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『大神 絶景版』プレイ感想

 大神 絶景版を遊んだので、ササッと感想を書く。ネタバレはガンガンするので注意。原作はもちろん未プレイで、Nintendo Switch版でプレイ。ただ、Switch版の目玉とされるジョイコン操作は使いませんでした。ごめん。オリジナルの感覚で遊びたかったんや……

遊ぶ前に注目していたこと∥遊ぶ前のイメージ

 ラスボス戦のBGMがめちゃくちゃカッコいいのと、そのラスボス戦が泣けるらしい……というのは知っていた。あとは、【主人公が神様で筆を使ってなんでも出来る】辺りも知っていた。なんとなく、ゼルダっぽいゲームなのかな?というイメージ。

この記事における“ゼルダ”は『風のタクト』や『トワイライトプリンセス』辺りをイメージしている。

というわけで、注目していたのは

①ラスボス戦で泣ける(くらい感動する)?
②どのようにゼルダと差別化しているか?(主にゲームシステム)
③筆を使うアクションは障害に対して解決アクションを使うだけになっていないか?また、そうなっていないならそれはどのように達成しているか?

以上、三つを主に注目しつつ遊んだ。

遊んでみてどうだったか

 だいたい24時間くらい?でクリアした。死亡回数ゼロ。やり込み要素とかはすべてスルーした。というか、進めてると勢いでラスボス戦まで行っちゃうよね?

①ラスボス戦で泣ける(くらい感動する)?
 
ラスボス戦突入演出、ちょっと泣きかけた。とてもよかった。

いつも頭の上でやかましく喋り散らかしている相棒キャラクターのイッスンが、最終決戦には参加できず、それでも最後には力になってくれる展開。イッスンはゲームシステム上でもシナリオ上でも最後までほとんど役に立たない──役目を課せられていない∥果たしていない──キャラクターだったんだけど、最後の最後に大きな役目を果たすのがアツい。天道太子の設定が出てからは、それまで何気なく見聞きしてた語り部と絵巻の注目度が高まっていって、満を持して仕込みが発動するのが気持ちいい。祖父と孫の確執も同時に解決されてて、これも気持ちいい

個人的に「すげえいいな!」と思ったのは、イッスンが普段通りの態度なところ。「みんな力を貸してくれ!」みたいな態度じゃなくて、あくまで普段のふてぶてしい態度と口調で、飄々と伝道を成し遂げるところ。「絵描きとしての腕前はちゃんと天才だったのか!」っていう。頼もしすぎる。

②どのようにゼルダと差別化しているか?(主にゲームシステム)
 
プラットフォーマー的要素がわりと多く含まれていて、ここは明確にゼルダと違う(自動ジャンプじゃないし)。あと謎解きっぽい要素もあるが、ゼルダと比べてとても難易度が低い。

③筆を使うアクションは障害に対して解決アクションを使うだけになっていないか?

 なってた。【ひび割れた壁や床⇔爆弾】【火が邪魔⇔風を吹かせて消す】など、障害に対して解決アクションが一対一になっている

じゃあ面白くないかというと、そうでもない。シチュエーションやリアクションが豊富で飽きない。特に【大神降ろし】は、ちょっとした問題を解決するだけで、ものスゴい変化が画面に現れるのが最高。ペース配分もよい。まぁこれに関してはゼルダも同じだが。障害に対して解決アクションが一体一になっている点も含めて。

大神の【筆しらべ】は、幅はあるが深みが無い。ほとんどの筆しらべが【なにかとなにかをつなぐだけ】で、さらに筆しらべ中は時間が止まるので実行も容易。もちろんこれで時間が止まらなかったら難しすぎるので、時間が止まるのはよい仕様だが。また、筆しらべは画面内のオブジェクトに干渉するアクションなので、画面を見ればどの筆しらべを使うのかすぐに分かる。

ゼルダには深みがある。まず【ひび割れた壁や床⇔爆弾】を例に挙げてみる。

①ひび割れた壁を見つけて、そこに爆弾を置くだけ
②爆弾が置けない→投げる
③投げても水があって爆破できない→タイミングよく投げる

ゼルダにはこうした応用編──深みがある。大神には無い。

これは良し悪しのハナシではなく、方向性の違いだ。深みは、あるとコアなユーザーは喜ぶが、カジュアルユーザーが詰まってクリアできない危険が高まる。この記事は全部個人の感想に過ぎないが、ゼルダよりも大神のほうが最後まで遊んだユーザーは多そう。異袋システムやアイテムなどもクリア率を高めてそう。

