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#6 すずめの戸締まり見たゴブリン

本記事は映画「すずめの戸締まり」のネタバレを含みます
続きはご自分の判断でお読みください

ゴブリンモード(「ゴブリン」とは、ヨーロッパの民間伝承に登場する伝説の生物・悪魔。気難しく悪さばかりする)はその延長線上にあり、深夜にSNSを延々とスクロールしながらポテトチップスを食べるような自堕落なスタイルのことを指す。

Lobsterr Letter vol.154









多くの人が感想やレポートを書かれると思うので、私は個人的に気になった「だいじん」(以降、便宜上ウダイジンと呼びます)についての考察を書こうと思います。

物語の終盤ウダイジンはすずめに向かって「だいじんはね-すずめの子には なれなかった」と言います。
これは冒頭すずめがウダイジンに向かって言って「うちの子になる?」につながる発言ではあるが、ウダイジンが何者なのかを考えながらもう一歩踏み込んで考えてみたい。

まず、ウダイジンはとてもすずめに懐いているように見える。
これは先程も書いた冒頭のすずめの発言や、すずめが要石を引き抜いたことからかもしれないが、ウダイジンはすずめを知っていた説を唱えたい。

常世にて幼少期のすずめは成長したすずめから脚が一本欠けた椅子を受け取る。
映画では明確に描かれていないが、小説ではこの椅子は草太が入っていた椅子ではなく、すずめの幼少期に津波で流された椅子だと書かれている。
津波に流されて脚が一本欠けた椅子を常世で拾ったのだと。

この常世に流れ着いた椅子の欠けた一本の脚がウダイジンだと考える。

そう考えるとウダイジンがすずめに懐くことは納得でき、ウダイジンは要石になって10数年であり気まぐれな神様とは言え幼すぎることの説明もつくかなと。
もっと言えば「だいじん」という名前も幼いすずめのタイムカプセル「すずめのだいじ」ともつながりを考えたくなってしまう。

ということでウダイジンはすずめが常世に置いてきた感情というか思いの一つなのかなと。

ウダイジンはすずめのことが好きだし、それはすずめのだいじの一部だったから
でもそれは常世に流れてしまったものでもう失ってしまったもの。
物語序盤のすずめは、いつ死んでもいいかのようなふるまいから、まだ過去を受け止めきれていない。
その思いがウダイジンとすずめを繋いだ。
そして旅を通して大丈夫だと幼いすずめに語りかける。
その時点でウダイジンは役割を終えた。

と、思いのままに書いたので結構無理やりなんですが、また整理できたら加筆・修正しようかなと思います。

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