ロシアと平和条約を結ぶという安倍さんの課題
安倍首相の戦後70周年談話。巧みに表現を駆使していると感じたものだった。もちろん、中韓は自国内に課題が山積だし、文句をつける余裕もないといえるし、何か一言でも言っておくかな程度のコメントだった。また、「自虐史観を排した持論の展開はないのか」とメディアの挑発もある中、安倍さんの持論を理解しているのならわさわざ「語れ」でもないと思う。
そんなことはさておき、問題はソ連。いやロシア。うーむ、やはりソ連問題というべきかな。いろいろな意味で気になっていたロシアだが、この国と日本は正式に国境線問題で決着がついていない。安倍さんは「戦後レジームからの脱却」を言うけど、極めて無粋かもしれないけど言わせてもらうと、戦後とは平和を取り戻した状態を言うのではないか?だったらぴったり来るのがこの指摘
戦後とは、戦争が終わったということであり、狭義には休戦協定が締結されて戦闘状態が終結し、さらに広義には講和条約を締結するということなのである。(参照)
そこで思ったのが旧ソ連と日本の平和条約についてだった。国境線もはっきりしない北方領土問題が宙に浮いたままなので、ソ連との戦争はまだ終結していない。だから、「戦後レジーム」も「脱却」も言葉上はあり得ない。その言葉を誤用していないなら、安倍さんはなぜ、戦後70年談話にロシアとの平和条約締結への提言をしなかったのか?そういう疑問がぐるぐる脳内で回っていた。この暑いのに。
安倍さんの談話にロシアとの関係を絡め、その文脈で再読してみるかと思った(無理矢理)。
教科書では、例えば1938年のチャンコボン事件や39年のノモンハン事件では、「関東軍は甚大なる被害を受けた」とか、「赤軍に完膚無きまでに撃破された」と記述があると思う。しかし、直近の歴史研究では、ソ連の被害のほうがはるかに甚大で、この局地戦以来スターリンは、関東軍とはできるだけ戦わないとし、政略で対処すべしと方針展開しているという説もある。
その裏付けになるだろうか、1941年の「日ソ中立条約」は4月だが、7月になって日本政府がなにを決めたかがある。
これは、「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」の決定と言える。有名な「関東軍特種演習実施」ではないだろうか。これ、全く「特殊」ではないと思う。
つまり、関東軍を増強してソ・満国境に大動員したと読める。これは紛れも無くスターリンへの挑発行為であり、国際法では「敵対行為」に相当する。
そんなことしたら戦争が勃発するのでは?
ええ、その通り。関東軍はソ連と戦争したかったんだろうと思う。で、スターリンはそれを止めた。
なぜか? 歴史に弱い私なので、少し時間がかかってピンと来た。
1941年の4月に中立条約を結んでるのに、3ヵ月後にわざわざ破るような敵対行為に出たのはなぜか、ここをよーく考えるとわかる。
ほら、だから「情勢の推移に伴う・・・」なのだ。この間に国際情勢が大きく変わったからでしょ。
推察するに、1941年6月22日、かねて結んだ独ソ不可侵条約(1939年8月締結)を破棄して、ドイツがソ連に攻め込んだのとダブる。そして、9月にはレニングラード(当時)を包囲してしまった。で、10月にはモスクワ攻撃が開始された。
ここでスターリンはモスクワを放棄したばかりか、ショックでなにもできなくなった。多分、ヒトラーを甘く見ていたんだと思う。
茫然自失のスターリンに代わってラジオ放送でドイツに宣戦布告したのはモロトフだった。(これがラジオ放送でよかったネ。日本への宣戦布告は、日本の在ソビエト大使による停電中の公電だったらしい。つまり、開戦タイム ビフォーに届かなかった。)すっかり引きこもったスターリンにモロトフをはじめとする共産党幹部が揃ってやってきていよいよ「粛清」かとおもいきや、ここはロシア崩壊時の老いぼれと同じで、高校野球バリの「一致団結でヒトラーと戦うべー!」だった。
弱い国ってのは、いざとなると腹を括れないんだなあ。
別にそれでもいいんだけど、すぐに命乞いする。鳩山さんとか菅さんみたいなお方をリーダーにしちゃいます。
さて、話を戻そう。
このとき、挑発する関東軍に対して、スターリンはじっとガマンした。グルジアの無教養な男として彼は、ドイツと日本相手に二正面作戦なんぞで勝てるはずがない、くらいなことは心得ていたため、どんなに挑発されても関東軍を相手にしなかったのは賢い。
日本は律儀で真面目なので、国際法を遵守していたため、ソ連の赤軍の発砲を心待ちにしてたことだと思う。しかし花火すら上がらない。爆竹だって、鳴り物は間違えられるからやらない。
鬼より怖い関東軍と戦わなくて済む、と安心したスターリンは戦力を対ドイツ戦に集中させた。
日本は見事にタイミングを誤った。この「待ち」によって結果的にスターリンを地獄から救ってしまった。
「東欧をオスマン帝国のくびきから解放した最大の功労者がソ連(東欧から見ると迷惑千万)」を無知覚で演出したのは日本と言える。つまり、大東亜共栄圏でアジアを列強の植民地から解放したのは日本だった。日本は、アジアと東欧(ユーラシア)を開放した最大の功労者だった。
安倍首相談話の中にさりげなく日本の主張が置いてある部分があった。
「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。」
「七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」
「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
「終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」
はっきり言って、侵略や植民統治をしてきた国がこんな発言ができるのは地球では日本だけだと思う。
なぜできるか?自信があるから?
長い前振りだが、これらのことから優越に浸るとまでは言わないまでも、うっかりロシアとの平和条約締結への提言を忘れちゃったのかな。日ソ共同宣言(1956)で「戦争状態の終了」は了解されているが、国境線などの取り決めはどうするのか?ずっと両者の言い分が歩み寄らない。既に北方四島ではロシアが活発に活動を始めている。実効支配はどんどん進んでいる。その理由に、ロシアは宣戦布告後に日本を攻めて勝ち取った領土だという言い分がありそう。日本は、ソ連を「火事場泥棒のできる国」のような見方をしていそう。
ウラジオストックと北方四島の領土問題の本質は違うとロシアは認識しているにも関わらず、二島返還を日本に申し出たかに感じたが、それは、「正当な理由で四島を領土化した」という確信を譲歩した申し出だと思う。(参照)。
何が言いたいか。
安倍さんの「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」が本意なら、「ロシアの終戦の認識」と「日本の終戦の認識」を突き合わせ、誤解があるなら払拭したうえで領土問題を解決し、ここに国境を設けて欲しい。それが、安倍さんの言葉を実行する最初の仕事じゃないだろうか。
やってください。
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