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【リーダシップの旅編2:すごいリーダーの幻想~桃太郎を覚えていますか?~】

*本マガジンのこれまでの投稿は上記に入れています。

40代で、ある大企業の関連子会社の社長である健‍は、就任2年目を迎えています。1年目の業績は振るわず、戦略構築・マネジメントでも試行錯誤しているところのようです。そんな時、本社で取締役で元上司の哲也にたまたま出会います。健‍が現状の悩みを相談しているうちに、”リーダーシップの旅”を紹介されます。この本についてオンライン勉強会をする流れになっていきます。本日は第一章 「リーダーシップの旅」前半の解説になります。

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🧒‍:おはようございます。朝6:30、今日からよろしくお願いします!

👨‍🦳‍;おう。やっていこう。

◆鬼退治に出かけた桃太郎

👨‍🦳‍:鬼退治に出かけた桃太郎を憶えているかい?

🧒‍;はい。もちろんです。ついこの間、子供にも読み聞かせましたよ。彼は立派なリーダーですよね。仲間引き連れて、鬼を倒しちゃうんですから。

👨‍🦳‍;まあな、じゃ、質問。桃太郎はいつリーダーになったのでしょうか?

🧒‍:え?

👨‍🦳‍;さらに、桃太郎は、リーダーになるプロセスにおいて、何を感じ、何を見て、どんなことと出会い、結果として何が起こったのでしょうか?

🧒‍;サル・キジ・犬と出会い、苦難を乗り越えて、、鬼を倒す・・。そういわれると・・。そういう見方をしていなかったので一言では。。。

👨‍🦳‍;まあ、そんな見方はしないわな。でも、“桃太郎は優秀なリーダーである”と言われると皆、「ああそうかも」と思うだろう。これが、リーダーシップに関する様々な誤解と悲劇の原点なんだ。「すごいリーダー幻想」を持ってしまうのと同じことなんだ。

🧒‍;なるほど。私が前回挙げた、キング牧師やガンジーに対しても同じですね。彼らのプロセス知らず、彼らが成し遂げたことで、優秀なリーダーと判断してしまっているというところにつながるのですね。

👨‍🦳‍;そう、この幻想から脱却するためには、君のいう通り、プロセスの視点をもつことが有効でなんだ。「後付け」って本当に怖い。

🧒‍;「後付け」ですか。

👨‍🦳‍;ああ、そのどこが問題なのか。そこから説明していこう。「コア・コンピタンス (core competence)」という言葉は知っているな。

🧒‍;はい。よく聞きます。一時期、みんな口揃えて、「うちのコアコンピタンスは何だ」っていっていましたよね。横文字よく使うなと思っていました。他社には真似のできない、その企業ならではの中核となる経営資源の蓄積具合や組織能力を意味して、「新事業展開にあたっては、コア・コンピタンスを梃子にすべきだ」といったふうに用いられますよね。

👨‍🦳‍;そう。この概念はC・K・プラハラード氏とゲーリー・ハメル氏によって提唱された。コア・コンピタンスは、戦略経営論において経営資源アプローチという新しい分野を切り拓くきっかけとなった概念なんだが、問題点も多い。

🧒‍;問題点?

👨‍🦳‍;ああ。成功した企業について「あの会社には、かくかくしかじかのコア・コンピタンスがある」と分析し評価することはできる。でも、一番の問題点は、、何がコア・コンピタンスなのかは、その企業が成功するまで分からないことなんだ。

🧒‍;なるほど、その場合、成功した企業がなぜ成功したのかを考える時には有効な概念ですけど、どんなコア・コンピタンスをもっていれば、どのように成功するのかを予測するには、たちまち無力なものとなるってことですね。

👨‍🦳‍;まあ、ただ、全てを否定する必要はなくて、成功事例を説明できること、その成功の要因を抽出し分析できること、分析からより一般的な枠組みを導き出すことに主眼を置く場合は意味あると思う。たとえ後付けであっても、戦略がなぜ成功したのかを理解し、同様な局面において参考にしたい人にとっては、ガイドラインとなる枠組みを提示することは意味があるからね。ガイドラインでしかないから鵜呑みにはできないってこと。

