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〜気ままなエッセイ集〜 変なら変でいいし、普通なら普通でいい

「自分は”普通”に生まれたかった」

学校に適応できず生きづらさを感じているギフテッドの子どもがこんなことを言うのを何回か聞いた。

確かに学校では普通であることを求められる。

先生の言うことはきちんと聞き、出された宿題はちゃんとやってくる。そういう子どもが認められる学校という社会では、興味があることがマニアックだったり、自分の意見を強く持っている子にとっては、自己肯定感を削られることがあるかもしれない。

しかし”普通”であれば人生幸せなのか?と言われたら全然そんなことない。

大学生になって、就活とかが始まった途端に、あなたの興味があることは何か?、あなたの強みは何か?とか色々聞かれ始める。

そこで多くの人は、自分には際立った特技もなければ、強く興味を持っていることもないし、それをとことん追求した経験もないし、、と悩む。

ちなみに京大というコミュニティは変であることがむしろ尊敬されるようなカルチャーがある。

その中で僕自身も、とりあえず学歴が得られればいいやと至極普通の動機で高校生活を送ってきた自分にちょっとコンプレックスを感じていた。

でも社会人に片足を突っ込んで働いてみて思うけど、あれこれと深く考えずに言われたことを素直にやれる、みたいな人材も組織において必ず必要だし、それも一つの才能だよなぁと思う。

だから、変なら変でいいし、普通なら普通でいい。

結局のところ配られたカードで戦うしかないし、それが弱いと嘆いても仕方ない。

その自分の強みを最大限活かせる戦い方を模索するためには、自分と他者を深く知るしかない。

その意味で、他者を、そして他者が織りなす世界を広く知った方が良いし、それを通して自分を深く知れる。

そんな教育が作りたい。

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