100円のカップ
きちんと書けるとは思えない。
なら、やめとけ。と、大人な僕は思うけど別にきちんと書けなくてもいいじゃないかと開き直ったりもしてる。
大人だ。
落ち着いて構築できた文章はもちろん理想だが、混乱を混乱のままとにかく文章に残すと言うことにも、何らかの意味はあると思う。
と言う言い訳を長々としたが、要するに自信がない。
最近知った事実が、あまりに急で衝撃的で全く整理できてない上に、自分の文章力には飲みすぎた翌朝の記憶くらい信頼が置けない。
でも、書く。
も一度言うが、今の感情は多分今しかない。
なら間違ってようが誤解を招こうが今しかない感情を書いておくことにも意味はあるだろう。
あると信じたい。
先日。
大変お世話になっていた飲食店時代のお客様が亡くなった。
亡くなっていたことを知った。
取りあえず最初に言い訳したので、ストーリーとか時系列とかくそくらえで思い出すままに濁流のように想い出を垂れ流す事にする。
チーフをしていた老舗のバーの、スーパー常連客だったその人は、とある会社の女性トップだったから通称「社長」と呼ばれてた。
2、3回厳しいことも言われた様な気もするが、基本的には明るく優しい人だった。
よく一件目の居酒屋からティッシュに包んだ、鮭とばやらビーフジャーキーやらのおつまみをお土産に持ってきてくれた。
年末にお歳暮で届く高い缶ビールを「あたしサッポロ黒ラベルしか飲まないから」と沢山くれた。お陰で年末はうちのショボい冷蔵庫がヱビスでいっぱいになり「ごめんごめんヱビスしかないんだけど、いい?」が出来た。
僕の結婚式の二次会で、アカペラでこれでもかと大声でイナズマ戦隊の応援歌を歌ってくれた。
マイルドセブンの10ミリと麦焼酎二階堂の伊藤園烏龍茶割りを愛した。サントリーだとやや不満そうだった。
デパートの新館の高層階にあった喫煙所から、遥か下を通るバスの背中を見るのが好きだった。
ムスカか。
男性の様なショートカットをツンツンにして、カッカッカッと背中で笑って去っていく人だった。
バレンタインデーに銀色のカップを貰った事がある。
20年前、店に入ったばかりの僕に、綺麗にラッピングされたステンレスのカップを渡しながら彼女は言った。
「アンタ飲みそうだからでかいの買ってきた。あとあんなの使ってるよ唇切るよ。みっともないでしょ、くちびる切れたバーテンダーとか。」
僕が使ってたのは、端をチップして使えなくなった店のグラス。
口はうっかり2回切ってた。
あれから20年ちょっとたった今も。僕はそのステンレスのカップを持っている。
毎日毎日毎日。
早い時間はコーヒーを、夜が濃くなったらウイスキーをステンのカップにガランガランと氷を落として飲んだ。
嫁になる彼女が出来た日も、子供が生まれた日も、母親がくも膜下出血から退院した日も、ガランガランとカップを鳴らして乾杯した。
そのどの時も、彼女はカウンターの向こう側で笑ってくれていたと思う。
2021年。1月1日。
「社長」は亡くなっていた。
「基本的に生きてる人間が大事だから」
一切の儀礼的なものを断るようにとの故人の言葉です、と娘さんから聞いた。
「御時世だしね」
カッカッカッと笑う顔が見える気がする。
お世話になりました、も。
ありがとうございました、も。
ゆっくり休んでくださいも。
なんも言わせない去り際が、らしくてらしくて、らしすぎて、何だか負けたみたいに悔しい。
後から分かったんだけど、ステンレスのカップは100円均一のものだった。
絶対にラッピングの方が金のかかった紙袋を、悪戯するような笑顔で僕に突き出してきた、あの夜の光景を多分忘れない。
深夜の地下のバーカウンター。
ある時期。
「社長」の真ん前は僕の定位置だったんだ。
「いつまでグズグズ言ってんの、前を向け!」
って、叱られそうな気はするんだけど。
叱って欲しい気はしてるんだけど。
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