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ナイチンゲールは本当に天使だったのか:世界の偉人篇

 特技とも言えないレベルだが、クローバーのしげみから四葉を見つけることと、どうでもいいことを記憶することだけは小さい頃から得意。高校の先生がリーダーの授業でぼやいたひとことなどを、同級生と逢って話すとみんなが「あー!」と思い出し、「よう覚えとうね!」と言われる。が、代わりに昨日食べたご飯のことは覚えていない。
 この「得意」はあまり人生で役に立っているとも思えないが、数字を覚えていることは、たまに役に立つ。まだガラケーのみぎり、友人知人の電話番号を空で言えたため、電話帳を開かず、チャリに乗って片手で11桁をプッシュし、画面を見ずに片手運転をしながら電話していたことを思い出す(危ないので良い子は真似をしないように)。

 す~しゃちょーとの付き合いは古くガラケー時代から知っているので、彼の古い電話番号も今の電話番号も空で言えるので気味悪がられる。
 一方、林田社長とは長年SNSでのやりとりばかりなので、一度も電話をかけたことがない。そもそも、たぶん彼の携帯の番号は登録すらされていない気がする。でも、不便はない。そのうち番号すらもなくなるのかもしれない。
 幼少期、ピアノのレッスンと調音をずっとやっていたため、絶対音感を持っている。これもあまり人生で役に立つことはないのだが、数字の列挙を見て記憶する場合、語呂合わせだったり、何かほかのことと関連付けていたりするので、音の要素もあるのかなとは思う。とはいえ事件に遭遇してナンバープレートを覚えるといった機会は、今のところはない。

劇場版名探偵コナン「戦慄の楽譜(フルスコア)」で、コナンは絶対音感を用いてダムの電話に発信音を飛ばすという超絶テクニックを披露してくれた。しかし、私はおそらく眠らされてダムに浮かべられるといった事件に遭遇することはないだろう。あってたまるか

 そんな私にとって、本日5月12日といえば、大学時代の友達・あっちゃんと、ナイチンゲールのお誕生日。

 ナイチンゲールはクリミアの天使って言われてるけどなんかそんなふわふわした天使みたいな人じゃないと思うんだけどだなぁと毎年思い返すのだが、今年はそこにちょっとだけエピソードがあるので、ほんとにちょっとだけお付き合い願いたい。

令和のナイチンゲール降臨

 先日、いつもお世話になっている取引先の方とLINEをしていて、
「色んな社長のお世話こそが後藤さんの真骨頂ですよね」
的なことを言われ、
「えぇ…令和のナイチンゲールと呼んでください。あんなはかなげな香りは1ミリもまとってませんけど」
と返すと
「現代のナイチンゲールは後藤さんみたいな人で正解です」
と返ってきて爆笑。

 しかし、ナイチンゲールは本当にはかなげだったのか。最後まで信念を貫き、決してあきらめなかったその姿は、どう考えても芯が強く頑固とすら言えなくもないように思うんだけども。なのに「はかなげ」と言ってしまうのは私のバイアスなのか。世の人々はどういう印象なのか。などと考えていたらすぐ夜になる。

ナイチンゲールとは

 ということで、Wikiを見てみよう。

 フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 - 1910年8月13日)は、イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者、「近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母」。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった。
 別称として、the lady with the lamp(ランプの貴婦人)の名がある。これは、日刊紙タイムズの1855年2月8日版に掲載された内容から名づけられた。  
 近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母。「光掲げる貴婦人」、「クリミアの天使」と称されており、病院建築でも非凡な才能を発揮した。
 クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。
 国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。
 ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学校を設立、これは世界初の宗教系でない看護学校であり、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。
 ギリシア哲学についても造詣が深く、オックスフォード大学のプラトン学者、ベンジャミン・ジョウェット(英語版)とも親しく交流した。

Wikipedia「ナイチンゲール」より

 クリミア戦争に赴いたナイチンゲール一行は、衛生管理を徹底するところから始めるという地道な活動を経て、現地の医療に貢献する。しかし彼女はあまり英雄のように扱われることを快く思っていなかったようで、帰国時は「スミス」という偽名で戻ってきたり、墓標もイニシャルにしたりと徹底した意志すら感じる。
 しかし多くの人にとっては、小学校の教科書や図書館にあったマンガ「ナイチンゲール」の記憶が大きいのではないだろうか。それらのパンチラインはクリミア戦争なので、どうしても前後の話は捨象されがちだ。
 そんな記憶と過去の学びからすると、歴史に名を刻む数少ない女性のひとり「ナイチンゲール」は、献身的な医療看護に尽力した人という印象になっているように思う。

だいたいこのイメージ。実際の看護師って物凄いよ。医療現場は戦場だよ。
しかしそこに、しなやかさと強さを併せ持ってるからこその看護師なんだよ。

 ゆえに、先のやりとりで「はかなげな」とあえて書いたわけだが、ここまで読んで頂いている女性陣がいれば、おそらく次の見出しの一文にアグリーしてもらえるだろう。

世の中に、か弱い女なんてほぼいない。

 そう、女同士の会話を一面のリアルとするなら、およそ「か弱い」「守ってあげたい」女など、世の中にはほとんど存在しない。みんな強い。色んな意味で強い。フィジカルで弱い部分はあったとしても、メンタルで男性に比べ弱いというデータはたぶんないと思うのだが、どうしても「弱いのに頑張った女性」または「男勝りな女性」という二項対立フラグが立つのはなぜなのか。

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Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

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