🧒‍;なるほどです。リーダーシップの幻想にもそれがつながるということですか。

👨‍🦳‍;ああ、「すごいリーダーシップ」という概念は、コア・コンピタンス同様、後付けの側面が払拭されていないってわけだ。後付けの説明、分析、議論はしばしば誤解を引き起こし、偉人伝同様、またしてもリーダーシップをブラックボックスにしてしまうということ。将来どうしたらという点が抜けてしまう。そんな状況を超えるためには、プロセス、そして旅の視点で、リーダーシップをとらえることが何より有効だって、著者の野田さんは言っているんだ。


◆旅から帰還し、結果としてリーダーになる

👨‍🦳‍;もう一人の著者の金井さんも「リーダーは、なろうと思ってリーダーになるのではなく、旅の結果、帰還、生還した時に結果としてリーダーになる。」と言っている。

🧒‍;なるほど。

👨‍🦳‍;桃太郎はなぜ鬼ヶ島に渡ったかをもう一度、考えてみてほしい。桃太郎は、ただ冒険好きだったのか、英雄になりたかったのか、イヌ・サル・キジを束ねるポジションに就きたかったのか。

🧒‍;そんなことはないですよね(笑)桃太郎は、「自分を育ててくれたお爺さん・お婆さんのもとを離れ、鬼退治をやってみようと一人で決断した。そしてイヌ・サル・キジと出会い、彼らのフォローを得て鬼を退治し、宝物を手に入れて故郷に戻った。」そんなところだと思います。

👨‍🦳‍;ガンジーもリーダーになろうと思ってインドの独立に尽くしたのではないよな。インド独立への旅を歩きおおせたことが、彼を英雄にしてリーダーにしていったんだ。マーティン・L・キング牧師はに関しては下記のように記載されている。

ガンジーの影響を受けていたが、そのキング牧師ですら、公民権(市民権)運動の中で最初から強力にリーダーシップをとったわけではなかったんだ。またとれる筋合いのものでもなかった。中年の黒人女性教師ローザルイーズ・パークスが肌の色を理由にバスの席を譲るように言われ、拒絶したため逮捕までされるという事件が起きた時、キング牧師はその仕打ちに抗議するため、バス・ボイコットを呼びかけた。その夜、キング牧師は心配のあまり眠れず、翌日、だれもバスに乗っていない様子を妻のコレッタとともに確かめに行ったほどだった。

🧒‍;最初は、びくびくというか、意思決定しながらも不安を抱えながら活動していたということですね。その意味では、運動がキング牧師をつくっていった見る方が自然なのですね。

👨‍🦳‍;すべてのリーダーシップには後付けの要素がある。桃太郎にせよ、すばらしいと言われる企業経営者でも、何事かを成し遂げ、結果を残した時に、後付けとしてリーダーシップが帰属されている。ただ、後付けには、確かにちょっと胡散臭いところがある。歴史の検証を長くへた場合には、後付けのリーダーシップでも揺らぐことはもはやないが、短期的な視点からでは危うい。例えば、何らかの優秀とされていたリーダの組織が販売不振からまた不調になったりすれば、「マジックはまやかしではなかったのか」と言い出す人もきっと出てくる。

🧒‍;でも、コアコンピタンスの話と同じで、後付けや後知恵による説明のすべてを捨て去るべきではないのですよね。リーダーには必ずフォロワーがいて、彼らが口をそろえて、「うまくいったのは、キング牧師のおかげだ」と思っているのなら、リーダーシップに後付けの要素があるとしても、彼らにとっては未来の行動に関して意味がある。ついていこうと思いますからね。


👨‍🦳‍;そうそう。ちなみに、リーダーシップの帰属理論は、ワシントン大学のT・R・ミッチェルや、さらにさかのぼればノースウェスタン大学(該当する論文の発表当時)コールダーによって構築されたんだ。リーダーの言動を見たフォロワーが、その言動と成果につながりを見出し、成果がリーダーのおかげだと感じ始めた時、リーダーたる人物に、フォロワーたちと相互接触する場におけるリーダーシップが帰属されるという考え方なんだ


