アルトリア・キャスターの「星」とは

はじめに

アルトリア・キャスターが信じていた「星」って、単純に「我欲」「理由なんてなくてもそうしたいと思うこと」なんじゃないかなって話です。

マシュの人間性

2部6章の冒頭で、マシュとアルトリア・キャスターは「名なしの森」で記憶を失ったことで、お互いの立場が入れ違っていました。

マシュに関しては、1.5部からここに至るまで、英霊ギャラハッドの力が失われた状態でした。マシュ(ギャラハッド)の宝具が、「持ち主の意志の強さに比例して強度を増す」ことから、人理焼却を解決してしまった段階で、マシュの中から「やるべきこと」がなくなってしまい、それがマシュの意志の強さ=ロード・キャメロットの力の源泉を失わせることに繋がっていたんじゃないかと思っています。

そして、2部6章で『予言の子』として活動するマシュ。主人公という「理由」なく、単独でシェフィールドの戦いやゴブリン達との出会いを超えて、遂にノリッジの戦いでケルヌンノスの呪いの手に立ち向かった彼女は、

マシュ
「なぜなら―――なぜなら!わたしは『予言の子』ではありませんが、
わたしの心が!この街を守りたいと、叫んでいるのです!」

彼女の名前は、マシュ・キリエライト。
ようやく我欲を手に入れた、どこにでもいる、彼らの信じた『予言の子』だ。
(第2部第6章 9節「ノリッジ(Ⅰ)」)

たとえ自分が『予言の子』でなかったとしても、そこに主人公がいなかったとしても、自らの心の「ノリッジを守りたい」という叫び/我欲のまま走り出すのです。

ゲーティア
「彼女(マシュ)は常に(主人公)に守られ、(主人公)の前だから立ち上がれる人間性だった。」(第1部最終章 12節「未来」)

かつて冠位時間神殿で語られたマシュ・キリエライトの人間性は、ブリテン異聞帯で「初めての単独行動」を経ることで、誰にも左右されない「我欲」「自分がそうしたいからそうする」という人間性に変容しました。

そして、その変容に呼応するように、円卓の盾はその力を取り戻します。「我欲」とは「自分の意志」。ロード・キャメロットの力の源泉です。

ゲーティア
「……そうだ。あれほどの戦いをしてきながら、彼女の中ではまったく足りていなかった。(主人公)に対する彼女の感謝の念は、それほどに強かった。たとえそれが、”ただあの朝に出会っただけ”という、取るに足りない、些細な切っ掛けにすぎなくとも」(第1部最終章 12節「未来」)

一方、アルトリア・キャスターは

みんなのおかげでそれなりに様になってはきたけれど、やっぱり無理だ。
わたしには自信がない。力がない。資格がない。ブリテンを救うなんて、今でも現実味がない。こっそり逃げてしまおうか。目を覚ますたびにそう思う。(第2部第6章 9節「ノリッジ(Ⅰ)」)

周りが望むまま『予言の子」として活動する彼女は、しかし正直なところ、そんな使命はどうだってよかったのです。

―――他のことなんて、正直、どうでもいいわたしだけど。
(第2部第6章 9節「ノリッジ(Ⅰ)」)

ただ周囲の期待に応えるために、うわべの理由だけ取り繕って『予言の子』の使命を果たそうとする彼女。そう考えると、アルトリア・キャスターにも「我欲」はなかったのでしょう。そんな彼女は、モルガンの玉座でケルヌンノスを打ち倒し消滅したのち、嵐の中でこう語ります。名無しの森で出会った名もなき妖精のことを思い出しながら、

わたしだって、凄い理由なんてない。
わたしだって、彼女(ホープ)と何も変わらない。
自慢できる自分とか分からないし、褒められる才能も、きっと見せかけ。
誰もがうらやむ理由になんて、きっと一生出会えない。でも。うん、でも―――それがどうした。わたしはそれで充分だ。
あの星を裏切りたくないだけ。この気持ちを捨てたくないだけ。
わたしたちは、あなたたちは、そんなどうでもいい理由で―――
(第2部第6章 30節「夏の夜の夢」)
アルトリア
「いつだって!頑張って、いかないといけないんだ……!」
(第2部第6章 30節「夏の夜の夢」)

ここでようやく、アルトリア・キャスターは「理由も才能もなくとも、ただ、この気持ちを捨てたくないから」という理由で立ち上がり、遂に『守護者』として英霊の座に至ります。(アルトリア・アヴァロンはエミヤと同じく『抑止の守護者』のようです)

オベロン・ヴォーティガーン
「未来の姿だか、そういうくくりになった守護者かは知らないけどさ。
ブリテンは滅びた。おまえは負けた。とっくに出番はなくなってる。」
(第2部第6章 30節「夏の夜の夢」)

