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ひとり飲み

僕は一人で飲みに行くことがある。自分の年齢でそういう人をあまり聞いたことがない。時々そのことに対して、すごいね。してみたい。と言う人がいる。それを言われた時は、
「自分と全く関係ない人と飲むのは楽しいし、刺激的だ。」
というようなことを答えるようにしているし、それは自分の本音だと思っていた。

自粛期間中は飲み歩くことはなかったが、その期間が解除され、外に出ることは少しずつ増えてきたが、さすがに誰かを誘ってということはなかった。

以前と比べて、客足自体は少なかったが、それでも自粛期間は明けていたということもあり、意外と賑わっていた。そこには久しぶりに友達や恋人と外で飲めるということを楽しんでいる姿を目にした。今まではそんなこと全く気に止めてはいなかったが、なぜか気になった。すると、隣の大学生らしき集団が話しかけてきた。そこは僕がよく飲みに行くバーで、知らない人同士が会話をしやすい雰囲気の場所でもあったので、話しかけられること自体は問題なかった。そして、自分が大学生で一人で飲みにきているということを伝えると、
「僕たちも大学生なんですけど、一人で飲めるなんてすごいですよね。」
と聞き慣れた返事をしてきて、またかと思ったが、いつも通りの返しをした。いつも通り楽しく飲めていたつもりではあったが、なぜかモヤモヤしたので、せっかく外に出たのだからと歩いて帰っていると、さっきのやりとりが妙に引っ掛かった。思い返してみると、一人で飲みに行くときは必ずその前に誰かと飲みに行ってて、その流れで一人で飲みに行っていたのだ。こうなるともう止まらない。一人で飲みに行くようになったきっかけを考えた。

僕は飲むことは好きで、仕事終わりに職場の上司とよく飲みに行っていた。そこには他県から通勤している人もいれば、家族がいる人もいる。だから、二軒目とはなかなかならず、日を跨ぐ前に解散することがほとんどだ。僕もそのまま帰ることはよくあるが、どうしてもその日の気分でまだ飲みたいということもあった。僕にはそんな上司を誘うような勇気もなく、アドレス帳を開いてみても、虚しくなるだけだった。自分はよく飲みに行くし、そういったことに対しては充実した生活を送っているように思っていたが、本当は気軽に飲みに誘えるような人や友達がいなかったのだ。だから、一人で飲みに行くことしかできず、いつの間にかその事実を記憶から消し去っていたのだ。今までは何かの流れで誰かと飲みに行き、その流れに任せて一人で飲みに行っていたが、コロナでその一つ目の波が無くなることで二つ目の波にうまく乗れなかったのだと。

今までは一人で飲んでいる自分を格好良く思っていたが、それは完全なる勘違いだったのだ。複数人で飲んでいる人の方が断然幸せなのだ。
このコロナ禍で、コロナ離婚というような言葉もあるように今までいたのが当たり前だった人がいなくなるというような現象はあるようだが、今までいたように感じていた人が本当はいなかったという一種の心霊的な現象もあるのだと思った。

今日も懲りずに知らない人と出会いたいんだという無理やりな理論武装をした僕が、楽しそうな笑い声で満ちた街をたった一人で歩く。

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