🧒‍;なるほど。わかります。面白いですね。フォロワーが何らかの言動で、彼はリーダーだと感じた時に結果的にリーダーシップが発揮されるということですね。

👨‍🦳‍:言い換えると、リーダーの言動を見て、フォロワーの大半がそれをどのように意味づけるかというプロセスの中に、リーダーシップは存在するってこと。リーダーの影響力が行使されるには、フォロワーが「喜んでついてくる」ことが不可欠の条件となる。

🧒‍;そう考えると、少し変な言い方ですけど、 リーダーシップはフォロワーの側にあるとも言えちゃいますね。フォロワーが決定権を持つ構造になるというか。うまく言えないですけど。でも、フォロワーはリーダーの何に引かれてついていくんでしょうか。。。


👨‍🦳‍;J・クーゼスとB・ポスナーは主に米国人を対象に「どのような人をすばらしいリーダーだと思うか」を調査し、賞賛に値するリーダーの特徴として、やはり後付けかもしれないが、

「正直な(honest)」
「前向きの (forward-looking)」
「わくわくさせてくれる(inspiring)」「有能な(competent)」

といった形容詞を抽出したんだ。

🧒‍;「正直な(honest)」「前向きの (forward-looking)」「わくわくさせてくれる(inspiring)」「有能な(competent)」ですか。これを兼ね備えると独特の雰囲気がでるということですんかね。

👨‍🦳‍:そうかもね。野田氏は「フェロモン」という言い方を使っているのだが、それと共通しているのかもしれない。この三つのアイテムをそれぞれ「リーダー自身の一人称による語り」、「フォロワーによるリーダーへの帰属」、「社会による公認」という三つの側面から説明できるな。

🧒‍:でも、これって、旅の途中からの段階に目を奪われすぎている感じはしますね。これでは、リーダーの行動や資質がフォロワーや社会の視点による三人称だけで語られてしまいますし。人や社会に影響を与える「すごい人」に求められる「すごい」資質や行動は何だろうかという具合で、結局は「すごいリーダー幻想」への後戻りとなってしまいます。結局、多くの人にとって、リーダーシップ論が心に響かないもの、自分と関係のない他人事になってしまうと思いますね。

👨‍🦳‍;おーわかっているね。まさにそう。それは、フォロワーや社会からの三人称の視点で語られること問題なんだと。リーダーシップは三人称ではなく、一人称で語るべきものだ。また、リーダーシップの素である「フェロモン」は、能力やスキルではなく、人が自分自身の魂を磨く旅をする時にほかの人を感動させる何かだと思う。形容詞で第三者的にリーダ, を要素分解することではなく、「自分がそのように生きたいかどうか」のはずだ。

🧒‍;要するにリーダーシップの旅を、一人称で自分に引きつけて考えてみる。自分ならどうかという点が何よりも重要だということなのですね。そのために何が必要になってくるのでしょうか?

👨‍🦳‍;そこからが面白いところなんだ。おっと、だが、もうこんな時間だ。その解説は次回にしよう。今回は、導入編と同じようなことではあるが、すごいリーダーの幻想、後付けの怖さ、フォロワーとの間で生じる現象について話し、そして1人称で考えていくことの必要性について最後に触れた。次回第一章の後半として、「1人称で考えていくリードセルフ「について話をし、「吹っ切れたリーダー」について話していこう。

🧒‍:ありがとうございます。よろしくお願いします。

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今回はここまでです。個人的にはフォロワーの部分の記載が非常に興味深かったですね。後付けのリーダーはいないが、フォロワ―がリーダーと認識することによってリーダーシップが発言するのですね。なるほどでした。次回は、第一章「リーダーシップの旅」の後半を解説していきます。
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*なお、下記の固定記事に私のnoteの全体コンセプトを記載しています。

これまでの複数マガジン(書籍解説)を作成してきましたが、一覧と位置づけは下記です。(一つでも興味がおありでしたら、上記【導入編】のリンクを載せているので覗いてみていただければ嬉しいです。)

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別に番外編もあります。


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