語学学習で大切なこと

 大した勉強と言えるほどの勉強もあまりしていない私がこんなタイトルで何を書くか、初端で気分を害す人もいると思うのでスルー、ないしは跨いで通り過ぎてもらっていいです。
 もう昔のことなので内容はどうでもよいけど、このことを書く前に背景になることに触れておきたい。
 オリンピックをきっかけに日本はめまぐるしい勢いで変貌していったのは、私がいたるところに今まで書いてきたとおりで、私自身が自分の成長期に迎えた時代だった。進学が生徒数の大半という進学校時代、バスケに明け暮れ、あまり勉強はしなかったが、努力しなくてもできた教科がいくつかあったのは救いだった。中学時代、勉強が面白くて仕方がなかった頃に基礎を培って置いた貯金で高校の授業は屁の河童と高をくくっていたのもあった。が、世の中は甘くなった。きちんと勉強して進みたい大学へ進み、人生設計ができる同級生も多く、彼ら、彼女らは、今でも才能を発揮して世の中で活躍している。時々TVなどでその姿に遭遇するときもある。
 さて、当時、私は暢気で、高校三年にもなると春から進学を決めていた同級生らの動きに気を止めるどころか、秋までバスケットの国体県選抜選手として合宿や遠征三昧で、学校へはほとんど行っていなかった。が、そんな私でも一応大学へ行くべきなんだと、なんとなく思っていた。何をするかはともかく、行かないと取り残されてしまうという悲壮感だけは年末頃きた。すでに私立大学の合格切符を手にした男子がいて、「え、アヤツがあの学校に合格?」いや、馬鹿にしたわけじゃなく、普段の学習成績からすると私は有利じゃんて思っただけ。そんな単純な理由で一番最後の試験を受けて合格した。かくして、何を学んで何をするのか、将来設計を少しでも立てなければならなくなった。
 そう、建築家だ!
 日本のあちらこちらにプリンスホテルを建てた、あの黒川さん目指すんだいってわけで結構、私もミーハーだったかも。が、何か違う。この世界に興味はあるけど、自由がない。どうも選ぶ学部を間違えたらしい。能力的には理数系なんだけど、計算ばかりしたいわけでもない。そこで方向転換を計った。いや、実際はこんな一行で片付くような簡単なことではなかったが、書いてみるとその程度のことだったのかも。
 当時、外国語に関心のある若者は多かったと思う。留学する学生も多かったと思うが、なんか、親がかりな人ばかりで、苦労がない。バスケットをしてみて思ったのは、努力すればそれなりに身につくし、そのことが自分に自信を与えることになる。また、果報は寝て待てというけど、苦労は買ってでもやらないと自分が堕落していくような気がした。この時代は、自分に試練を課すタイプと、自分を野放しにして負荷をかけない生き方を選択するタイプとに分かれていたかに思う。私は前者で、今でもこれに振り回されることがあり、やれやれなんだけど。とにかく、これで私の次の方向性が決まった。
 さて、前振りが長くなったが(十分じゃないし、心残りもあるが)、先日、「関口・新ドイツ語の基礎(関口存男・関口一郎)」の書評に触れて吹きまくってしまって、あまりにもその自分の経験と合致していたので愛おしくなった。何が?

 眼で覚えた外国語はたいして役に立ちません。耳で覚えた外国語は、それよりはいくらかましかもしれないが、役に立たぬ点では大差はありません。では何で覚えた外国語が役に立つか? それは手で覚えた外国語、舌で覚えた外国語です! 手で書きなぐり、口一杯に頬張ってどなり散らした外国語です!  どなり散らすのはまだちょっと早いかもしれません。あたりに人のいない時をみはらい、やおら奇声を張り上げて例題を読誦してみてください。柱時計がびっくりして止まったら、「何だ!」といってにらみ返してやるべし。そのくらいの元気がなくちゃ駄目です。

 これを実際やるって、本当にこのままというわけでもないが、要は、自分破りみたいなことに挑戦する覚悟がないと、外国語を喋れるようにはならないということ。その覚悟よりも、日本訛りの英語でやる覚悟のほうが勝る人も多いけど、その英語は正直、聞き取りにくいし、意味不明でも流されてしまうことも多い。自信を持って「自分の英語」をしゃべっている人に聞き返したりするのは返って失礼だし、くらいのマナーは外国人にはある。
 外国語をしゃべる自分というのを客観的に見ると、日本人じゃダメなわけで、見た目は日本人でも外国語を外国人のように喋らなければ学習する目的が達成できない。つまり、成りきるということ。と、そう断言できる。心とは正直なもので、どこかに羞恥心などあろうものなら、きちんと発音として出てこないし、間違っていても誰も指摘などしてくれない。「自信満々に間違える度胸」があるのを見せることは、相手には、「あ、この人に間違いを教えてあげても受け入れる人だな」て理解される。