アルトリア・キャスターの「それがどうした」という切り返しは、ノリッジの戦いにおける主人公の叫びと一致しています。

ダ・ヴィンチ
「ひとりでアレを受け止めるつもりだ!いくらマシュでもあの質量は無理なのにねー!」「技術顧問としての進言はこう!”いま戻れば助かるよ!」
「それに勝る理由は、キミにあるのかい!?」
オベロン(回想)
「なら―――こだわる必要があるのかい?」
「マシュは君のことを思い出さない。もう君の知る彼女には戻らないのかもしれないのに?」
主人公
「それが―――どうした!」
(第2部第6章 9節「ノリッジ(Ⅰ)」)

主人公も同じでした。たとえマシュの記憶が戻らないとしても、それでもマシュを助けたい。マシュと共に戦いたい。合理的な理由なんてなくても、ただ自分が「そうしたい」と思ったから、我欲に従ってそうするだけ。

ゲーティア
「不愉快だが訊いてやる!」
「なぜ貴様は戦う!なぜ我々に屈しない!」
「なぜ、ここまで戦えたのかを―――!」
主人公
「決まっている―――!」
「『生きる為』だ―――!」
(第1部最終章 13節「崩壊」)

人理を守ってすらおらず、ただ「生きたいから生きる」という単純な我欲。
人類は皆、自らの意志に従い、世界の可能性を無限に広げていく。

魔神フラウロス
「わかっている筈だ、人類にそれだけの価値はないと!つらい記憶ばかりだ!これほど痛みを伴う進化は、宇宙の中でここだけだ!この星は狂っている。おまえたちは狂っている。この歴史に、いったいどれだけの価値がある!」
ギルガメッシュ
「一つ一つの悪意に囚われ、紋様を見ていなかった。命の価値を知らぬのは貴様の方だ、魔神王。そもそも、価値とは変動するものだ。値付けするのは勝手だが、その本質は変えようがない」(第1部最終章 13節「崩壊」)

アルトリア・キャスターが至った「理由も才能もなくとも、些細なきっかけだったとしても、自分が抱いたこの気持ちにだけは嘘をつきたくない」という「我欲」の精神性は、ゲーティアに対して「生きる為だ」と言い放った主人公のそれとも重なります。

その精神性でもって、世界の可能性=人理を押し広げていくのです。

『霊長の世が定まり、栄えて数千年』
『神代は終わり、西暦を経て人類は地上でもっとも栄えた種となった』
『我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの』
『そのために多くの知識を育て、多くの資源を作り、多くの生命を流転させた』
『人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させる為の理(ことわり)―――人類の航海図』
『これを、魔術世界では人理(じんり)と呼ぶ』
アルトリア・アヴァロン
「死したモノが生き続ける世界は、確かに見苦しい。それを終わらせようとした貴方の行動は、正しいものです。」
「ですが、それをまわりに伝播させる事は許されない。妖精たちに救いはなく、私たちの未来に何の希望もないとしても、他の、未来あるものたちの現在を奪う行為は、間違っている。それは滅びから逃げる事より見苦しい
(第2部第6章 30節「夏の夜の夢」)

未来あるものの現在は奪われるべきではない、というアルトリア・アヴァロンの発言は、過去からのやり直しを否定し、未来に向かう物語を肯定したロマニ・アーキマンにも重なります。

ロマニ・アーキマン
限られた生をもって死と断絶に立ち向かうもの。終わりを知りながら、別れと出会いを繰り返すもの。……輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。これを、愛と希望の物語と云う」
「ああ。怖いし悲しかったけど、ボクにできる事だったし。なら、辛くともやらないとね。これでいいんだ。この選択を、キミとマシュがボクに教えてくれた」(第1部最終章 12節「未来」)

そもそもFGO自体が、1部の人理焼却にせよ、2部の人理漂白にせよ、一方的に奪われた未来を取り戻す物語でした。人類が、誰のためでもなく「そうしたい」という自分の気持ちに従って紡ぐもの。そういうある種の「人間の汚さ」を肯定するFGOだからこそ、絶対的な存在により統制された異聞帯という剪定事象は、人理たり得なかった。

「そうしたい」という些細なきっかけ、ちょっとした自分の気持ち=我欲が、アルトリア・キャスターの「星」だったんじゃないかなあと思うのでした。理由も才能もないし、「自分のため」でもない。自分を含む誰かのために「してあげる」のではなく、ただそうしたいからそうするのです。

やせ我慢でも。自己満足でも。
自信がなくて、最後まで答えを知らなくても。
ひとから見れば、取るに足りない。くだらない理由でも。
それだけを信じている。それだけが信じられる。
それだけが、今もこうしてわたしを走らせ続けている。
さようなら、幼いあなた。これまでも、これからも、いつまでも。
胸に宿る星の鼓動。鐘の音は、やがて自らの内に響くでしょう。
(第2部第6章 30節「夏の夜の夢」)

おわり。書き殴っちゃったからあとで推敲する。かも。しないかも。

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