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1:聖霊から新しく生まれた者: 前編(Ja)

今日は、パワーシティ・インターナショナル教会の「ソテリア:救い」のシリーズより翻訳・要約してお伝えします。

エペソ人への手紙 2:1 口語訳
“1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、”

●私たちはかつてみな「死んで」いました。創世記 2:17で神様があらかじめ「その木から食べてはならない、食べれば必ず死ぬ」と警告しましたが、アダムはその言葉を信じず、その結果実際「死」=神様との断絶が訪れました。
罪が人を神様から「引き離し」、次に「罪悪感」が生まれ、「有罪の宣告」が為され、人の状態は変わってしまい、死ぬべき、肉体的死のある存在に変わってしまいました。人は救いが無い、希望が無い状態にありました。

📖エペソ人への手紙 2:4-5 口語訳
“4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――”

●人は自らの手では救いようが無くなって、「死んで」いたのですが、そのあわれみと慈愛によって、救いは神様から来ました。
「1:救い」という言葉がありますが、神様が私たちのためにして下さった事を、聖書はいくつかの言葉で説明しています。
例えば「2:和解(第二コリント5:17-19)」、つまり神様と私たちには「距離」があったものを、神様がイエス様を遣わして、間に入り橋渡しをしました。
また「3:なだめ(ヨハネ第一2:1-2)」という言葉がありますが、正義である神様が、全世界の罪に対する正当なさばきをイエス様の上に注ぎ、イエス様はその正義のなだめ、つまり裁きが満たされる弁済(正義の裁きを満足させるもの)となりました。
また「4:あがない(支払い)」という言葉、「私たちがあがない出されたのは、きずも、しみもない小羊のようなキリストの血」(ペテロ第一1:18-19)というように、イエス様が私たちの額を支払ったのではなく、イエス様自身がその支払い額となりました。
また「5:身代わり(第二コリント5:21)」という言葉もあり、イエス様は私たちの身代わりの犠牲のいけにえになって救いを成し遂げました。

●そして今日注目する6番目の言葉として「再生」という言葉があります。

📖テトスへの手紙 3:5 口語訳
“5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。”

「再生の洗い」この言葉は聖書でたった一度だけここで使用されています。そしてこの洗いは、救いのはたらきとして、一度だけのもので、これは水での洗い=水による洗礼のことではなく、聖霊による働きのことを言っています。 創世記2:17に戻りますと、「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」つまりもし、罪によって人が経験したものが「死」ならば、その「救い」が人に与えるものは「命」です。
創世記 5:3 でアダムがアダムのかたちと姿(イメージ)の子を生んだとき、人の状態は変わってしまいました。エペソ2:1で私たちが死んでいたと言っても、アダムが死んだあとも彼は歩いたり、話したりしていました。つまり「死」とは肉体の消滅ではなく、神様との断絶のことを言っています。ですので人が神様を離れた時、死んでおり、そして「救い」にあって、 聖霊は死んだ人々に「命」を与えたのです。それを「再生」と呼びます。

📖ヨハネによる福音書 3:3-5 口語訳
“3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。”

●ここでイエス様が言う「水と霊から生まれ」とは「再生の洗い」を言っており、聖霊の、罪の洗い流しのはたらきを、 象徴的に表現したのです。水による洗礼ではありません。「水『と』霊」はギリシャ語の表現では「水、それは霊」という 形になり、「罪の洗い」はつまり「聖霊から生まれること」になります。

📖ヨハネによる福音書 3:6-7 口語訳
“6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。”

罪が洗われる=聖霊から生まれる=新しく生まれる=再生、はおなじ意味になります。 さて誰が死んでいた私たちをキリストと共に生かしてくださったのでしょう? 聖霊です。私たちが何か救われる資格を得たと考えるのは間違いです。救いは神様から来る、私たちは何の条件も満たさず、恵みにより救われました。

📖ヤコブの手紙 1:17-18 口語訳
“17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。 18 父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。”

神様はキリストにあって、聖霊によって、私たちに命を与えてくれました。「生み出してくださった(英語でビガット)」 その意味は、あなたの父親となる、生を与えてくれる、です。あなたと父は同じ遺伝子を持ちます。神様を打ち負かすことができないものは、あなたを打ち負かすことはできません。

📖ペテロの第一の手紙 1:23 口語訳
“23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。”

「種」のギリシャ語はスパーマ(精子や種子の意味)、キリストにあって新たに生まれた時、神様の種があなたに命を与え、あなたを組成するものすべてが神様に由来するのです。あなたは神様から生まれ、あなたは生まれながらに神様の喜びです。そしてその命は、神様の言葉=生ける御言葉(ペテロ第一1:23)=真理の言葉(ヤコブ1:18)によって与えられました。「霊から生まれる(ヨハネ福音書3:5)」その意味は、神様の遺伝子があなたの中ではたらいています。

●先ほどのテトス3:5にあった「再生」(英語でリ・ジェネレーション)のギリシャ語は「パリンジェネシア」、その意味は再び始めること・新しい始まり・誕生です。あなたの再生にあって、あなたは聖霊から生まれました。

📖ローマ人への手紙 8:15 口語訳
“15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。 その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。”

📖コリント人への第二の手紙 5:17 口語訳
“17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。”

📖ガラテヤ人への手紙 4:5-6 口語訳
“5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。”

聖霊が、神様の遺伝子を運んできてあなたの中に入り、あなたは完全に新しく生まれました。 「再生」において神様 の命があなたに入り、生まれながらにして神様の組成で出来上がっているのです。 私たちは私たち自身を「造り上げよう」とはしません。私たちはすでに「造られ」ました。キリストが私たちの中に来たとき、私たちはすでに新しく造られたのです。

📖ローマ人への手紙 8:11 口語訳
“11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。”

あなたは「朽ちる種」からではなく「朽ちない種=神様の言葉」から生まれました。 あなたが「無知」と付き合っているとき、あなたはあなたの境遇に影響され振り回されます。しかしあなたが「キリストにあって、あなたは誰なのか」 の知識と付き合うとき、その知識はあなたのもとにとどまり、あなたの境遇は影響力を失います。神様はどんなお方かを知るまで、「あなたは何者か」を知ることはできません。なぜなら信徒は「キリストの中に」いるからです。私たちはキリストにあって生きているからです。 何かを努力する前に、あなたが生まれながらに与えられ、生まれながらに 何者なのか、どういう存在なのかを知る必要があります。

あなたの「霊」は聖霊、神様の霊なのです。正確にはあなたは「聖霊を持っている」のではなく、「あなたと神様はひとつの霊にある」=共通の霊にあって共に生きているのです!
(後編につづく)

(2022年11月12日配付のトラクトより)

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