大人になったノリック

 日本グランプリは、阿部典史のためにある。'94年には、鈴鹿サーキットで劇的なGPデビューを果たした。そして歓喜の涙でぐしゃぐしゃになった'96年の優勝。ファンも、そして阿部自身も、あのレースの再現に期待しているのだ。……もっともそれは、阿部がまだあの1勝しか挙げていないことを際立たせるのだが。

 '98年の日本グランプリは、阿部(Yamaha Team Rainey)にとって散々なレースになってしまった。決勝12周目、テールを振られた岡田忠之(Repsol Honda)のマシンと接触し、コースアウトしたのだ。どうにか復帰したものの、それ以降はリズムを崩した。

 岡田はレース後の表彰台上のインタビューで、そして記者会見の場でも、真剣な表情で阿部に詫びた。

「ちょっと失敗してリアタイヤが滑っちゃってね。何とか立て直したけど、アウトにはらんだ時に阿部にぶつかって……。悪いことしちゃった。後で謝りに行こうと思ってるんですよ」

 首位のマックス・ビアッジ(Marlboro Team Kanemoto)が独走態勢を築いてからは、阿部、岡田、そしてワイルドカードで参戦していた芳賀紀行(Yamaha Racing)の三者が、2位の座をかけて激しいバトルを展開していた。阿部と岡田の接触は、サイド・バイ・サイドの接戦の中での出来事だ。やむを得ないレーシングアクシデントに見えたが、その割に岡田の謝罪の仕方は真摯だった。

 やはり「日本グランプリは阿部のもの」という空気が鈴鹿サーキット全体を覆っていたのだ。岡田の「悪いことしちゃった」は、阿部への詫びということ以上に、阿部に期待していた観戦者たちに謝ったかのようだった。

 岡田と芳賀に引き離された阿部は、17周目のデグナーカーブでアレックス・クリビーレに押し出され、再びコースアウトしてしまう。ランオフエリアを直進し、「どすん」と真っ正面からタイヤバリアに突き刺さるマシン。転がり落ちた阿部は、天を仰ぎ、拳を地面に叩きつけ、タイヤバリアを蹴って怒りを露わにした。

 ライダーのそういう動作は、ヘルメットを被って頭が大きく見える分、何だか子供がダダをこねているようで、妙にかわいい。荒れる阿部の様子をモニターで眺めていたチーム監督、ウェイン・レイニーも、リタイヤしかねない状況なのに軽く笑顔を浮かべている。「あいつ、まだ若いなあ」とでも言いたそうな、兄が弟に向けるような優しい眼差しだった。

 阿部がコースアウトした瞬間、プレスルームは「うわぁ……」という暗いため息に包まれた。しかしレイニーの表情がモニターに映し出されると、あちこちから小さな笑い声が聞こえてきた。感情を剥き出しにする阿部と、あくまでも穏やかなレイニーとの対比が呼んだ、爽やかな笑いだった。ポジションを大きく落としてもなお、阿部は間違いなく日本グランプリの中心にいたのだった。

「アウトから抜こうとしたらアレックスがグーッと僕の方に寄ってきて、行き場がなくなっちゃったんですよ。あそこのランオフエリアは砂が深いからコントールできなくて、タイヤバリアに突っ込んじゃった。
 あれはねぇ、日本グランプリじゃなくても怒りますよ。岡田さんのはしょうがないと思う。でも、アレックスのは頭に来ましたよね。結構あそこ、スピード出てるんですよ」

 レース後、しばらく時間が経ってからピットで会った阿部は、もうサバサバした表情をしていた。胸にチームのロゴマークが入った真っ白いYシャツが冷たく光る。だが、言葉はまだ熱を帯びている。

「どすん」で、これはリタイヤだろうと誰もが思った。しかし阿部は壊れたマシンに跨がり、再スタートを切った。

「オフィシャルがマシンを押すのを見てたらまっすぐ転がってるから、これはイケると思って。スクリーンがなくなっちゃってて、ストレートなんか伏せてるだけで精一杯なんですよ。前なんか見てらんないの」

──完走はしたけど、悔しいね。

「ホントは日本グランプリは特別だから、勝ちたかったんだけど……。何もなければ、絶対2位にはなれたレースなんですよ。でももう終わったことだからね」

 話している間、阿部は何度か「日本グランプリは特別だから」と言った。表情はさっぱりとしているだけに、余計に悔しさが強調される。

──芳賀紀行選手と一緒にバトルしてみて、何か感じたことはあった?

