無用の用と無用の無用

藤原麻里菜さんの無駄づくり、ああいうのを無用の用というのかなと思いながら、おもしろくみさせていただいている。動画の後ろで流れている空中カメラの曲も好き。聴いているとなにか楽しいことがはじまりそうな気がしてくる。
無駄そうに見えて本当は大事、というのが無用の用だけど、無用の無用も嫌いじゃない。意味のあることばかりしてると息が詰まってしまうような気がする。というほど昨今、意味のあることもしていないし、無駄を仕事にしていない私は、無駄ばかりでもたちゆかなくなるのだけれど。

無駄だろうなーと思いつつやってしまうこと、夏。
暑くて、蒸し暑くて、汗だくになって、エアコンをつけて快適になってしばらくすると、「快適」の居心地が悪くなってくる不思議。で、エアコンを消す。せっかく不快な温度と湿度を電気代をかけて取り除いたのにもったいない。案の定、1時間ほどで室内はまた元の蒸し暑さに逆戻り、私は汗だくに逆戻りする。

どうも私の無駄好きの背景には、快適や効率からの逃避欲求があるらしい。心地よさに居心地が悪くなる感じ。なんか変だし自虐っぽくて嫌だけど心当たりはいくつかある。

例えば、大好きな曲ばかりで作った再生リストがしばらくすると息苦しくなること。いたたまれなくなって、そこまで好きでもない曲や知らない曲にスキップして、イマイチだなーとか思いながらホッとする。好きな人とばかり会っていると、そうでもない人やちょっと苦手な人とも話してみたくなる。別に結果は悪いことばかりではないから、いいのだけれど。

 だいぶ前、とても忙しく働いていた頃、もっと効率よく仕事をしろとよくいわれた。そうしないと付与されている業務を健康的にこなすのは不可能だった。それでも私は効率的になりきれず、睡眠時間もメンタルも削られて日々疲れていた。
ある日、コピー機がしゃかしゃか動くのをじっと見つめていた私にアシスタントの女性が声をかけてくれた。
「お忙しいんですから、こういうことは任せてお仕事に戻ってください」
ありがたいなーと思いつつ、席に戻りながら私はちょっと苦しい気分になった。分類すれば「無用の無用」、効率性に反することではあるけれど、コピー機、見ていたかったな、と思ったのだ。ちょっとぼうっとしたかった。次の書類を作成するためのやる気が出なかった。指示通りにしゃかりきに働くコピー機に元気をもらいたかった。きっと説明したところで理解されず笑われそうな言葉たちを私は胸にぎゅっとしまいこんでパソコンの前に戻った。しかしそれ以降も、ついつい私はコピー機の前に立ち尽くし、そのたびアシスタントの女性はコピー機のお守りを請け負ってくれた。
そんなやりとりが何度か繰り返されたあと、彼女は言った。
「やっとわかりました」
そのとき私は徹夜明けの茫漠とした脳みそを叩き起こしながら、やっぱりコピー機の設定をしているところだった。
「お忙しいからこそ、コピー機を見守ることは大事、いわば「無用の用」だったんですね」
女性はにっこり笑った。忙しいのになんでこんな無駄なことしてるの!と言われることの多かった私も胸にしまいこんだ言葉たちも、この女性の言葉をきいてすごくうれしい気持ちになった。