息子の結婚(続)

 連休で、実家に行ってきた。実家から割りと近いところに住む息子を呼び出し、夕食を食べながら結婚について、息子の話を聞いた。電話で事前に話を聞いていたこともあり、特に新しい情報はなかったが、息子達にとっても目下の問題は、出産をどこで迎えるのか、仕事をこのまま都内で続けるのか、どこに住むのが良いかなどの決め事が、整理できないでいた。私が聞いたところで何か、決定打が出せるでもなかった。息子達が決め兼ねている問題のネックははっきりわからないが、意外だったのは、息子に、諏訪に戻って仕事を始めても良いという考えがあったことだった。それは、新たな選択肢でもあるが、これに迷いどころがさらに付随してくる。今すぐの話でもないが、東京に定住するつもりで住まいの問題を解決しようとする時、近い将来、諏訪に戻るという計画があるなら、無駄足を踏むような気もする。この話が出てきた時、私の実家に間借りができればとは思ったが、前回、別の理由で母に打診して大失敗に終わったことがまだ痛い。蒸す返しになるのは御免だと言う思いが強く残っていて、話を持ち出すのは止めておいた。

 少しつづ解決できることから進めて、駄目だと気づいたらやり直せば良いと、軽く構えることにし、息子達二人を見送った。

 家に入ると、母が自室から起き出してきて、話を始めた。

 なんと、息子達夫婦を受け入れ、部屋を提供しても良いという気になったそうだ。しかも、膝の故障を抱えているにも関わらず、自分の部屋を二階に移し、息子達に一階の住空間を全て使わせても良いというのだ。それは若い夫婦への配慮なんだろうとは思ったが、その必要があるかどうかは別にして、そこまで犠牲的精神を発揮する必要はないとは思った。

 この一月、息子との同居の提案には激怒した母が、頼みもしない同居を自分から言い出したのは、なんだか気持ちの悪い展開だ。詮索するのも変な話だが、後に蟠りを残さないためにも、この急な気変わりを私なりに分析しておく必要はありそうだ。

 母の性格で、ここまでプライドの強い人とは思いもしなかったというのに、年寄り扱いだけはされたくないというのがある。前回に激怒したのは、その琴線に抵触してしまったのだろう。誰が見ても年寄りの老婆なのだが、いくつ歳をとっても、年寄り扱いだけは嫌なのだろう。だが、自分からなにかをオファーするのは、過ぎるほどにやる人でもある。物を譲り合ったりするのは、屁でもない人だ。息子の同居は、その違いが如実に現れた格好の事案だった。

 そして今回私は母に、少し厳しいけど、「誰がどう見ても90歳近くなった老婆で、誰も母を当てになどしていないけど、面倒を見て欲しいと思っているわけでもないことは良くわかった。」と、話した。

 母のプライドの高さは、お婆ちゃん譲りで、考えてみると、母の兄弟は皆、同じだった。子供が大人に、生意気な口の利き方をするのにも厳しく、言葉遣いや態度を厳しく叱られたものだった。

 この話をしながら娘の運転で帰路についたのだったが、娘も私の推測に頷いた。そう言えばと、あれもこれもおかしいと感じていた母のリアクションの裏付けになった。妙に二人で納得してしまった。実際、年寄りなので、私や、私の息子や娘に何でも頼み事をしてくるが、それは、自分が年寄りを認めていない心とは裏腹の行為で、矛盾している。これが、年寄りの扱いの難しさだと思う。人の心と行動に一致性がないときは、何かが潜んでいて、歪んだ言動になる。高齢者が怒りっぽいと言う話をよく耳にするが、自分を受け入れるのが一番、苦手で苦しみになるのだろうか。

 何年か前、嫌というほど苦しみ、それによって何が一番の自分の苦しみかがわかった。それは、自分から逃げることだった。逃げて自分に蓋をしているだけで、その蓋を開ければ多くの苦しみから逃げてきた人生をどう精算し、受け止めたら良いのかを延々と繰り返さなければならないと思い込んでもいた。その苦しみを思えば、さらに、その蓋は二度と開けないぞと頑なな気持ちにもなった。その逃げが私には苦しみだったが、母は自分の蓋に気づいていないか、気づいているからあのように激怒するのか、どちらにしても母の問題で、私が踏み込む領域ではない。こういうのは、そっとしておくものなんだろうと思った。

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