「祝祭の後に僕たちはどう折り合いをつけるのか」
1.若さを終えてからの世界が本編
人は老いる。老いは身体的な老いと社会的な老いがあり、本書の出だしでは後者が強調されている。
高齢化社会の日本でマイノリティであるはずの若者は、その希少性ゆえに、以前にも増してその特権を享受するし、マジョリティのおっさんや高齢者はより、その存在価値や生産性を社会に提供できないと生きにくくなっている。
筆者は若い時からニートを続けて、その延長線上で惰性で中年に突入し、そこから決定的な突破口は見出せず(もとい見出す気がなく)、光のようなスピードで変化する現代と自分にどう折り合いをつけるかに葛藤する。
まさに、社会的老いの変換点を真正面に逆風で受けて、今のところ満身創痍といった状況である。
2.そもそも若さとはなんなのか
なんだ、詰んだのおっさんの泣き言かと20代前半の若者は次のnote記事へ行きたくなるだろうが、実はこの本では「若さ」を様々な角度から分析して、その本質に近づくヒントをくれている。
タイトルにもはっきりと書かれている通り、若さとは”パーティー”である。これは本書における非常に重要なフレームワークである。
例えば、痛みを感じない人は、そうでない人に比べてリアルに世界を感じれないだろう。
いくら食べても体調は絶好調、2日酔いも迎え酒で跳ね返せる、2徹しても翌日にパフォーマンスが落ちない。
そんな10代20代の万能感、超人感は、それはそれで素晴らしいことだが、そこで見えている世界は、長くは続かない。その先の数十年を考えると、いわゆる"ボーナスタイム"である。祝祭のあとにくる日常に僕らは生きているのである。
つまり、人は中年という劣勢に立って初めて真っ直ぐこの世界と向き合えるのである。そういった意味ではこの本は20代の若者にもなんらかの意味づけを与えてくれるだろう。
3.死を意識しなくなるとは
もう一つ若い世代に重要なヒントをくれている。
それは死に関する観念だ。
この本の特筆すべきポイントは、全世代に普遍的な「死」の概念を伝えるのではなく、たった40そこらしか生きていない一人の人間の独断に基づく、それでいて生々しい、手垢のついた、死を論じていることだ。
まだ、完全にはっきりと対峙したわけではない。しかし20代から漠然と感じていた生の対極にあるその何かを、あらためていま、優しく丁寧に扱っている。
筆者は同じ章でこう締めくくる。
若者の死生観は得てして、憧れや特別感をもって利用している側面はある。
ただそれが自分の意識の外側から、ふいに日々の暮らしのいたるところに見切れてくると話は違う。
僕たちはこの世に奇跡的に生を受けたかけがえのない存在ではなく、単なる有機的な個体でしかない。
個体には個体に見合った世界との関わり方がある。
そこで初めて僕らは死や生を再認識することだろう。
4.つまるところどうすべきか
まずこの本はビジネスやコミュニケーションのハウツー本でも、今流行りの生き方の啓蒙書からも程遠い。
エッセイというより日記。そしてダウナーの要素を多分に含んでいる。
筆者はおそらく、カルチャーや社会学などに深く精通している知識人であるにも関わらず、その全てを話してはくれていない。
問いかけもない。
感じたことしか伝えてくれない。
ただ、その風景や心情の描写が映画のように繊細に丁寧になされているため、筆者がいままさに知覚している40代中盤の世界観を共有できる。
共有はできるが、共感はできないかもしれない。
筆者は最後の章で「どうにか逃げ切りたい」という一つの自分の中の展望を示す。
逃げ切って?なんとなく死ぬ?って、それって多くの人が一番避けたい人生ではないだろうか。
きっとどこかでみんな行き詰まる瞬間がくる。
諦めることで見える価値観や景色がある。
人はそれをもってしないとどこかで一気に崩れる可能性がある。
変化していく時代、そのスピードよりもはやく鈍感になっていく自分。
そんな時、抗うでも全てを受け入れるのでもなく、程よい距離感でなあなあにする選択肢をもっておくこと。
「ニートが終わって普通のおじさんを始めた人の日記」
これは、
・いかに人生を最後まで全力疾走できるか
・いかに歳をとっても若くいられるか
などという本が溢れている現代で、一際異彩を放つ。
概要
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