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私が橘玲さんの「人生は攻略できる」を胡散臭く感じてしまう理由

※タイトルで誤解を招くといけないので、先に弁明しておくと、この「人生は攻略できる」自体の内容が胡散臭い、というわけでは全くありません。

むしろ、これまでの著者の発言が丁寧、簡潔にまとめられていて特に高校生や大学生といったこれからの時代を生きる上で大切な考え方が、随所に見られます。

数日前、「人生は攻略できる」の書評を書きました。

私が「胡散臭い」と感じた原因は内容ではなく、別のところにあります。それは、

「匿名で活動を続けている橘さんが、積極的な人生論を語っているように感じた」

ということに対してです。

これまで橘さんの本をかなり読んできた私が、橘さんの主張に一貫して感じていたこと。それは、

「事実+ネガティブな主張」

でした。

上記については過去に橘さんも言及しておりました。

私がここで書いてみたのは、「日本人の人生はどのような制度的・経済的要因によって規定されているか?」というネガティブ(消極的)な人生論である。その土台(下部構造)の上にどのような夢(上部構造)を描くかは、あなた次第だ。
知的幸福の技術  橘玲著 Frequently Asked Questions よくある質問とその回答 橘さん、あなたは誰ですか? より)
※太字は全て筆者による

そして、それらの主張通り、下記のような本でも、橘さんの主張は一貫しています。

言ってはいけない

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方

”私は誰も言わない(言えない)事実を書いたが、そこからどのような人生設計をするのかは全て自分自身である。”

私は、この言葉から、どこか読者と著者の距離が遠く離れているような印象を受けます。

ただ、橘さんがこういったスタンスで執筆活動をするのにはある理由があります。

その大きな理由の1つは「匿名で活動している」ということだと思います。
(※橘さんとはもちろん話したことはありませんので、完全な憶測です)

これまで橘さんの本を読んできた方だったら既知だと思いますが、「橘玲」という名前はペンネームであり、顔写真も掲載されておらず、公表されているのは生年月日くらい。

また、テレビ出演や、対談なども全く行っておりません。

        (twitterのアカウントもイラストです)

その理由を橘さんは以下のように説明しています。

「自分の知らない人が私のことを知っている」という非条理な世界が気味悪いからだ。
②プライバシーというのは、いったん失えば二度と取り戻すことはできないという際立った特徴を持つ貴重かつ稀少な資産だ。インターネットの登場によって、個人情報の公開から生じるリスクは飛躍的に高まった。誰だって四六時中、不特定多数の人から監視される生活には耐えられないだろう。
(①、②とも知的幸福の技術 上述した箇所と同じ)

そして、匿名で発信するという身勝手を優先する以上、

①自分自身の体験のみから語ること。
②制度を批判することはあっても、それを担う個人を批判しないこと。

といった制約を設けているそうです。

精神論ではなくあくまで事実ベースで話し、また「こう生きるべき」という発言をしないことにより、匿名で発言することとの絶妙なバランスを取っていたのだと思います。

私も橘さんの「プライバシーは一度失うと決して取り戻すことはできない」という主張には賛成です。

最近、飲食チェーン店で高校生アルバイトが不適切な動画を上げることが立て続けに起こる事件が起きました。私がこの事件で一番驚いたことは、高校生のレベルの低さとかではなく、問題を起こした生徒の身元特定の早さでした。

たしかに不適切な行動をした高校生の行動は許されるものではありません。

ですが、それと彼らのプライバシーを侵害することは、別の問題であると私は思います。彼らは文字通り社会的に抹消されてしまいました。


ところで、私が生まれたのは1997年です。そのころはもちろんスマホなんてありませんでしたし、写真なんて家族旅行に行ったときに数枚取る程度。

また、私は生まれてすぐから3歳くらいまでの自分の顔を見たことがありません。昔、自分の生まれたばかりの顔がふと気になって親に写真を見せてくれるよう頼んだ記憶があります。

その時の親の返答は、「どこかにしまってあると思うから、探してみるね」でした。それから何度聞いてみても、同じ返答。
もしかしたら、撮ってすらいないのかもしれません。

ひるがえって、今日生まれた子どもたちはどうでしょうか。

最近twitterなどで、生まれたばかりの子供の写真とともに出生報告をする方をたまに見かけるようになりました。

また、スマホとSNSの普及で写真を撮るという行為が特別なものではなくなりました。子どもたちが大人になるまでに撮られる写真の枚数は多い方だと数万枚に到達するのではないかと思います。

「プライバシーは稀少で一度失ったら取り戻せない」

この事実を重く受け止めている親が、ネット上に写真をあげないように注意しても、子どもたちにはもう一つ大きな関門があります。

それは、「学校」です。現在は小学生でもスマホを持っていることがあると聞きます。

学校という「伽藍」の中で、プライバシーを理由に写真に写りたがらない子供なんて、他の子供から理解されず、最悪の場合、いじめのターゲットになってしまうかもしれません。

