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「老い」の過程でできるようになったこと

本学は旧帝大系の大学であり、各地方にひとつずつある大学であるはずなのだが、なぜか関西には京大と阪大がある。既に京大があったのに、すぐ近くに阪大ができたのはなぜかというと、阪大は地域の人たちから請われてできた大学だからだそうだ。だから社会への貢献度の高い大学としてローカルとグローバルの展開ができており、その一つにSSIがある。

当研究室もそうでありたいと思い、研究も多職種での共同研究や臨床だけでなく在宅など様々な人たちや組織とのコラボレーションを進めている。研究のみならず、様々な活動でもそうである。そのひとつで、研究のシーズ的なものになるのだが、当研究室の招へい教員である、兵庫県たつの市のNPO法人いねいぶるの宮崎先生がたつの市と共同で行っているたつの市地域共生社会推進事業で、SSIでも進めている哲学カフェを下沖自治会の皆様とやってみた。全3回だったが、老いてできるようになったこととして、

「親が亡くなったときは悲しくて泣いたけど、兄弟が亡くなったときは〝おつかれさま、今まで大変やったな〟って声をかけていた。自分も老いて、亡くなることへの感じ方が変わった」
「自分のために使える時間、自分がしたいことを選べる時間、そういった時間を老いて得られた」
「これからは、夕焼けから夜、そして朝の迎え方を考えていきたい」

などが意味深い発言が多かった。老いを夜、そして人生の終末を朝という表現が粋である。その下沖自治会の方々がつくった写真の「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」も自分事のように心に刻んでいきたい。

アカデミックスタッフ 山川みやえ

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