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ニート、転倒

日課のラジオ体操が終わって郵便受けを覗きに行き、部屋に戻る途中で転んでしまった。
普段歩き回ることがそもそも少ないだけに転ぶのもまた相当久しぶりなことである。

階段を上り終えた直後に前方に向かって倒れ、壁に頭をぶつけた。
被害は頭と膝に軽い擦り傷、あとはとっさに受け身をとった右手を打撲していて、これが今でも痛んでいる。
怪我をするなら普段使わない部位にしてほしいものである。手なんかに怪我をするとありとあらゆる作業にストレスと痛みが生じてしまう。
しかしまぁ普段使う部位であるから受け身にも使うものなのであり、例えばへそで受け身を取れたりはしないため、仕方がないと言えば仕方がない。

階段を下っているときに転ばなかったのが不幸中の幸いだ。
ろくに栄養も取らずに起き抜けのふらふらの体で外に出るのはそれなりに危険な行為で、階段から落下するというのは最も妥当で最も重大な事故の可能性の一つである。
転ぶのが怖いからという理由で歩くのをやめることはできないが、そう言っている間に致命的な怪我をする可能性があるというのはやはり恐ろしいことだ。
今それが起こっていないというだけで、偶発的な怪我や死というのは本来いつでも起こる可能性があるのだ。これはニートだけでなく全ての人々に言えることである。

こうした心配を故事成語で「杞憂」と呼ぶこともあるわけだが、起こる可能性がゼロでない以上は恐れずにはいられない。
軽度ではあるが怪我を負った直後の今では尚更そういうことを考えてしまう。

とりあえず、貧弱な肉体をどうにかすることである程度リスクを低減できるとは思うので、やはりラジオ体操は今後も毎日続けることにしたほうが良さそうだ。
ここで記事にして以来、ラジオ体操はほとんど毎日続いている貴重な習慣の一つである。
体を伸ばすたびに全身のあちこちがバキボキと音をたてるのが心地よい。ごく軽い運動ではあるが、寝たきりないし座りっぱなしの生活を送るよりかは幾らか健康的だろう。

外に出るたびに「よし、転ばないようにするぞ」などと考えることはできないし、そう考えたとしても転ぶのを絶対に回避できるわけではない。
この手の心配をし始めるときりがない。そしてその割にころっと忘れてしまうものである。
だから忘れないうちに、今後そうした事故に遭わないよう祈っておこう。
もちろん、祈りも何の効果もないのだが、結びの文としてはこう書くのが妥当なところだろう。

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