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ゲームの感想について考えてみる

 noteが読んだ本の感想を書いてみないかと勧めてくるが、僕は遊んだゲームの感想を書きたい。少し前に考えた【ゲームの感想】について自分なりにまとめておこうと思ってこの記事を書いている。

この記事はあくまで個人の見解であり、【正しい感想】を主張するわけではない。じゃあなんでこんな記事書くんだという話だが、自分の考えを他人に語るような形式としてまとめることで、より自身の中に考えを定着させたり、より良い方法を模索する足がかりとしたいからだ。(あと文句言われるのを未然に防ぎたい)(これが本音)

また、僕もごくまれにゲームを作るので、【ゲーム制作者が書かれて嬉しい感想とは?】という目線も多く含む。若干ゲーム制作者寄りで考える。

あと、別にゲームに限った話じゃない、かも。


そもそも感想を書くこと/もらえることについて

 基本的に、感想を書くのはハードルが高いと思う。たいていの人は感想を書くなんて面倒臭くてわざわざやろうとはしない。今、試しに『Slay the Spire』のSteamレビューを覗きに行ってみた。

Steamの定番タイトルで、最低でも100万本以上は売れているゲームなはずだが、それでもレビューは7.7万件だそうだ(2021年5月29日時点)。やはりほとんどの人は感想なんて書かない。

(レビューと感想はまた別物かもしれないがとりあえず今回はスルー)

また、ゲーム制作者が目を通すと思っている場合、感想を書き込むのもハードルが高い。配慮した感想を書くように気を遣う必要が出てくるからだ。

以上のことから、はっきり確信出来る。ゲーム制作者は感想を書いてもらえたら、とても嬉しい。なんせたいていの人は感想なんて書かないからだ。もちろん、悪意を持って感想を書き込んできたり、1から10までボロクソに貶されていたら流石に素直に喜びづらいが。

たいていの人は感想なんて書かないからこそ、感想を書いてもらえるとゲーム制作者は喜ぶ。そしてだからこそ、感想を書くことを恐れる必要は全く無い。どんどん書いていい。「面白かった」の一言だけでも全然構わない。そのゲームが気に入ったなら、なおさら書くべきだ。感想がもらえた作者は張り切って次回作に取り組むだろう。


一言だけの感想「面白かった」

「面白かった」の一言だけでも全然構わない

 さっきそう言っておいてさっそくケチを付ける。 

 よくある感想として、「面白かった」「楽しかった」などがあると思う。ゲーム制作者からすると、これはまあ、嬉しい。ポジティブな意見ならまあ嬉しい。他にも、「難しかった」とか「つまらなかった」などもあるだろう。

ただ正直な話、これらは今後のゲーム制作にあまり役に立たない。このゲームはウケたんだな、あるいはウケなかったんだなとしか分からない。一言だけの感想は、リトマス試験紙としての意味しか持たないと思っている。はっきり言ってしまえば、機嫌が良ければ笑い、不快なら泣く赤ん坊となんら変わりない感想だ。

※だからといって、一言だけの感想はダメだと言いたいわけじゃない。さっきも言ったとおり、感想をもらえるのはそれだけで嬉しい。また、感想を詳細に書くのは面倒臭い。だから一言「面白かった」で済ませるのは当たり前だ。僕もよくやる。というかほとんどそうしている。

とはいえ一言だけの感想は、【何が】【どう】といった部分が欠けているのだ。だから感想をもらっても「そうなんだぁ」としか思えないことが多い。


ゲーム制作のためになる感想

なんか強そうな見た目のボスだったので、最初は遠巻きに様子をうかがいながら戦いました。それでボスの強攻撃が避けられなくて1回やられたんですけど、2回目の挑戦でモーションをさらによく観察すればジャンプして避けられることに気付いてギリギリ勝てました!めちゃくちゃ楽しかったです!

