トリミング

文房具屋さんと手芸屋さん

 文房具屋さんという響きがなんとも、懐かしい昔の風景を思い出させた。今はなくなってしまったが、私が通った小学校の裏門の正面に、着物を着たお婆さんが店番をしている小さな文房具屋さんがあった。正門の並びにも一軒あったが、そこは事務機器などを置く文房具屋さんで、子供はあまり寄り付かない店だった。小学校が移転したのと同時に、小さな店の方はなくなってしまったようだが、それを知ったのは、私が諏訪に嫁いでから随分年月の経った後だった。

 学校帰りなので当然、お金を持っていないし、お金を持って自ら買い物ができたのは確か、中学生になってからだった気がする。が、あの文房具屋さんには、夢が詰まっていた。消しゴム一つをとっても、子供ながらに「こんなの消えない。ただの遊び道具」とか、消しゴムに匂いがついていて、「甘いお菓子のような匂いのする消しゴムが目の前にあると授業中、お腹が空くじゃないか、却下。」とか、思っていた。あの道草みたいな感覚で行った文房具屋さんで、何かが私の中で育った。それが何なのか、はっきりしないが、子供が唯一夢を巡らす空間とでもいうか、とても大切な時間を提供してくれたと思う。

 最近の文房具はあまり知らない。息子の同級生の家業が文房具屋さんで、十年くらい前から私のパンを食べてくれている。週に一回、配達に行くけど、昔のように目がギラギラすることもなかった。なぜかなとよく考えると、そこは事務機器を含めた大人の文房具を販売している。あの正門の並びにあったような店だ。目に飛び込んで、訴えてくる文房具はない。

 文房具と並んで大好きだった店は、手芸屋さんだった。置物などを作る趣味はないが、実用的なセーターや手袋、帽子、マフラーなどをよく手編みした。それも好きだったのではなく、作って行く内にすっぽりハマったという感じ。

 毛糸をいろいろ見ている内に、組み合わせなどのデザインが脳内で決まるのが第一段階で、それをどんなセーターや手袋で表現するかと、第二段階に入り、編み物の本でデザインを決め、そこで母にねだる。交渉の末、やっとその本を買う。次に必要な編み棒などを買い、ゲージを編むことからその本で学んだのである。すべて手探りだが、小学校4年生くらいでミトンの手袋や帽子、マフラーをよく編んだ。母は、今でもナフタリン臭い箪笥にそれらを仕舞っている。ナフタリンだよナフタリン。これは昭和の香りだな。

 そういえば、私はこのような学び方をずっとしている。

 編み物教室や手芸教室、タイピング教室、パソコン教室など、私の下の世代は皆、通っていたが、私はすべて本で独学した。パンもそうだ。何か目的があると、それを勉強できる本を探しに最初は本屋に行き、それで足りないとなるとそれを専門にする人物の語りや専門書を取り寄せた。パン成型に至っては、パン職人が作業するのをずっと立って見て盗んだというのもある。

 大人になっても編み物は続いた。娘のセーターや子供たちの手袋はすべて手編みだった。そして、ミシンで洋服も作ってしまう。自作したものへの思い入れはあまりないが、手作りのそれらはどうも捨てられない。思い切って捨てたほうが片付く面もあると思うが、ずっと残るものである。取って置いたものを孫が使っているという、なんか恥ずかしいけど、私にはそういう面があるのだ。

 画像のチャコールグレーのアラン編みのカーディガンは、今でも来ている。もう25年前くらいのもの。

 ちなみに、カーディガンはどうしてカーディガンというのか、その由来が結構面白い(参照

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