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月刊 QはA #4 「音源はライブしない」

これは、Stiffslack Monthly 2021年7月号に掲載されたコラムのアーカイブです。

サブスクの隆盛とともに、音楽の楽しみ方がライブ中心に変わってきた傾向は、それはそれで面白いなと思っています。同時に、そういう状況を、ライブの現場にこそ、リアルな現場にこそ、音楽の真髄が凝縮されているんだ、世の中がやっとそれに気付き始めたんだ、的に解釈する空気も漂ってるように感じることがあるんです。そういうムード、けっこう苦手意識があります。音楽を楽しむ「現場」ってそもそも他にもいっぱいあると思うけどなって。テントを持ってフェスに行ってタオルを振り回してる人達や、ライブハウスに出向いて顔見知りに夕方でもおはようって挨拶するような人達の言う現場感だけで、多くのことが語られ過ぎているような気がしてまして、なんとなくね。

そもそも生演奏を聴くことの代用品として音盤を買っているつもりはないですし、当然リスニングにはリスニングの楽しみ方があると思って金と時間を使っています。生演奏を聴いた時と同等の感動を得るために工夫して家で音楽を鳴らしているのではなく、どちらかというと、音盤のポテンシャルをそこそこ生かせるように工夫して、そこから何かを感じようとする遊びに精を出しているのだと僕は思っています。普段の暮らしで、自分の部屋で自分で選んだ機材を通して音楽を聴くのが大好きですし、部屋は音楽を楽しむひとつの現場だと思ってます。

通勤電車でも、自分で作ったデジタルデータを中心に聴きます(先月のコラムにも関連記事を書いてます、よかったらそちらもご参照ください)。SE315というイヤフォンを、断線修理したり買い直したりしながら、発売以来10年以上、機種を変えずに使い続けてます。気分によってはポタアンをかまして楽しむこともあります。イヤフォンを変えない理由は、自分の耳に自信がないので聴こえ方の基準をハード的にある程度フィックスした上で、今まで聴いてきた音楽と比べながら色々気付けたら楽しいかなと思うからですかね。スマホ側の仕様も数年毎に変わるので全然厳密ではないですけど。まあ、僕にとっては通勤電車も音楽を楽しむ立派な現場です。

「あの音源、ピンとこなくてすぐに売ったわー」に対して「でもあのバンド、こないだのライブめちゃくちゃ良かったよ。」みたいな何気ない会話はよくあると思うんですが、あのバンドのライブが良いという情報を得られてOKなのと同時に、それは別の話でもあると。バンドのライブが良かったという情報は、音盤が僕のリスニング現場で価値を生み出せなかったことにはなんら影響しない。逆に「そんなにあの音源が気に入ったなら今度一緒にライブ観に行こうよ」みたいなのも、たいていは自然にうんうんそうしよーとなりますが、音源を好きになれただけで僕は全然十分で、むしろこの状態が心地良いからライブの話なんて今は別に要らんよとなることもあるし、あっていい。音楽のエンドユーザーにとって、いろんな現場があるってだけのことを、むやみにごちゃ混ぜにする必要はないと思うんですよね。

誰かが作ってくれた現場に乗り込んで遊ぶのも楽しいし、自分で作った現場でまったりと遊ぶのも楽しい。ただ、後者の感覚はだんだんと共有されなくなってきてるのかなと思ってます。

音楽を聴く時のメインソースはサブスクのストリーミングで、音源を買う時はソースとしてではなく半ば証(あかし)としてフィジカルを手元に置く、という最近の傾向では、音楽体験を通過した実感を持ちにくいのかもしれない。そうなるとライブこそが現場、お祭りこそ現場だという方向に傾くのかなと、いや想像ですけど。おしまい。

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