こういう感想なら、ゲーム制作者としてはスゴくありがたかったりする。そしてゲーム制作者に以下の意図があったとする。

・このボスは1度はプレイヤーに負けてもらう強さとして作る
・ギリギリの死闘を楽しんでもらいたい
・強攻撃の避け方に気付くかどうかが攻略の肝
・観察で避け方に気付けるようにする
・遠巻きに観察してもらうためにヤバそうな見た目にする

この場合、制作がとても上手くいったことが感想から分かり、喝采を上げるわけだ。一方で、以下の制作意図があったとする。

・このボスは最弱ボスのつもりで作る
・最弱ボスらしく弱そうな見た目にする
・サクッとボスを倒して気持ち良くなってもらう
・強攻撃はすぐに対処が分かるしやってくれたらラッキー行動

この場合でも、意図が上手く伝わっていなかったことが分かるわけだ。感想が非常に参考になっている。

以上のことから、僕が考えている良い感想、もらって嬉しい感想というのが導き出せる。

①与えられた情報に対してどう感じたか
②与えられた情報(あるいは抱いた感情,欲求)を元にどうプレイしたか
③プレイしてどういった結果(情報)が得られたか
④(実質①)結果に対してどう感じたか

ゲームというのは問題解決をしていくサイクルを楽しむものだ(※諸説あるがここではそういうことにする)。そのため、計画→実行→結果のサイクルをどのように感じ、どのように進めたかを書いてあるのが参考になる。それがゲーム制作者にとって嬉しい感想というわけだ。

先の例に当てはめてみると、

①ヤバそうな見た目のボスだ
②遠巻きに様子をうかがいながら戦おう
③強攻撃が避けられず負けてしまった

ここで再び①に戻る

①ジャンプすれば強攻撃が避けられそうだ
②避けられるぞ!
③ギリギリで勝てた!
④めちゃくちゃ楽しかった!

こうなる。かなり単純化してるがだいたいこんな感じだ。


 ここまで【ゲーム制作のためになる感想】という視点で話を進めてきた。だが、【読んだ人が共感出来る感想】もほとんど同じだと思っている。

これまた雑に単純化して書くが、

「あのボス強すぎ」

よりも

「レベルマックスにして挑んだのに100回殺されてようやく勝てた。あのボス強すぎだろ」

のほうが共感を生みやすいのは間違いない。ゲームの詳細な感想は、ゲーム制作者にとってありがたいし、他の感想を読む人に共感を生むものになる。

ただ、【面白い感想】になるかどうかは少し難しい話かもしれない。


良い感想≠面白い感想?

 ここまで書いてみて少し思ったことがあるので、脱線しよう。【ゲーム制作者がもらって嬉しい感想】は【読んだ人が共感出来る感想】でもある。ただ、だからといってそれが【面白い感想】かどうかはまた別の話かもしれない。

「ここでこう思ったからこうプレイしてこう感じた」というのは、突き詰めすぎると一種のプレイレポートのようになってくる。共感は生むかもしれないが、面白おかしい読み物にはならないだろう。

○○はなぜ面白いのか?を詳細なプレイレポートを元に分析する話
男性キャラに嫌いな上司の名前を付けた上でわざと死なせて棺桶引き摺り回ながら世界を救った話

人にもよると思うが後者のほうが面白そうだ。つまり、プレイヤーの属人性が強く出ているとゲームの感想は読み物としてより面白くなるのかもしれない。

①与えられた情報に対してどう感じたか
②与えられた情報(あるいは抱いた感情,欲求)を元にどうプレイしたか
③プレイしてどういった結果(情報)が得られたか
④(実質①)結果に対してどう感じたか

【①与えられた情報に対してどう感じるか】【②与えられた情報(あるいは抱いた感情,欲求)を元にどうプレイしたか】、これらの切り口が斬新だったり独特だったりすると面白いわけだ。

要は感想をどういったコンセプトで書くかという話かもしれない。ゲーム制作者がためになる感想を書きたいのか、読んだ人を楽しませたいのか、それとも読んだ人にそのゲームを買わせたいのか。何を伝えたいのかを意識しようと思う。


