2017年の正月

 やっと「仕事」が終わった。そういう印象が残った正月だった。暮れからそのゴタゴタが始まった。

 年始は、弟の家族と一緒に実家で過ごすのが恒例となっているが、いつもの年なら弟家族は元旦か二日にやって来てきていたのに、今回に限っては31日のみと予定が急に変わった。それを知ったのは、年末、25日に次男の引っ越しを手伝った後、実家で一晩泊まった時だった。長時間の運転と、眠気を避けるために少ししか取らなかった昼食のため、変な空腹があったのか、疲れ切っていたところに母が事前に呼んだ従姉妹の娘と弟家族が実家にいたのだ。母にしたら、私達姉弟に、昨年末亡くなった母の妹の孫に会わせておきたいという思いがあったのだろう。それは理解できるし、それに付き合うのも苦ではないが、私にしたらゆっくりできるものではなかった。母の自慢の餃子を振る舞うという段取りだったようだが、結局、それを手伝ってバタバタと過ごすことになった。その時、お正月は何が食べたいかと私の姪に話しかけた時、お正月ではなく、31日に来る事を知らされた。

 そういうことは早く知らせてくれないと私にとっては大変な予定変更になるのだが、皆さんはそんなことは考えない。正月料理はすべて私が作る事になっているため、諏訪に戻ったら大きく段取り変更となった。そのことが整理できないうちは落ち着かず、頭は冴え切ってしまった。できないことはしないまでの話だが、何ができるか、何ができないか、それすらはっきりしなかった。

 結局、夜中に起き出して諏訪には26日の早朝に戻り、黒豆や昆布巻きの準備に取り掛かった。ここから正月が「仕事」となったのだろう。皆のほころぶ顔を思いながら楽しく料理できれば良かったのだろう。「やるべき」という負荷がどこかにあったに違いない。二日に父のいる静岡・清水に料理を運んで正月を持ち込むというのが終わると、「私の仕事が終わった」と、やっと安堵した。

 自分の親が長生きするのは喜ばしいことだし、介護することもない、健康でいることにも感謝しているが、饗すというか、親孝行の真似事のようなことが何年も続くうちに、自分も年を取っていくことに気持ちがついて行かないと感じる年明けだった。気持ちに無理をして、「いつものこと」を維持しようとしているなと思った。この無理は、今年の暮れにはやらないことにしようと思う。

 父は、なんとか年越ししたが、「来週、誕生日で101歳になる」と、今年、7月に91歳になる父が話していた。痴呆も進んだと思ったが、まだ家族の顔はわかっている。極楽トンボな日々をおくっている父に何となく癒やされたのが幸いだった。

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