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会社を辞めて理転して東大に入学した

 こんにちは。
 タイトルの通り、会社を辞めて、理転して、東大に入学した。何を言っているのかわからないと思うので、順序立てて書く。何かの参考になればとは思うが、何の参考にもならないかもしれない。寧ろその可能性が高い。

 かつて私は東京大学文学部の学生として、美学を学んでいた。美学とは哲学の一種で、「美しいとは何か」をメインに据えた感性学である。卒論はコントにおける笑いについて書いた。感性学なので、笑いもその範疇である。
 そして、某大手メーカーに就職した。正直激務だったが、裁量も十分に与えられ、比較的面白い仕事だったと思う。希望の部署にも配属されたし、特に労働環境に不満もなかった。ゴルフを強制されることもなかった。そして三年が経った。

 三年も経つと、落ち着いて周りを見ることができるようになる。一年目二年目はひたすら目の前の業務を斬り捨てるばかりだったが、またつまらぬものを斬ってしまった、と一度刀を鞘に納めて顔を上げる余裕ができた。周りを見るということは即ち、自分の立ち位置を知ることである。
 要するに、自分の人生はこれでいいのか?と考えた。ご存じかもしれないが、人間は死ぬのである。一瞬一瞬着実に死に近づいている。俺は毎日必死に仕事をして、どこに向かっているのか?

 自分のこれまでの人生を振り返ると、目標を持たないで過ごしてきたことはなかった。定期試験があって、学校行事があって、大学受験があって、部活の大会があって、コントライブがあって、常に何かに向かって努力をしてきた。それが会社に入ると、努力を傾ける対象がない。会社の目標はあるが、それは俺の目標ではない。
 俺は給料をもらっている身なので、それに値する労働を差し出す。それを利用して会社が目標を達成するかどうかは、最終的には「関係ない」と思っていた。俺は三年間務めた中で三度の異動を拝承した。俺が抜けた穴はすぐに他の労働力が埋めるし、俺も他の労働力が空けた穴を埋めることが出来る。これは仕事が属人化されていないということなので、組織としては素晴らしいことだ。しかし、裏を返せば、誰でもいいということだ。

 仕事だけが人生ではないが、人生の5/7は仕事である。誰でもできることに大半を差し出していて、俺はそれでいいのだろうか?と思った。ここにいて身につく能力は、どこまでいっても調整と交渉である。恐らくどこに異動になっても、転職をしても、相対する利害のバランスを取り、落としどころを見つけ、いい感じに納める、という本質は変わらない。
(尚、これは過度な一般化に過ぎない。映画を「オープニングがあって、本編があって、エンディングがあるだけ」と言ってしまうようなものだ。)

 こんな話を同窓会で高校の同級生にしたところ、「それは自意識過剰だよ。自分の価値を大きく見積もりすぎている」と笑われた。まさにその通りである。俺もそう思う。だが、まさにその通りなのだから仕方がないではないか。

 では何がしたいのか?重要なのはそれである。やりたい仕事はあるのか?自分を価値ある人間に育て上げるには、専門性を身に着けることだ。そうすれば「誰でもいい」人間にはならない。では何を学ぶのか?
 俺は、海について勉強したいと思った。突然の展開。

 大学受験の時に文系科目が得意だったので文系に進んだが、元々自然や動物が好きだった。その中でも、海の生き物が好きだった。釣りが趣味だったとか熱帯魚マニアとか、そういう熱烈なものではなく、水族館によく行くとか、たまに本を読むとか、映像を見るとか。その程度だったが物心ついたときから一貫して興味があった。だからまずは勉強してみようと思った。

 仕事の傍らで勉強を始めると、どんどん海の面白さにはまっていった。海は生命が誕生した場所で、栄養が溶け込んだスープである。陸の生き物は重力に縛られるが、魚は三次元的に水中に存在する。哺乳類の常識では考えられない生き物がたくさんいる。それに、海は全体で何千年もかけて循環しており、とても繊細かつダイナミックなシステムを構築している。俺はこれについて学ばないでは死ねないと思った。
 そして、勉強する中で地球環境が置かれている状況を知った。地球が作り上げた奇跡のシステムが人間によって破壊されている。人間の寿命は100年足らずなので、地球環境のことを考えるには短命すぎるのだと思う。まずは、単純に海のことを勉強したいという知的好奇心があった。そのうえで、それを守るために、少しでも何か貢献できれば本望だと思った。

 とにかくそういうわけで、俺は海について勉強するために東京大学に入ろうと思った。東大には学士入学という制度があり、一度大学を卒業した者であれば学部の三年生として入学できるのだ。もちろん試験はある。例えば文学部は他大学の卒業生でも受験できるが、農学部は東大の卒業生のみを受け入れていることがわかった。受験科目は「小論文・面接」と記載されていた。これは、何も書いていないに等しい。このあたりの受験に関する具体的な話も面白いのでまた今度書こうと思う。とにかく、どんな対策をすれば良いのか全くわからなかったので暗中模索の状態で勉強し、試験を受け、無事合格した。

 なので俺は2024年4月から東京大学 農学部の三年生である。皆がとっくに終わらせている人生の選択を、俺はやり直すことにした。まだ間に合うはずだと信じている。よろしくお願いします。

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