タラントのたとえから見る与えられた賜物を使うことと終末の論功行賞

人には、神様から与えられたリソースがあります。それは人の才能であったり、資質であったり、これまでの人生でどういう経験をしてきたのか、またその経験から神様はあなたのことをどのように用いたいと思っておられるのか、という部分です。

マタイの福音書25章において、この「与えられた賜物」を使うことと終末における報奨について、イエスさまのたとえがあります。この箇所から、与えられた賜物を使うことがなぜ重要なのか、ということがわかります。

マタイの福音書25章

1 そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。

2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。

3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。

4 賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。

5 花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。

6 ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

7 そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。

8 愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』

9 しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください』

10 そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。

11 その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。

12 しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』

13 ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。

14 天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。

15 彼はそれぞれの能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。するとすぐに、

16 五タラントを預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。

17 同じように、二タラントを預かった者もほかに二タラントをもうけた。

18 一方、一タラントを預かった者は出て行って地面に穴を掘り、主人の金を隠した。

19 さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと精算をした。

20 すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラントを差し出して言った。『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、私はほかに五タラントをもうけました。』

21 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

22 二タラントの者も進み出て言った。『ご主人様。私に二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、ほかに二タラントをもうけました。』

23 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

24 一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。

25 それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。』

26 しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。

27 それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰ってきたときに、私の物を利息とともに返してもらえたのに。

28 さから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。

29 だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。

30 この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』

31 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。

32 そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、

33 羊を自分の右に、やぎを左に置きます。

引用:Ⓒ新日本聖書刊行会 『新改訳聖書 2017』


この聖句の箇所が、神様・イエス様の御心そのものであり、私たちに期待していることがわかるかと思います。

可能な限り、自らのタラントを増殖する作業に邁進し、神様の期待に応えていきたいですね。

そうすることが、終末・死後の世界においての論功行賞において、私たち自身の身に帰ってきます。

私は、この肉の人生というのは、アブラハムがそうであったように、「寄留者」「滞在者」としての人生だという考えに立っています。

では、この肉の人生においては、何をするかというと、「イエス・キリストをまことの神と信仰する」「与えられた賜物を活かし、イエス・キリストの御心にかなうことをする」「イエス・キリストの来臨を待ち望み、兄弟姉妹を励ましたり、未信者に福音を伝える」この3つが個人的にはあがりました。

私は、まだまだ自分に与えられたタラントを使い切れていないと思いますが、冒頭のニワトリのように、与えられた賜物をなるべく使い切って、増やして天に携挙されたいですね。

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