また、筆しらべ自体はそもそも【道を作るための下準備】に過ぎないと捉えることもできる。本番はそのあとのプラットフォーマー的なアクションだ。(とはいえ、このプラットフォーマー遊びの質も、それを専門にしているゲームに大きく劣るのだが)

遊ぶ前に注目してなかったところ

 ここからは遊ぶ前に注目してなかったところについて、いくつか書いていく。

バトルについて思ったこと

 つまらない。いや、言いすぎたごめん。でも書いちゃう。つまらなかったけど、別に文句たらたら不満でろでろの状態で遊んだわけではない。笑いながら文句言ってた。フォローになってるかこれ?

なんでつまらないと感じたのか考えてみた結果、だいたい以下のような要因なのかなぁと。あくまで個人の感覚だけど。

①敵の攻撃が急に来るように感じられる
 └敵の攻撃予兆(モーション)がちょっと大人しい?
  └プレイヤーの攻撃エフェクトが派手すぎて見えにくくなる
  └予兆から攻撃までの時間も短め?
②神格システムでミスのフィードバックがぼやける
 └ミスっても無かったことにしてくれるシステム
  └安堵すべきか悔しがるべきか、分からなくなっちゃう
  └システム自体が馴染み薄く、直感的じゃないので戸惑う
③“答え”への誘導が弱い
 └多くの敵が倒しかた∥攻撃の防ぎかたに答えがある
  └一部の敵の答えが直感的じゃないし、そもそも気付けない
   └謎解きはかなりヒントを出すのに、対称的……
    └この待遇格差が不満につながる?
④答え∥答えまでの道筋の一貫性に欠ける
 └赤天邪鬼:琵琶でガードしてきたら一閃で壊せる
  └姑獲鳥:傘でガードしてくるが一閃で壊せない
 └黄天邪鬼:地中から出てくるときに背後に回る
 └女郎蜘蛛:筆しらべ→攻撃
 └赤カブト:攻撃(鎧を剥がす)→筆しらべ→攻撃
 └オキクルミ:常に攻撃が通るガチバトル?
  └全体的になにをすべきかパッと分からない感じ
⑤クリアタイムと被ダメージでランク付けしてくる
 └③④のアンフェアに感じる状態で評価されるのはちょっと……
  └ボス戦で毎回「討伐時間:凡」って言われるのツラい

一番つまらないと思ったのはヤマタノオロチ戦で、答えが簡単に分かる。それ自体はいいんだけど、それを8回繰り返す作業を強いられるのがちょっと。そしてこのオロチ戦が作中で三回もある(笑)あと、雪童子に∞の爆炎使っても効かないの、ケチだ。ただ、こういうちょっとした不満の出るバトルを、道中で手に入れた消費アイテムを大胆に使って破壊できるのはとてもよい

一番楽しかったボスは双子の魔神で、このボス戦はハッキリとゼルダ的なバトルに仕上がっててよかった。

 勾玉攻撃で多段ヒットする気持ち良さとか、倒したときに筆しらべで追撃を入れたらボーナス貰えるとか、そういう要素はとてもよかった。もうちょい分かりやすければ、僕にとって楽しいゲームになったのかな?

ちょっと気になった細かいところ

 ヒミコ死ぬところ∥オキクルミが村に戻るところとか、もっとカットシーンで表現してくれ。幽門扉を開けると災いがどうこうって伏線ってちゃんと回収された?終盤でカグヤ再登場せんのかい。タカマガハラ or 月がラスダンで、そこでなんかもっと展開があって欲しかった気がする。

ラスボスSF的な存在なのがちょっと……和のゲームなんだからラスボスはちゃんと和で〆てくれや。ただ、世界観にSF要素持ち込むのはめちゃくちゃアリ。世界に深みや広さが感じられるので。でもラスボスがぽっと出の、意志を持って無さそうなのがイヤ……ぽっと出なのはまぁしょうがないというか、シナリオ上そういう見せ方なのはまぁ。しかしヤマタノオロチ戦やキュウビ戦の盛り上がりを経験しちゃってるからなぁ……