そうだ、私の経験を一つ書いておこう。

 英語の発音に拘っていた私が日本に住みながらにして英語に触れるには、街で見かける暇そうな外国人に英語で話しかけることだった。これを思いついたのは割と早い時期だったけど、結構心臓がばくばくする。自信がないのに堂々と失敗する覚悟って何よ❣これかよって自分を後悔する事おびただしい。四谷や赤坂辺だと結構外国人て多い。昔は横田や入間基地ならごちゃっといたけど、学生ともなるとやはり都下というものだった。(因みに私の実家は入間基地近くで、生まれは長崎だけど、結婚するまでは埼玉県人。)で、見つけるといろいろ喋りかけてみる。でかい声で。昔のFENなども聞いていたため、耳もそう悪くないせいか、結構通じているのを実感できた。が、ある日、事件が起きた。
 感じの良さそうな旅行者風の米国人男性だった。近づいて話しかけた。何を喋ったかは覚えていないが、彼は私に「日本人なのになぜ英語でしゃべるんですか?」と日本語で言ってきた。それもちょっとむっとしていた。私は初めての反応にどろいて、と言うか怖いという印象を持った。間髪入れずに続けて彼は「日本人は自分の国の言葉を大切にしたらいい。日本に住む日本人のくせにわざわざ英語で、なぜ喋る必要があるんですか!」と言い捨て、向き直って立ち去ろうとした。その時の私の頭のなかは真っ白。正に何も出てこない真っ白状態だった。しばらく彼の立ち去る姿を何も言えない悔しい思いで見ていた。この悔しさと言ったらなかった。まるで幼い子供のように何も言葉が出てこない。言いたいことといえばそれは日本語で、それが頭の中をぐるぐる回るのだった。で、我に返って初めて気づいたのは、日本語で返事をしていれば果たしてそれで満足できていただろうかという疑問だった。そして、徹底して英語で私はやるんだと、その時強く誓った。英語でなんでも言える自分にいつかなるんだと、それがもう始まっているんだと、この時をもって確信できた。
 以下は書評の引用部分の孫引きなんだけど、吹くどころか、これを地でやった自分を思い出すと、愛おしく涙が出た。

本当に語学を物にしようと思つたら、或種の悲壮な決心を固めなくつちゃあ到底駄目ですね。まづ友達と絶交する、その次には嬶アの横つ面を張り飛ばす、その次には書斎の扉に鍵を掛ける。書斎の無い人は、心の扉に鍵を掛ける。その方が徹底します。

勿論人に好かれない事は覚悟の前でなければなりませんよ。人に好かれてどうなるものですか。人にだけは好かれない方がよろしい。そんな量見だけは決して起こす可らずです。余計なことですからね。『人に好かれる』なんて、人に好かれるような暇があつたら、その暇にしなければならない事はいくらでもあります。

 イギリスに単身で渡った後、ロンドン郊外の田舎で、それこそ日本人なんてどこにもいないところを選ぶようにして私は独房生活を始めた。独房というのは、人は沢山いるし、寄宿先の英国人ご夫妻や子どもさん達もいたけど、日本語が全く通じない環境だったということ。寂しかった。日本語が喋れないのって辛いのな。何日も頭が痛くなって熱も出した。ほう、これが知恵熱ってやつですかいって、日本語で心の中で自分に話しかけて慰めていた。
 英語の勉強とは、自分のそれまでの学習経験への自負とする部分や羞恥心を全て忘れ、ひたすら英語でものを考える努力でしかなかった。
 一年もこれを続けたころだったろうか、10年もロンドン生活してきた日本人よりもより英国人になっていたし、二年目には、英国人か日本人か聞かれるほど、英語が板についていた。
 書評に「昭和恐慌」の話がちょこっと出てくるが、そういえば、「ハイパーインフレの悪夢(アダム・ファーガソン)」というドイツのハイパーインフレについて書かれた書籍を思い出した(参照)。日本の現在の政治家は、誰もデフレを経験したものはなく、昭和恐慌時の高橋是清蔵相の手法に学ぶしかないと麻生さんも言っていた。これにはもっとジンと来た。

世間が面白くない時は勉強にかぎる。 失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ。

 

 

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