子どもたちが、親の言うことを聞くことと、イジメられる可能性、どちらを重く捉えるか、答えは決まっています。

これらのことから導き出せること。それは、

「私達はプライバシーを捨てたのではなく、親や友達によって捨てられた」

ということ。

こういった若者世代を仮に「プライバシーフリー」と呼びます。

匿名性は個人の生活に大きな利益をもたらすから、それを失うにあたっては、リスクを上回る十分なリターンがなければ帳尻が合わない。
芸能人やスポーツ選手など、プライバシーの放棄が前提となる職業が前提となる職業が高額の報酬に値するのは、成功の代償として失うものがあまりに大きいからだ。私の場合、それほど有名になれるわけでもなく、経済的利益も微々たるものなので、プライバシーという大きな財産を手放す気にはなれそうもない。
知的幸福の技術  橘玲著 Frequently Asked Questions よくある質問とその回答 橘さん、あなたは誰ですか? より)

SNSが普及する前は、確かにプライバシーを放棄せざるを得なかった人はほんの一部に限られていたとは思います。ですが、今では状況が異なります。

プライバシーの放棄と社会的な成功は全く釣り合っていないのです。

そんな時代でプライバシーフリーが取れる戦略。それは、

プライバシーを失うことに怯えるのではなく、進んでネット上に出て、自分を表現すること。

プライバシーを放棄した時点でマイナススタートなら、誰だってもとを取りたくなりますからね。

先述した不適切行為を行った高校生たちも、その延長線上にあったと考えています。

ここ数年、SNSを利用したことによる犯罪に巻き込まれる学生の数が増加の一途をたどっており、マスコミでも、犯罪に巻き込まれる学生を減らすため、注意を呼びかけています。

そして、それに感化された親が子供にSNSの利用を控えることも当然出てくると思います。

ですが、私はこれに対して強烈な違和感を抱きます。

彼らは、「プライバシー」というこれまで存在してきたカードを捨てられた上で、最善の対策をしているだけだからです。

プライバシー自体が一度失ったら取り戻せないという不可逆の性質を持つ以上、この傾向は今後も拡大していくでしょう。

そんな時代において、プライバシーフリーがやるべきことは、いまさらSNSを制限するのではなく、犯罪に巻き込まれないよう賢くなることです。

「個人主義」がパワーワードになったり、小学生のなりたい職業ランキングで「Youtuber」が一位になったり、、、

私は個人の名前で発信したり、活動をすることは良いことだと思います。

なぜなら、実績や信用が個人に溜まっていくからです。
いざとなったら会社も国も助けてくれないこれからの社会においては特に。

半ば強制的にプライバシーを捨てた、と書くとネガティブに捉えられてしまいそうですが、プライバシーフリーは、それと引き換えに匿名で活動する人が絶対に持ちえないものを獲得することに成功しました。

それは「信頼」です。

私たちは「速い思考」によって、よくわからないものに対して警戒するようにできています。そしてプライバシーが「ある」ことに慣れて「ない」世代ほど警戒心は強いと私は考えます。

橘さんのような方は、書籍というこれまでの実績が十分にあるので別として

考え方としては、twitter上で匿名で年収数千万と書かれた人が人生論を語ることに対する「胡散臭さ」、「薄っぺらい感」に近いです。

それは、橘さんの言葉を借りれば、"荒唐無稽な体験をでっちあげ、気宇壮大な人生論を語る”こともできてしまうから。


...前置きが長くなってしまいました。すみません。


今回の本は「人生は攻略できる」という題名で、

攻略編1~3にわけて、それぞれ①お金、②仕事、③愛情、友情の観点から話しています。

内容自体は、特段これまでの話と全く違うことを言っているわけではないので、私自身どうして胡散臭く感じるのか理由がわかりませんでしたし、非常に不思議な感覚でした。

読み返してみたり、いろいろと考えてみた結果、現状2つの結論に達しました。

主張のあちこちにこちら(読者側)に寄り添った発言が散見されること
(これまで)   こういう事実がある
 (今回)   こういう事実がある→「だからこうしよう」


匿名で活動されている方が、こちらを向いた発言をしてくれればくれるほど、変に警戒してしまい、その結果胡散臭さを感じてしまうのかもしれません。

もしもプライバシーフリーの他の人が私と同じような感覚になると考えた場合、橘さんの主張は、その内容の如何を問わず、ある種の胡散臭さを伴ってしまうかもしれません(考え過ぎなのか...)

その結果、本来のターゲット層である若者ではなく、すでに橘さんの本を何冊も読んでいて、今回の本でも何かしらの気づきを得たがっている40~50代のビジネスパーソンが読んで、

「なんか聞いたことある話ばっかだなあ...」

というミスマッチが起こってしまっているように感じます。

本書の内容自体は、私達の世代に非常にためになる内容であるがゆえに(もし私が今回話した推察したミスマッチが起こっているとしたら)非常に残念だなと思います。

...と、ここまで知ったかぶりで話してきましたが、私の発言については憶測の部分がほぼ100%です。

あ、あと言いそびれましたが、プライバシーを捨てている人は若者だけでは全くありません。(当たり前ですが)

40~50代で実名で活動されている方も、10代で匿名で活動されている方どちらもたくさんいます。

今回の発言は、SNSの利用率は若年層になればなるほど利用率が高く、年齢が上がれば上がるほど勤めている会社の社名が自分の名前になる方が多くなる傾向がある、という私の主観、偏見に過ぎません。

時間はかかりましたが、自分なりの結論が出て、個人的にはスッキリしました。

ただ、北京滞在中の気づきをまとめるつもりが、この理由を探していた関係で、全然まとめられておりませんでした。

これからペースを上げてまとめていきたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

それでは。


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