諏訪湖花火大会またしても雨。そして、有意義な時間だった

イラン人のエナヤ・アスガリさんと、日系ブラジル人のセシリア・小林さんご夫婦は、近所づきあいの延長から、もはや、親しい友人でもある。昨日は、セシリアのEXハズとの間の長男、ウジソンの28回目の誕生祝いの食事をするというのでお呼ばれした。

ブラジルの家庭料理で、大勢集まるときなどに作ると言われている「フェイジョアーダ http://goo.gl/tTYYM 」(骨付き豚バラや生ソーセージとして有名なリングゥイッサと黒豆の煮込み料理)が、大鍋にどーんと作られた。これに、ケールの千切り炒めやオレンジ、みじん切りにした夏野菜のピクルスなどを添えて一緒に食すのだが、めっちゃ美味しい。こってりしているが、油っぽくない。

とにかく、昼から始まって夜9時頃まで延々と食べては休み、途中昼寝などもして過ごす一日となった。

このご夫婦は、来日してから20年以上になる。その年月から、今だから言うけど、みたいな昔話が飛び出して面白かった。その話の一部を書き留めておこうと思う。いや、大した話じゃないのだけど。

イランは米国の制裁によってインフレが凄まじく、ここ数年で物価が5~6倍になったらしい。加えてブラジルも、中間層の政府批判が膨らんで大規模なデモが長く続いた情勢あたりから推すに、これは先進国化した国の通る道かと思った。高度成長にともなって賃金格差が生じ、裕福な思いを一度すると、なんか、それ以下じゃヤーだよ、みたいな空気だ。そんな彼らが今悩んでいるのは、ブラジルに戻るかどうしようかだ。因みにご主人の母国、イランに戻るなんていう話はまったく出てこない。選択肢にも含まれていない。理由はもろもろだけど、一番は、治安とインフラの不備だろうか。

ともかく、ブラジルに戻りたい理由は、日本の給料が20年間まったく上がらないのがその論より証拠というか、ブラジルのインフレが賃金を押し上げてきた結果、物価は日本よりも高いくらいで、仕事もそこそこある。何しろ、彼らはショッピングモールのビルの一部のオーナーで、そこを貸事務所にしているため、家賃収入があるらしい。その資金は、日本で貯金して持って行った「円」だ。まあ、そういう余裕が近年は生み出せないという理由が一番と、家賃収入だけでもブラジルで暮らせるという第二の理由があるため、日本よりもむしろ祖国に戻りたいのだろうと思う。

では、なぜ帰国を悩むのか?日本の素晴らしさが捨てがたいというのだ。

日本の素晴らしさは、学校教育や医療が公平で、人に不満がないから人間が優しいと。こう評価されているのである。

ブラジルもイランも教育は受ける義務はあるけど、学校に通わせられないくらい貧乏だとかの背景があり、徹底されていないらしい。ブラジルでは、字の読み書きができない若者も結構多いらしい。特に顕著なのは、あちらでは貧乏人と裕福家庭の食べ物がまったく違い、買い求める場所も、路上市と高級デパートという差。日本は、貧富の差にあまり関係なく食べ物は大して変わらないものを食べているのが本当に幸せで、公平なのだという。海外生活の経験がある私にしてもそれは、同じ見識を持っている。

例えばの話で、中二になる彼らの息子の中学校登山でのことが面白い。生徒全員にお菓子袋が配られ、全員同じものを食べるように配慮されていたのに感動したというのだ。これには驚いた。いや、私の感覚では、それはホレ、あの配給だろ!皆同じが平等、みたいな感覚にうんざりしている私にしたら、公平=皆同じは不公平の元なんだよ的に感動する。

嗚呼、なんで日本は戦後の昭和の給食のようなシステムに戻るんだよ!て、内心、葛藤が起きてしまった。

彼らがその理由を語るので、気を取り戻して半ば我慢して聞いていた。

感動の理由は、誰もがお菓子を食べられるように学校がそれを配慮するのが素晴らしいということだ。

ここで私は学校がこれに何を意図したのか、その理由は知らないことに気づき、自分の思い込みをしばらく引っ込めて話に耳を傾けた。彼らが彼らなりのお国との比較で日本は素晴らしいと感じている。それはそれなんだなと思った。

人が、生きるためにために食べるという最低限のことも満たせないような環境で、学校に通える喜びやお菓子を食べる楽しみという感性すら眠ったままの子どもが世界には大勢いる。大人なら子どもには、お腹いっぱい食べたいものを食べさせてあげたいと願わずにはいられない。そういった気持ちから日本の学校を見ると、子どもたちは確かにとても恵まれている。

公平性の上での「配給」と嫌悪する私を恥じた。

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