「ヘイトスピーチ」と「騒音規制」にまつわる判断の難しさについて

 日本は国連の人種差別撤廃委員会より「ヘイトスピーチ規制」の勧告を受けた。これに反応して、自民党は8月28日、「ヘイトスピーチ規制策を検討するプロジェクトチーム」を発足させ、高市政調会長がヘイトスピーチ規制に意欲的に取り組む姿勢を見せた。一連の騒動で印象的だったのは、国会周辺における街頭行動やデモ規制を示唆する発言だったが、左翼を中心に不穏な空気が広がった。私はこれをどう見て良いのか結論はなく、スタンスの取り方がはっきりしない。その上で、気になる点から考えてみたい。
 私のスタンスではっきりしている点もある。それは、「戦う民主主義」を標榜している点と、他の民主主義諸国と日本の協調の観点から、「ヘイトスピーチ規制」には消極的な賛成という点だ。
 わかり易い例としてだが、ナチスが反ユダヤ主義を掲げ、大衆の支持を得て権力を掴み、民族浄化のための大虐殺に至った経緯と、これに対するワイマール・デモクラシーの無力を思うと、未熟とはいえ、自由と民主主義を掲げる戦後日本の街頭で民族虐殺を声高に叫ぶことが「表現の自由」だと容認される事は脅威だと感じている。仮に行政がこれに規制するとして、現実的に何をどこまで取り締まるのか、この点については、戦前の治安維持法を辿った経緯に振り返ると、欧米諸国との比較で権威主義が目立つ日本において、ヘイトスピーチ規制がいとも簡単に言論弾圧や集会規制と転化してしまう可能性も否定出来ない。かと言って、行政の運用が信用できないから立法すべきではないとも言い切れない。何とも判断の難しさが胸にある。
 悶々としている中、高市氏の談話が発表された。

国会デモ規制 新法撤回 高市氏、批判受け方針転換
自民党の高市早苗政調会長は一日、人種差別的な街宣活動「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)の規制策を検討する党のプロジェクトチーム(PT)に関し「国会周辺のデモに新たな厳しい規制を設ける法的措置等は考えていない」との談話を発表した。PTは大音量のデモに対し法改正も視野に規制強化を検討することを決めていたが、批判を受けて方針転換した。
だが、デモ規制の強化は憲法が保障する「表現の自由」を侵す懸念が強く、市民らが反発。デモとヘイトスピーチをまとめて議論する姿勢への批判もあり、自民党にも反対意見が多数寄せられていた。
ヘイトスピーチに関しては、国連人種差別撤廃委員会が日本に規制を設けるよう勧告を出していることを踏まえ、高市氏は「表現の自由との関係も考慮しつつ、啓発活動の充実や法的規制の必要性も含め検討する」との方針を示した。(東京新聞2014年9月2日 朝刊

 この方針転換はなに?もうもう思考が付いて行かない。ここで自分のスタンスをちょっと置いて考えてみることにした。

高市氏の発言が左翼を不穏にしているのはなんだろうか?

 「党本部でも議員会館でも(騒音で)仕事にならない」(8月29日、中日新聞)と、自ら騒音問題として発言しているが、ヘイトスピーチ規制という街頭行動の内容の問題と混同しているのではないだろうか。人種差別と排外主義を公共の場で主張することへの規制問題だと言っているものが、同時に、「国会周辺における街頭行動」への包括的規制を述べれば、左翼でなくとも言論弾圧や集会弾圧という反発が生まれたゆえんではないだろうか。
 そういえば、秘密保護法案の審議中に石破氏がブログで「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と記述したのも問題視されたが、これも集会あるいは表現の自由と騒音の問題の混同によるものだったのではないだろうか。
 騒音が激しく大音量で近所迷惑という話に対して、石破氏や高市氏は「テロと同じ」「新法制定が必要」に結びつけたという話でしょう。だとしたら、これは見識不足ではないだろうか。というのは、「静穏保持法」でこれらの騒音を規制する法律があるからだ。「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」で、竹下内閣で制定されている。古い話になるが、1987年の「皇民党事件」がきっかけになっている。
 高市政調会長が今回、やる気満々になったのは、自民党政権時に議員立法として作った法律があるにも関わらず、さらに規制が必要という話なんだろうか?そして、すっかり忘れていたことを思い出して方針転換になったんだろうか?
 ここで深い溜息をやめて言葉に変えると、そもそも自民党の人材枯渇の危機なのか、知的劣化なんだろうか。
 で、昨日、「石破、高市、野田の3氏、「惜別」の自民三役、次の“マイウェイ”へ… 」(参照)この展開へとなったが、「ヘイトスピーチ規制」問題はどの方向へ行くのだか。

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