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1:わたしの右に座せよ、もろもろの敵を足台とするまで:前半(Ja)

📖詩篇 110:1  口語訳
 “1 主はわが主に言われる、 「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。”

●今日は上記の旧約聖書、詩篇の一節から、ふたつの重要な言葉の背景を深く掘り下げていきたいと思います。非常に重要なので、前半・後半2週に分けてじっくりお伝えしたいと思います。 
まず前提として、この詩篇110篇はダビデ王による、キリストを預言した詩になりますが、「主はわが主に言われる」 とは「父なる神様は、わが主イエス・キリストに言われる」という事になります。(マタイ福音書22:43-44も参照)

ここで取り上げたいふたつの言葉は、
1:「わたしの右に座せよ」、 2:「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで」です。 どうしても日本語だけ語順が逆になってしまいますが、英語でも原文ヘブライ語でも、新約聖書で何度も出てくる同じ表現のギリシャ語でも上記の順番なので、この語順で見ていきます。

● 1:「わたしの右に座せよ」 

過去のこのメッセージの紙で、何度か「座した」はイエス様が「その使命を完了した事」を表している、と述べましたが、 旧約聖書、詩篇のこの箇所ではまだこれから起こることの表現になっています。「右」は「右手」とも表現されますが、 これは元の意味である「Regent- 摂政(せっしょう)」という権威をあらわす役職名を示しています。

これは創世記の、エジプトでのヨセフの地位を見ると理解できます。

📖創世記 41:40-41 口語訳
“40 あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたにまさる」。 41 パロは更にヨセフに言った、「わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする」。”

日本語ではつかさ、と訳されており、宰相(さいしょう、首相)や全権大使と考えることが出来ます。ヨセフのこの地位は、来るべきイエス様の前兆としてその権威を表しています。

📖コリント人への第一の手紙 15:24-28 口語訳
“24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。 25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。 26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。 27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。 28 そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、 神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。”

父なる神様がすべてとなる、定められた時が来るまで、父なる神様の全権を任されているのがイエス様の権威であり、それが「右手に座せよ」の意味だと考えられます。

📖マルコによる福音書 16:19 口語訳
“19 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。”

上記の、十字架の死と復活の後、イエス様が昇天された瞬間「すわられた」と過去形になります。イエス様が天に戻ることで、聖霊を送ってくださいますが、それによりイエス様の救いの使命は完了し、いまや天で父なる神様の全権大使としての権威の座に就かれておられるのです。


● 2:「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで」

📖ヘブル人への手紙 10:12-13 口語訳
“12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、 13 それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。”

イエス様が救いと復活を成し遂げ、そして天に帰られたとき、神様の右手に座しました。いまイエス様はすでに右手= 神様の全権の権威を持つ「つかさ」として座しておられますが、「もろもろ=すべての敵を足台とすること」はまだ成っておらず、待っておられます。

イエス様は誰の、何を待っているのでしょう? イエス様は救いと復活を成し遂げ、すでに罪と悪に対し勝利しました。 次は私たち信者が、教会が、「いのちにあって支配すること」を、期待をもって待っています。

📖ローマ人への手紙 5:17 口語訳
“17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。”

この「いのちにあって力強く支配する」という言葉を見ていきましょう。 これは旧約聖書のヨシュアの行動を見ると理解の助けになります。

📖ヨシュア記 10:24-25 口語訳
“24 この王たちをヨシュアのもとにひき出した時、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分と共に行ったいくさびとの長たちに言った、「近寄って、この王たちのくびに足をかけなさい」。そこで近寄って、その王たちのくびに足をかけたので、 25 ヨシュアは彼らに言った、「恐れおののいてはならない。強くまた雄々しくあれ。あなたがたが攻めて戦うすべての敵には、主がこのようにされるのである」。”

カナン征服の際、カナン諸国の王たちを捕らえたヨシュアは、「主がこのようにされるので」、王たちの首に足をかけよ、と言いました。残酷なシーンに見えますが、イエス様に焦点を当てれば、来たるべきイエス様が「敵を足台にする」 ことを、キリストの前ぶれとしてのヨシュアが、キリストが未来で行うことを象徴的にあらわした、預言的行動と言えます。 

この時代、勝利の後、勝者の王はその「勝利を示し」ます。首に足をかける行為で、敵を上回る支配力を示すのです。言い換えると「権威/支配権を行使し」ます。

ヨシュアの場合、イスラエルの人々に、その支配権を行使するよう言いました。イエス様の場合、彼の身体である教会=新約のイスラエル人たち=私たちを通して「死の支配力をキリストの与えるいのちが上回る」という、その勝利の権威と支配権は行使されるべきなのです。

●これは、旧約聖書の初期から約束されていた事でした。

📖出エジプト記 19:5-6 口語訳
“5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。”

これはすべてのイスラエル人が「祭司の国(英語では王国)、聖なる民(英語では国)」となる約束です。その後の律法の時代にあったようにアロンやレビ族だけが祭司職をするのは本来の神様のご計画ではありません。この約束はイスラエル人の不従順によって拒絶され、レビ族が指名されたのですが、神様は元々の約束を、イエス様によって満たします。

📖ペテロの第一の手紙 2:6-10 口語訳
“6 聖書にこう書いてある、 「見よ、わたしはシオンに、 選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。 それにより頼む者は、 決して、失望に終ることがない」。 7 この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、 8 また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、 彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。 9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。 10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。”

このペテロの9節で言う「祭司の国」は英語では「ロイヤル プリーストフッド=王権の祭司職」です。 イエス・キリストの救いと勝利によって、イエス様は最高権威の座に就きました。それにより旧約聖書の昔から約束されてきた事が満たされ、私たちもその王権を行使する祭司の職にあるのです。

イエス様ご自身は天でとりなし=私たちのために仲介と橋渡しをしてくださり、私たち信者は、頂いた恵みにあって、暗闇から光に入れられた神様の働きを喜び、すでに敗北した罪や悪や恐れを、力強く支配し、それを示す生を生きるよう期待されているのです。

📖ローマ人への手紙 8:34 口語訳
 “34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。”
(後編に続く)

(2021年8月28日配布のトラクトより) 
(ソース: アベル・ダミナ牧師著の書籍 “Life before the cross and Life after the cross”より)

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