ここにきていろいろと思うこと

 私などは脇役的存在そのものであり、子供を育てている間も今もそうだと思ってきたが、それは私の立場からそう言えるのであって、心はそれとは違う何かを思っていた。その違う何かが始まったのは、パン屋を始める辺りからなんだと思う。ここでも以前、書いたと思うが、第二の人生というべきか、区切りをつけるとしたら、自立することへの始まりであり、一介の主婦から、社会人への切り替えみたいなものだった。それは孤独に向き合うことであったし、いつでも孤独である。

 お店を初めて間もなく、娘の二人目の子供の心臓に異常が見つかり、静養を兼ねた長期滞在という予定が、半年後には離婚となり、一時的なお客さんだった娘達親子は、同居人となった。つまり、私には、「主婦業」が舞い降りてきた。ここから少しずつ、心が変化し始めたのだと思う。

 生活状況の変化にも対応し、出来る限り、自分ができることは提供してきたが、体力的な衰えに伴って次第に疲れを感じるようになった。「まだできる」という気持ちと、長続きさせるためには、もう少し労働時間や量を減らすというものじゃないか。その思いを家族に伝えるものの、私が言うほどに理解されない。

 家事というのは、些細な片付けごとが大半であり、その連続性が家を正常に保つ元になると思うが、外で働く人達にとっては、一週間に一度、もしくは、月に一度の大片付けで済ませられるような質量となるのだろう、価値観のこの違いから結果的に、私の家事量が増えてしまう。

 この解決策とは、私の家事に対する姿勢を変えることなんだろうか。それとも、パン屋を止めて、主婦に専念することなんだろうか。外で仕事をする人は、家のことは何もしないで良いとも思えないが、それに積極的な姿勢などは示さない。

 色々な思いが巡る。

 私が一念発起で始めた事業を脇に置けるだろうか。孤独を抱えているなと感じる自分は、拗ねている子供のような姿かも知れないが、孤独も色々な思いも全て抱えながら、今日もまた、皆のお弁当を作っている。

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