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二輪レースを感動ポルノに

もともと感動屋の泣き虫なので、映画でもテレビ番組でも何でもかんでもよく泣く。というわけで、北京五輪もとにかく泣いた。

誰かがメダルを獲っちゃ泣き、獲らなきゃ泣き、という具合で、つまり常時泣きまくりだ。五輪そのものについては複雑な思いや考えがあるけれど、スポーツという行為自体は本当に素晴らしいと思う。

報道の仕方など「感動ポルノ」などと揶揄されることも多々ある。安っぽい、という意味合いで使われる言葉だが、メディアの端っこにいる人間としては、「おいおい」と思う。人を感動させることの難しさを知っているからだ。

ポルノにしたって、のべつまくなし欲情するものではない(思春期の若者は例外)。欲情を掻き立て、本当に手を伸ばさせ、作品と呼ぶにふさわしい品質のポルノがごく一部でしかないことは、ポルノの大海を知る者なら誰もが頷くだろう。

僕が仕事で携わっている範疇で言えば、バイクのレースなどはもっと人を感動させることができるコンテンツのはずだ。少なくとも感動屋の僕は何度も取材現場でリアル涙を落としている。だが、二輪メディアのレース記事で泣いたことはない。つまり、感動ポルノにすら仕立て上げられていないのだ。

二輪メディアは、感動とは違うところにレースの価値を見出す。レースのタイムやらマシンの変更点やらといったマニアックなネタだ。それは確実にマニアに響くが、逆に言えばマニアにしか響かない。

根底にあるのは、「二輪メディアなんかもともとマニアしか読まないから、それでいいのさ」という考え方だ。確かにそれが正解なのかもしれない、と思うこともある。

だが、でも、しかし。一応はメディアだ。二輪メディア、という時、僕は「二輪」ではなく「メディア」に力点を置きたい。そして感動を含めたいろいろの意味での情報を、より多くの読者に届けたいと願うのが、メディア作りの純粋な動機だと僕は思っている。

読者をマニアに絞る必要はどこにもない。ことレースというスポーツに関して言えば、もう少し人の心を揺さぶるような記事作りはできないものかな、と思う。できるはずだ、と思っている。自分は、そういう思いを持って仕事にあたっているつもりだ。

二輪メディアが、より多くの人に感動してもらえるような作り込みをすれば、二輪レースももう少し注目されるんじゃないか。バイク乗り向けの二輪メディアの中でさえ「二輪レースはネタにならない」と諦められているが、本当だろうか。興味深く面白い物語を提供できれば、レースに目を向けさせることができるのではないか。

「いやいや、そんなに甘いものじゃないよ」

分かる。分かってる。でも、とりあえずは感動屋の僕が泣けるぐらいの記事を見せてほしいと心から思う。「どうせ二輪レースのことなんか、好き者しか分からない」と諦めないでほしい。好きじゃない人を好きにさせる、ぐらいの心意気で制作に臨んでほしい。高品質なポルノと同じぐらい、誰もに響く表現をめざしてほしい。

自戒を込めて。

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