話を戻すか。

「難しい」「難しかった」のワナ

 ゲーム制作者がよくもらう感想筆頭、「難しい」「難しかった」についても考えてみる。こいつは結構な初見殺しだと僕は思っている。

これまた極端な話をすると、生まれて初めてゲームを遊んだ人の「難しかった」と高難易度ゲームのクリア経験がたくさんあるゲーマーの「難しかった」は同列には語れない。

基本的には、【何が】【どう】難しかったのか書いてあればありがたい。ただ、ゲームの難しさは【ゲーム自体の難しさ以外】の要因が多い。ちょっと考えてみる。

・ハードスペック
・操作デバイス
・ゲームの腕前

そもそもハードスペックが足りなくて処理落ちが発生して難しくなっていたとか、コントローラー推奨のゲームでキーボード操作していたとか、実はゲームを人生で初めて遊んだとか、そういう落とし穴が存在している。

実際、ゲーム制作者が一人で作っていると難易度は高くなりがちだ。でも「難しい」と言われたときに取る対策が成功するとは限らない。ゲーム外の要因も存在しているからだ。

そもそも【難しい≠つまらない】なのもひどいワナだ。難しいと言われつつもそのプレイヤーのクリアタイムが想定した時間だったり、コンティニュー数だったりしたなら、難しさはむしろ適切だったかもしれない。目指すゲームを意識し直そう。


ゲーム制作者目線に寄りすぎてしまった。感想を言う側に戻ろう。


感想を書くときに、難易度について言及するときは、だいたい以下の要素にも目を配ると良さそうだ。

実行環境
 ・ハードスペック
 ・操作デバイス
プレイ時間(クリアまでにかかった時間)
コンティニュー回数
ゲームの腕前

【ゲームの腕前】に関しては主観的な腕前ではなく、客観的な事実を書くといいだろう。

・『Downwell』のハードモードをサカダチスタイルでクリアした
・『Celeste』をアシストモードなしでチャプター9までクリアした
・『Hollow Knight』の監視者の騎士が倒せずに止めた

こういうのが添えてあると、ゲーム制作者は想定した難易度に出来ていたのか考えるのに役立つかもしれない。


まとめ

 うーん。結構脱線したのでまとまった感じがしない。感想をもらうゲーム制作者目線と、感想を書くプレイヤー目線を行ったり来たりしたからだ。「難しい」の話に至っては、もはやゲーム制作論に片足を突っ込んでいるような気がする。

やっぱりコンセプトを絞って書かないとダメだな!

教訓を得たところで、まとめておこう。

そもそも感想を書くこと/もらえることについて
 ・感想を書くのは面倒臭いので書く人は少ない
 ・ゲーム制作者は感想をもらえると嬉しい
 ・ガンガン感想を書こう
一言だけの感想
 ・一言だけの感想はゲーム制作に役立つかは微妙
 ・一言だけの感想は共感を生むかは微妙
感想の書き方
 ①与えられた情報に対してどう感じたか
 ②与えられた情報(あるいは抱いた感情,欲求)を元にどうプレイしたか
 ③プレイしてどういった結果(情報)が得られたか
 ④(実質①)結果に対してどう感じたか

面白い感想とは
 ・良い感想≠面白い感想?
 ・属人性が強い感想だと面白い感想になるかも
「難しい」のワナ
 ・ゲームの難しさは【ゲーム自体の難しさ以外】の要因が多い

 ・【難しい≠つまらない】
難易度を語るための情報
 実行環境
  ・ハードスペック
  ・操作デバイス
 プレイ時間(クリアまでにかかった時間)
 コンティニュー回数
 ゲームの腕前

以上。あんまりまとまった気がしない。

ここまで書いておいてこう言っちゃあなんだが、ここまで深く考えて感想書くの、疲れね?面倒臭くね?「面白かった」だけで良くね?

……やっぱり「面白かった」の一言で済ませていいのかもなぁ。無思考に屈しそう。注力すべき/したい感想を選定するのが大事かも。【時間の使い道を考えましょう】という当たり前の話か。


僕は【そのゲームがなぜ面白いのか?】をメインに語り、それが読み物として面白いものに仕上げたいと思っているのだが、正直欲張りすぎなのかもしれない。【分析・レビュー系】と【読み物として面白い系】の二つの軸で書き分けるのが無難なのかもしれないなぁ。

そして普段は「面白かった」で済ませるのだ。


おわり


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