ウシワカ、さんざんヘイト溜めたけど、正直ラストシーンだけではヘイト解消されてない。一回庇うくらいではなぁ……ゲーム的にもちゃんと共闘したうえで、大神を庇ってやられるならよかったかも。なんなら殺してよかったかも。最終決戦での自分の死を予知したうえで行動していたなら、ヒミコの死に対する反応にもスゴ味が出る。

終盤は面白いものの、やや散漫としてる?駆け足すぎる?金∥時間∥人が足りなかったんだろうなという気はする

エンディング曲にボーカル入ってたけど、「なんか違うな……」って思っちゃった(笑)

スサノオ伝説!

 大神でラスボス戦突入演出の次に感動したのが、第一部ヤマタノオロチ編におけるスサノオというキャラクターの見せかた

第一印象は悪い。スサノオは伝説の剣士の子孫を名乗っているけど、昼間から酒を呑んで寝てるちょっとだらしないおっさん。そしてスサノオが剣を振る動きに合わせて、プレイヤーがこっそり手助けしてモノを斬っていく。

本当は実力が無い人間を、影からこっそり支援して傀儡のように操る。これは楽しい。プレイヤーは神様なので、神のごとき所業ではなく、まさに神の所業だ。同じような展開が何度かあり、最終的に赤カブト戦ではスサノオに手柄を“立てさせる”。

スサノオは誰かが自分に力を与えていることに気付く。神が自分を操っていることに激怒する。そして、スサノオはイザナギの子孫だとか、ヤマタノオロチ伝説だとか、そういった伝承が自分についてまわることを厭悪していたことが明かされる。自分でないモノに自分が定義されることを唾棄していたわけだ。その結果、ヤマタノオロチの復活を招いてしまったことも同時に明かされる。そして自分にはその責任が取れないことを嘆き、酒を喰らって家に閉じこもる。

しかし、最終的にはヤマタノオロチ討伐に現れる。オロチの誘惑をはね除け、自分はイザナギの子孫であると高らかに宣言する。一度否定した自身のアイデンティティを今一度受け入れて自分を確立したのだ。この時点でかなりの感動があるのだが、圧巻なのはそのあと!

これまでこっそりとスサノオを支援してきた。オロチ戦の最後でもそれが始まる。スサノオの動きに合わせて筆を走らせて斬撃を生み出し、オロチの首を一つ二つと断ち切っていく。そして最後の首、トドメの瞬間。ここでスサノオから「手助けは要らない」と言われ、見事スサノオはオロチにトドメを刺す。これがスゴい!

ゲームには【省力化】が多く存在する。強い技を覚えて簡単に敵を倒せるようになったり、歩いて移動していたのにワープできるようになったり、クリックしなくてもクッキーが増えたり。ゲームを進めていくうちに、どんどんラクになっていく。この省力化は、主にゲームシステムによって体験できることが多い。

大神のスサノオが見せるこの物語は、省力化だ。陰でこっそり支援していたのが、最後には不要になるわけだ。通常、アクションゲームにおいてボスのトドメというのは神聖なモノだ。カットシーンで、しかもプレイヤーの自分じゃないキャラクターにトドメを奪われるなんてもってのほか。

ところが大神では、スサノオが神であるプレイヤーの操作を受け付けず、ボスに自動でトドメを刺す。スサノオが見事に自己を確立し困難を乗り越えたことの、強烈な演出となっているのだ。操作させてもらえないことが、逆に嬉しくて、誇らしい。スサノオ、カッコいいぞ!

省力化という要素を、キャラクター∥物語演出の一部として組み込んでいるのは初めてだった。これはビデオゲームならではの物語演出だ

そのほか、好きなところ

 コカリの釣りのときの声、めっちゃ好き。ニャヒィ!
ベンケイがただの釣り好きおじさんになるの、なんか好き。
キャラクターのモーション、全体的によく動いててスゴく好き。
勝ち鬨を上げるの、めっちゃ好き。
大神降ろし気持ち良すぎて好き。
全盛期のアマテラスと共闘するところ強すぎて好き。
スサノオの成長の見せかた好き。
ラスボス突入演出好き。
ラスボス戦BGM好き。

また思い出したらここに書き足すかも。


おしまい


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