「マディソン郡の橋」(原題: The Bridges of Madison County)

 「大人のラブストリー」という紹介を見ただけで、もうそういうのはどうでもいいやと思う私だ。その理由は、安っちぃ設定で大人の恋を描いた米映画というのは山程あり、今まで、これといって特定して見たわけでもなく、特に関心があったでもなく観た映画にがっかり観も手伝ってそう思っていた。この映画も、人気の高いクリント・イーストウッドとメリル・ストリープの共演となるとおおかたそんなものだろうと高を括っていた。が、観てびっくりした。というか、観ている時、なぜ私の心境がここまでわかったの?と、恥ずかしくなった。

 家族のために捧げた人生を返せという後悔の念ではなく、「家族に人生を捧げられたのは、出会った人への愛があったから」という意味の事をメリル・ストリープが演じるフランチェスカが言ってみせた時、何が自分を支えているのか?と、再び問わずにはいられなくなった。

 心の奥を観ないようにしているだけで、改めて蓋を開けたわけではない。むしろ、自身の欺瞞を認める努力のような、それは、やり甲斐のない事を認めるような作業で、何の価値もないものだと言い聞かせる日々に変わりつつあった。が、それをも含めて、自分の厭っていた「愛」に支えられていることを思って泣けた。

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