「ワイルドカードでしょう、芳賀くんは。だからレースの組み立てとかが全然違うんですよね、レギュラーのライダーと。何でこんなところで無理に抜くんだろう、とか。もっとスムーズに抜けばいいのに」

 僕は、'94年日本グランプリにゼッケン56を付けて出場した阿部を思い出していた。勢いにあふれた走りでさんざん上位陣を引っかき回し、一時は優勝を期待させ、派手に転倒リタイヤし、世界への切符を手に入れた劇的なレースだ。あの時、シュワンツは、ドゥーハンは、阿部についてどうコメントしていただろう。あれからもう4年も経つのだ。

 ちょうどその時、岡田が阿部のピットにやって来た。
「ごめん、ごめんな!」
 阿部の手を取り、握手する。ふたりともニカニカと笑っている。
「おめでとうございます」
が、阿部の第一声だった。岡田の2位を祝っている。
「いや、ホントにごめんな」
「しょうがないっすよ、アレは」
「いやホント、悪かったよ」
「いいっすよ、岡田さんには次は勝てるから」
 岡田はニカッと笑い、
「おう、どーんと来いや」
 胸をどん、と叩くとそのまま去って行った。

「岡田さんには」という阿部の言葉が、少し気になった。それにさっきも「絶対2位にはなれた」と言ったが、「絶対優勝できた」とは言わなかった。独走優勝したビアッジには、まったく手が届かなかったのだ。

──ビアッジ、開幕戦から抜き出た感じがするけど、この後も手強そうかな?

「うーん……。っていうか、勝たなきゃダメなんですよ」
 阿部は少し硬い笑顔を浮かべた。

──マシンの仕上がりからすれば、去年に比べて優勝は近付いたでしょう?

「去年は自分の走りができるマシンじゃなかったですからね。今年はすごく良くなってますから……」

──じゃ、勝てる?

「っていうか、勝たないと……」

 阿部の肩にのしかかっている重圧が、ひしひしと感じられた。何も考えず、闇雲に突っ走っていればよかったノービスの時代とファクトリーライダーの今とでは、抱えているものの重さが違う。

──ね、くだらないことを聞きたいんだけど、その髪型はなんて言うの?

 阿部はトレードマークだった長いストレートヘアに、ホワッと広がる細かいパーマをかけていた。その髪型の名前を僕は知らない。

「これですか? ワッフルヘアって言うんですよ。去年の11月ぐらいにかけたんですけど」

 ずいぶん大人っぽく見えるね。そう言おうとして、僕は言葉を飲み込んだ。それが彼にとって褒め言葉になるのか、分からなかった。

(1998年5月に書いた記事を加筆修正したもの)

1998年 日本グランプリ決勝リザルト(4月5日・鈴鹿サーキット)
Race Classification
1位 M.ビアッジ(Marlboro Team Kanemoto/HONDA)
2位 岡田忠之(Repsol Honda/HONDA)
3位 芳賀紀行(Yamaha Racing Team/YAMAHA)
4位 A.クリビーレ(Repsol Honda/HONDA)
5位 難波恭司(Yamaha Team Rainey/YAMAHA)
6位 青木宣篤(Suzuki Grand Prix Team/SUZUKI)
7位 A.バロス(Honda Gresini/HONDA)
8位 C.チェカ(MoviStar Honda Pons/HONDA)
9位 S.クラファー(Red Bull Yamaha WCM/YAMAHA)
10位 S.ジベルノー(Repsol Honda/HONDA)
11位 K.ロバーツJr(Team Roberts/MODENAS KR3)
12位 D.ロンボニ(Muz Roc Rennen Sport MUZ/MUZ)
13位 J.コシンスキー(MoviStar Honda Pons/HONDA)
14位 阿部典史(Yamaha Team Rainey/YAMAHA)
15位 J.ボルハ(Shell Advance Racing/HONDA)
16位 F.カルパーニ(Team Polini Inoxmacel/HONDA)
Not Classified
M.ドゥーハン(Repsol Honda/HONDA)
S.ジンバート(Tecmas Honda Elf/HONDA)
S.スマート(Team Millar Honda Britain/HONDA)
J.ファンデンゴア(Dee Cee Jeans Racing Team/HONDA)
M.ウェイト(F.C.C. TSR/HONDA)
北川圭一(Suzuki Grand Prix Team/SUZUKI)
Not finished first lap
G.マッコイ(Shell Advance Racing/HONDA)
R.ワルドマン(Marlboro Team Roberts/MODENAS KR3)

https://www.motogp.com/ja/videos/2009/05/11/%E9%96%8B%E5%B9%95%E6%88%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%EF%BC%A7%EF%BC%B0-motogp-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9/91230

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?