よむことの贅沢
Feed Reader に興味をもちはじめている。Feed Reader をつかってこなかったぼく限定だけど、新しい可能性を感じている。
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Feed Reader についてしらべはじめたきっかけのひとつは、オンラインで発信している人たちの中に、今も自分がよみたい文章をかきつづけている人がいること。
最近やっと自分で認めることができたのだけど、ぼくは気に入った作者にしぼって、その人たちの文章をオンラインでゆっくりよむのが、大きな楽しみのひとつになっている。
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オンラインの記事をよむ楽しさを手放しで認められなかったのは、オンラインの記事をよむためには、まずブラウザを開かないといけないから。
ブラウザを開くと、ある確率で、ゆっくりよむという気もちを無くしてしまう情報に出会ってしまう。
ゆっくりよみたいときは、だからブラウザを開かないのがいちばん。そして、紙の本やブラウザを開かずによめるPDFをよむことにしていた。
デジタルの本にも一時ハマっていたけれど、ぶらぶら歩いて、目についた本を手にとって立ちよみして「お、おもしろい」という気分を、まだ味わいにくい印象がある (このあたり、皆さんからの反論を期待しています.. 笑)。
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Feed Reader はたぶん20年以上の歴史をもっており、そのねらいを知識としては知っていた。でもたぶん、その可能性をまじめに信じていなかった。
今、ほんの少しだけど Feed Reader なら、自分が安心してよめる場所、だけど適度に小さな撹乱はあるという環境をつくることができるかもしれない、と考えるようになった。
Feed Reader なら、ブラウザでよむときの雑音をある程度、とり外すことができるかもしれない。そして、ほどよく自分のよみたい人たちの文章をよみながら、知らなかった新しい人の文章にも、たまに出会えるようなチューニングもできるかもしれない。
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改めてそういう気もちになったきっかけは、Dave Winer さんのブログ。ぼくはまだ、ちっとも、その技術を分かっていないのだけれど、彼はこういっている。
RSS のお父さんであり、Feed Reader をつくりつづけている Dave さんのメッセージを、ナマケモノのぼくが活かせる自信は2%くらいだけど (小さ!)、試してみたい。
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もうひとつのきっかけは、Alan Kay さんの「A Personal Computer for Children of All Ages」。
10年後の未来を実際につくりながら、そして、自分たちや子どもたちの未来をいろいろ遊びつつ試しながら新しい〈カタチ〉を発見していった、 Alan さんのエッセイに登場する Jimmy という男の子は、図書館のネットについないだ自分の Dynabook に、自分でフィルターをつくって、欲しい情報を探す自分を手助けしている。
オンラインに広がる情報に目移りする自分を、ほどよくフォーカスさせてくれるフィルターを自分でデザインする。
そのスタートとして、Feed Reader のどれかひとつをつかえるか、やっぱりつかえないか、試してみたい。
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そうそう。Emacs にももちろん、Feed Reader の機能をもたせすパッケージがある。
このパッケージをスタートにして、自分につごうのいい Feed Reader づくりをはじめるのも、いいアイディアかもしれない。
ぼくにとって Emacs は、ノートをとる場、かきながら考える場、そして文章の作品をつくる場でもあるので、もしかするとうまく機能する可能性もある。
そしてできれば、Smalltalk で..。
いや、これはやめておこう。
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