが理論を修めていることで意思疎通が極めて円滑に進みます。例えば、皆が五線譜を読めればスタジオレコーディングが滞り無く進みますし、皆がDAWを触れればデータのやり取りがスムーズに出来るのです。

折角なので言語に例えると、「アメリカに住みたいんだけど英語って要る?」と聞かれたら「無くても生きていくことは不可能ではないかもしれないけど……ところでアメリカで何をしたいの?」となりますよね。何をしたいかが分かれば、それなら英会話だけ出来ればいいという人も居れば英文法まできっちり修めるべきという人もいるだろうし、なるべく多くの語彙も覚えてねという人もいるでしょう。ただし、何かしら英語を覚えなければアメリカで他人と意思疎通がとれません。もし英語を使って成したい「何か」が無ければ英語が分かっても何も出来ません。

これらのことから、理論が

  • 無くて損することはあっても得することはない

  • あれば安心というものではない

  • 無いと他人との意思疎通に苦労する

ものであることが分かると思います。

何を以て必要とするのか

これも結構曖昧な部分なので対立を生む原因になりますが、多くの方の中で暗黙の了解として存在するのが

  • 仕事として成立させるために必要

  • その分野の一流になるために必要

のどちらかの基準でしょう。この2つは似ているようで大きな差ががあるので、議論の前にどちらの水準で語るのかを握っておかないと噛み合わなくなります。

まとめ

まとめると

  • 音楽に限らず理論は修めた人にしかその分野の要不要が分からない

  • 「音楽理論」は定義が広過ぎて議論が難しい

  • 何をしたいかによって理論のどの分野が必要かが変わる

  • 理論を学んでいなくて損することはあっても得することはない

  • 理論を学べば多くの人との会話がスムーズになる

  • 「必要」の基準は事前に明確にする

  • 理論を学びたくなるような啓蒙をすべき

というのが本記事の主旨です。理論を修めていることをもって誰かより優位に立とうとしたり揚げ足を取ることは誰かの学びの機会、動機を奪うことに繋がりかねないので避けるべきだと思います。

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