甘い名言に寄り添われて逆に目が覚めた話

一昨日のこと。

日がなダラダラしてスマホやDSをあてもなく触っていたら夜も深くなっていた。毎晩の習慣であるエクササイズの開始時間がすぎている!いかん!と、立ちあがろうとしたらお尻に根が生えていた。

エクササイズ、億劫だ。

サボりたい。

このままお風呂に入って寝てしまおうか。

という決断をするのも面倒でぐじぐじとした気持ちでなんとなくTwitterを眺めていたら、出た。来た。何万いいねもついているネットを飛び交う名言、そこにほしかった答えをみつけた。

「がんばりたくないときは、がんばらないでいい。それでもがんばろうとしている自分に負けないで」

「とことんダラダラして一度底まで落ちたほうがいい。そうしたら自然に上がってくるもの。大丈夫」

「やらなければ」と「でもやりたくない」の間で揺れて緊張していた心がほわっと緩んだ。

なんてやさしい言葉。私はいま、がんばりたくないんだから、がんばらなくていいのかな。

じゃあ、エクササイズなんかしないで、いっそお風呂もスキップしてこのまま寝てしまおうか。

そうしようか。

気持ちは9割方決まりつつも、こうなると寝る準備さえめんどくさく腰が上がらなくて引き続きダラダラとスマホを操りながら、こんな素敵な名言の主はいったいどんな素敵な人だろうと検索してみた。

検索結果に、うげ、と思った。

想像以上にきりりとした表情の女性が出てきたのだ。著書を掲げて凛々しく微笑む写真に「30万部突破、大ベストセラー」というキャプションを従えている。「がんばらないで」の名言もこの本に収録されているらしい。

そこで一気に目が覚めた。

いかん、と思った。立ち上がらなければと思った。この言葉にこそ私は負けてはいけない。

この方は「がんばらないで」と語りかけるこの本を多分すごく頑張って書いた。多分他にも頑張っていることがあったはず。だからあの名言なのだ。だから「がんばらないで」なのだ。

がんばらずに底まで落ちる時間を持つ意味があるのは、かなりちゃんと頑張った時間があるからだ。

私はぜんぜん違う。ただただ自分を甘やかし、ずるずると生活の怠惰化が進んでいた今日この頃。「あれもいいや、これもやらなくていいや」と生活の手間を省けるだけ省き、空いた時間はソファにどさりと陣取ってテレビやSNSを無為に眺める。怠惰ウェーブは底なしだ。鎮まるどころか日々増長し、もっと手を抜けることはないか、あるんじゃないかと甘く甘く誘ってくる。そうねえ、他に何かあるかしらと私もノリノリで探してしまう。そして、ついには聖域、長年守ってきた自分ルール/ルーティンを壊しちゃおうかなと思いはじめる。誰にも強制されたわけじゃないし、生きるだけで大変な時代だし、天候も不順だし、無理は禁物、楽なほうがいいじゃないか、とか言い聞かせながら。しかし、ダメだ。せっかく積み上げた聖域に手をつけたら立て直すのに途方もなく苦労する。頑張らなかったことで生じるひずみやツケは、後々自分で払わなければならなくなる。がんばらないで、と優しい声でいう人は何もしてくれない。

というわけで、さすがは名言、ちょっと変則的な受取り方ではあるけれどばっちり目が覚めました。

スマホを置いて立ち上がり、マットを敷いて適当にエクササイズ動画を選んだ。何でもいい。動くのが大事。はじめてしまえばなんてことはなく、さっきまでソファと一体化していた重たい体もきびきびと動いた。

汗だくになった勢いでシャワーを浴びて、冷たい炭酸水と共に戻ったソファにはもう怠惰ウェーブの姿はなかった。

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