2020/04/26

書き忘れ。昨日はついに(やっと)wifiが設置されたので、ずっと見たかった俳優・志磨存在感を堪能した。「グーグーだって猫である2」「溺れるナイフ」の二つだ。「グーグーだって猫である2」の古本屋店主・守屋、とても理屈っぽくてイヤな男なんだけど、志磨さんに似合いすぎてて卒倒しました。カウンターの中でちっこくなって文庫本読んでる姿も、人を小馬鹿にした性格悪そうな表情も、立ち上がった時の中村ゆかりさんとの身長差も、すべての瞬間がもう、くらくらするほど陰湿で魅力的だった。あんな店長さんがいたら毎日通う。そしてやっぱり、志磨さんが画面に入ると自然に視線が持っていかれるあの感じ。私が志磨さんの大フアンであることを差し引いても、どうしても人の目を引き付けてしまう力がある男性だと思った。普段のライブなど音楽の現場ではもはや慣れてきたところもあるけど(それでも毎回目にするたびに恋に落ちている)、ああやって「志磨遼平」という役ではなく、他の名前が与えられていても発揮されてしまうあの吸引力は、やはりただものではない。それは「溺れるナイフ」でも発揮されていた。これもなかなかイヤな、芸能の業界人という感じでひねくれた役だったんだけれども、またこれが似合っていて。細長い身体がカメラを構えてくねる様、これまた性格悪そうな表情、話し方、胡散臭そうな雰囲気、どう見たってかっこいい。一緒に映る小松菜々に少しも劣らない吸引力。すばらしいキャスティングでした。山戸監督ありがとう。わたしは音楽家じゃない志磨遼平も大好きです。

そのあと、ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」を観た。ただ何もドラマチックなことが起こらないまま日々が過ぎ、詩が綴られていく。街の至るところに詩が落ちていて、それを人知れず拾い上げていく詩人たち。最後、今まで書いた詩をすべて失った主人公が日本人と出会い、また詩を書き始めるところがとても愛おしい。言葉を紡がずにはいられない日常の詩人たちを見ていて、なんだか自分もパターソンにいるような気持になった。いま私も東京で、彼らと同じように詩を拾い上げている。なぜかはわからない。ただ落ちている詩を飛び越えずに拾い上げて、ひとつひとつ磨いてあげずにはいられないのである。良い映画だった。

給料が振り込まれたので本を買う。レコードプレーヤーはまた今度。

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