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かつて隠されてきて、いま明かされたミステリー(Ja)

📖ローマ人への手紙 16:25-27 口語訳
“25-26 願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、 今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、 27 すなわち、唯一の知恵深き神に、 イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。”

📖コロサイ人への手紙 1:25-27 口語訳
“25 わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。 26 その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。 27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。”

●今回は、聖書の「ミステリー(日本語で「奥義(おうぎ)」と訳されている箇所)」という言葉に注目し、そこから聖書の「旧約」から「新約」への転換をくわしく見ていこうと思います。上記のパウロの説明のように、神様のメッセージの真意は、旧約聖書の時代において、ずっとミステリー=謎=奥義として隠されてきました。

📖ペテロの第一の手紙 1:8-12 口語訳
“8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。 9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。 10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。 11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。 12 そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。” 

●上記で使徒ペテロがこの預言者たちについて「預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた」というのは、預言者たちは彼らの預言や発言を通して、たずね求めたのです。その意味するところは、答えとなる説明は旧約聖書の預言書にある彼らの言葉・記述には無いのです。彼らが来たるキリストの受難と栄光を証言したとき、彼らの中に働いた霊がそれを示しましたが、彼ら自身が理解したというわけではなかったのです。つまり旧約聖書にあるキリストは隠されていたのです。

📖ヘブル人への手紙 10:1 口語訳
 “1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。

●「影」の意味はダークネス=暗闇を示しています。光が無いために物事が見えない様を指します。これは旧約聖書の 「旧約」- つまり出エジプト記のモーセの十戒の受け取りからマラキ書までの、そのメッセージをよく表しています。 では完全なメッセージはどこにあるのでしょう?

📖ヨハネによる福音書 5:39 口語訳
 “39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。” 

●イエス様は「聖書(旧約聖書)は私について証をするものである」と言っています。 イエス様こそが「新約」であり、 「ミステリー(奥義)」と記されている、メッセージなのです。 イエス様はかつて「影」として隠されてきて、その隠されてきた真髄(しんずい)、真実はイエス様のことなのです。「旧約=古い契約」はイエス様を見ることで謎が解かれ、彼ご自身こそが旧約聖書の理由、真理、意味、要点なのです。 そしてイエス様によって「新約」がもたらされます。

📖マタイによる福音書 26:27-28 口語訳
“27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。”

📖ルカによる福音書 22:20 口語訳
 “20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。”

●私たちは、「時」に注意を払って聖書を読まねばなりません。イエス様が上記の最後の晩餐(ばんさん)のとき言った 「新しい契約」は、まだその時点の弟子たちにとっては「未来」のことでした。
 現代の私たちが教会の聖餐式 (イエス様 の犠牲を記念してワインとパンをいただく儀式)で聴くこれらの言葉は、「イエス様がすでに成し遂げてくださった、 完了してくださったこと」であるゆえ、その記念(心に思い留めること)のために聖餐式を行っています。

📖ヘブル人への手紙 8:10-13 口語訳
“10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。 すなわち、 わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、 彼らの心に書きつけよう。 こうして、わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となるであろう。 11 彼らは、それぞれ、その同胞に、 また、それぞれ、その兄弟に、 主を知れ、と言って教えることはなくなる。 なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、 彼らはことごとく、 わたしを知るようになる からである。 12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、 もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。 13 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。” 
(10-12節は、旧約聖書エレミヤ書31章33-34節が引用されています)

📖マルコによる福音書 2:21-22 口語訳
“21 だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、 そして、破れがもっとひどくなる。 22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に 入れるべきである〕」。” 
(マタイ福音書9:16-17、ルカ福音書5:36-38にも同記述があります)

新約聖書の「新約」は、正確に言うと使徒行伝2章から始まります。イエス様の十字架上での犠牲=罪のあがない、復活があって、そしてさらに、使徒行伝2章で信徒が聖霊を受けた時に完了したのです。 上記のイエス様の「古いものと新しいものを混ぜるな」というたとえ話での「古い」という言葉は former フォーマー =「以前の・かつての事」、の意味あいを指します。

●私たちは、ときに聖書を学びつつも、旧約にしたがって書かれた箇所と、新約にしたがって書かれた箇所を識別せずに私たちの人生に適用しようとしてしまいがちです。 
 いま、聖霊により「私たちの心に書きつけられた律法(へブル8:10、エレミヤ31:33)」は、イエス様の中だけに、律法をなし遂げたイエス様を受け取ることだけにあります。 
 「罪のゆるしを得させた」新しい契約(マタイ26:28)にあって生きるならば、再びルールや規定、しきたりやそれに向けての自己努力、自分できよく正しくなろうとする行為はもう要らないのです。

📖ガラテヤ人への手紙 3:2-3 口語訳
 “2わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。 3 あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。”

私たちはイエス様によって正しいとされ、聖とされ、神様の子たちとされたのです。言い換えれば、私たちが信じて救われたとき、最初から霊を受け完璧とみなされクリスチャン生活がはじまったのです。
 私たちは自分のおこないの至らなさを目にしつつ、神様が私たちを正しくきよい、と言うのを聞いてやや混乱します。そこに仲介者であるイエス様を見出さなければ、矛盾に苦しみます。 
 
聖書を読むのは義務やルールではありません。しかしそこに謎をとく鍵であり、真理であり神様のメッセージであるイエス様がいます。指南書・マニュアルのように読むのではなく、聖書からイエス様を理解し、神様のメッセージを理解していくことで、ゆるされ、神様の家族に引き入れられた恵みの大きさを知って、神様が与えたままの喜びを生きることができます。
 それが祝福=命...つまり神様がデザインなさったままの生をめいっぱい生きる命です。アーメン。

📖ヘブル人への手紙 10:16-18 口語訳
 “16 「わたしが、それらの日の後、 彼らに対して立てようとする契約はこれであると、 主が言われる。 わたしの律法を彼らの心に与え、 彼らの思いのうちに書きつけよう」 と言い、 17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。 18 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。”

📖コリント人への第二の手紙 3:6 口語訳 
“6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。”

(2021年8月7日配布のトラクトより)

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