憲法9条と日米安保について中道的視点からざっとおさらい

 集団的自衛権行使容認が閣議決定された背景は、外務省の要望が強かったせいか、閣議決定時の安倍さんの説明などに物足りなさがあった。そして、数日前、synodos「集団的自衛権行使容認を海外メディア・専門家はどう見たか平井和也 / 翻訳者」というタイトルのコラムで「安倍政権の集団的自衛権行使容認に関する10のウソ」が立てられていた。法律の素人でも日本国民の一人として、憲法を解釈するのは「自衛」の原点として当たり前のことだ。近年は、国際情勢の変化に伴い、日本も米国との同盟関係という範囲で何をすべきかが問われているのはヒシと感じる。が、解釈に誤りがあっては元も子もない。そういう関心を元に自分なりに整理することにした。
 まず、前段のsynodosの「10のウソ」の1と2に着目した。

 1. 自衛隊の役割と任務が根本的に変化する 
今回の閣議決定を受けて、日本の同盟国や日本と考えを同じくする国が攻撃を受けた場合、自衛隊が救援を行うことができるようになったが、集団的自衛権を実際に行使できる条件は、次の三つに限られている。(1)日本にとって明白な脅威となる状況であるか、または日本国憲法第十三条で保障されている生命、自由および幸福追求に対する国民の権利が根本的に脅かされる危険性のある状況下であること。(2)攻撃に対抗するために、日本とその国民を守るための他の方法がないこと。(3)武力の行使が必要最小限に限定されていること。 日本の政策は、専守防衛のための最小限の武力という従来の基準にこれからも従うことになり、また日米同盟における自衛隊の主な役割はこれからも変わらず、日米双方が現在担っている役割と任務に必ずしも根本的な変化が生まれるとは言えない。

  2. 自衛隊が海外での戦争に参戦することになる 
集団的自衛権は専守防衛の原則に沿った防衛措置であり、今回の集団的自衛権行使容認の決定は、日本が他国に対して戦争を仕掛ける権利を与えるものではない。つまり、日本は他国を守るために海外で戦争を行うことをこれからも禁じられるということだ。

 非常にわかりやすく説明されているが、果たしてその言葉の通りで良いのだろうかという疑問も持った。というのは、防衛省の「防衛白書」の25年度の「専守防衛」で触れた部分が気になったからだ。

専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。

 と記載されているが、閣議決定では、自国防衛以外での武力行使が限定的とはいえ解禁された。これによって今後、海外長期派兵を前提とした武力と態勢の整備が求められるようになると、来年度の白書では先に挙げた定義のままでは無理がありそうだ。率直に言うと、「専守防衛」とは書けなくなってしまうのではないだろうか。米軍の後方支援機能や軍政機能を充実させるのを「自衛のための必要最小限のもの」と言うには無理がありそうだ。
 そもそも日米安保の条文の冒頭にあるように、この条約は、純粋に日本防衛のためのものだったことが重要だ。

第1条 国連憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。

 サンフランシスコ講和条約が締結されて日本が独立すれば、当然、占領軍は撤退することになる。しかし、すでに東西冷戦は深刻になっていたこともあり、朝鮮半島では戦争が勃発し、「共産主義国による侵略」は現実的な脅威となった。日本では、共産党が武力闘争・ゲリラ戦を進めており、「共産化」は国内的にも深刻な危機だったが、講和条約を締結する前に日本は現行憲法を制定していた。これが憲法9条の制定につながった。
 第二次世界大戦で日本はポツダム宣言を受諾して降伏したが、その主な条件は、日本の民主化と武装解除と軍国主義の排除だった。その際、日本の旧軍や右派勢力を過大視したGHQが、共産主義勢力に意図的に対抗するいみでもあって天皇制の維持を容認した。この権威主義の一部温存を容認する代わりに、日本側は米軍の常時駐留と日本の完全武装解除が求められた。これが第9条の実現となった。
 二次大戦の終了から5年という経過で、国内の民主化も当然、不徹底なままで、財政上の理由や国内外の不支持から、再軍備への切り替えは困難だった。「自衛隊」が誕生したのは、この情勢下での苦肉の策としてひねり出された産物だった。軽武装の「自衛隊」を設置して在日米軍と連携しながら、ソ連侵攻では第一撃を止め、米軍または、国連軍などの助っ人が来るまで防衛する構想だった。つまり、日本が攻略に持ちこたえる力を発揮して長引かせれば、後に米軍がやって来るぞという陽動作戦を使えば、ソ連は諦めて軍を引き上げるというものだ。吉田茂は日米安保を危機時の暫定的な施策と考えていたと思う。戦後、この同盟関係は続くが、当時の対ソ陽動作戦とは違う現代は、実に有事の想定が難しい。
 だからか、防衛省白書の来年度版がどういう記載になるのかが気になる所だ。

今日はここまで。まとめるつもりがグチャグチャになり始めたかも。第二次大戦を持ち出してくるとつい、防衛問題が憲法問題のようになってしまう。

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