〜気ままなエッセイ集〜 一つに打ち込むことを美徳とする文化について
何か一つのことに打ち込むことを美徳とする文化があるように感じる。日本独特なのか、世界共通なのかは分からないけど。
確かにその生き様は美しいし、何かを粘り強く続けた先に得られる知恵があるのは紛れもない事実だ。
科学者にしても、起業家にしても、芸術家にしても、思想家にしても、世界を変えるようなうねりを起こす人は、軸足を置く専門分野での長く地道な研鑽を経ていることが多いだろう。
逆に世の中の流行を追いかけて、興味分野や仕事をコロコロと変える人間が産み出す価値はたかがしれている。そういう側面は確かにある思うし、自分の過去を振り返っても、時勢にあやかろうとする目的での意思決定は今思えば愚かであったように思える。
ギフテッドの子どもの特徴として、飽きっぽくて興味の対象がコロコロ変わってしまうことがよく挙げられる。これがネガティブな特徴として語れることが多い。
しかし彼らの興味の移り変わりは、必ずしも世の中の流行を追いかけるものではない。自分の興味、感性、理想を追求した結果として、興味の対象が特定の分野に収まりきらない、そんな風に私には見える。
確かに一つのことを地道に続ける辛抱強さがないと何も為せないのは事実。理想を追い求めるあまり現実を置き去りにしていては本末転倒のようにも思える。
しかし共産主義の思想を打ち立てて、良くも悪くも社会を大きく変えたカール・マルクスは、哲学、経済学、政治学、果ては自然科学に至るまで幅広い分野を渡り歩きながら、共産主義という思想体系を練り上げた。
もちろん理想を実現にするために粘り強く現実にアプローチする人も当然必要である。その一方で多様な興味関心から物事を広く浅く学び、大局的な視野を持ってあるべき理想を描く、そんな人間も必要ではないだろうか?
そんな人間の価値が認められる社会になって欲しいという願いを胸に、今日も少しづつ前に進みます。
それでは、また。
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