見出し画像

5月30日

執着しているのかもしれない。

きょう。私に話しても良い、というかたぶん私に話すべき?だったんだろう、何気ないというかまぁそれなりに重要な話の話題があって、
それが違う人にふられて喋っている場面を私は作業していて、なんとなく小耳に入れていた。

私は作業していたし、なんなら話しかけるなオーラを出していたのかもしれない。
何気ない話だからこそ話してほしかったし、まぁ重要な話でもあったから話してほしかったんだけど
なんだか胸が締め付けられるような気がして。

話はそれるが、先日哲学カフェに参加してかなしみについて話したんだけど。
色々考えてみたのだが、感情をラベリングして保存してないかもしれないと思った。かなしみってなんだって思った時にぱっと出てこない。
なんだかこう、胸がつらいというかあの感じ。あの感じが出てくる。あぁ、楽しかったとかもないし。そのことを場面として覚えていたり、良かったなぁ〜とか。
本に出てくる登場人物も覚えられない。名前の字体のイメージで読んでいるもんだから、名前で覚えられない。私が自分の思いを言語化できない、苦手な理由はこれだろうか。


話しかけてもらえなかったことが胸を締めつけられる理由でなくて、その人に話しかけてもらえなかったこと。それかな。

でも自分も話しかけてもらえるような余裕を持っていなかった。なんてことを考える。何にこだわっているのか。


の帰り、こちらのラジオで
この3人のトークのテンションがとても心地よい。



今、とても本が読める。ことばが入ってきやすい。気持ちが入ってきやすい。たぶん、そんな時期なんだと思う。
そして、毎日が気づいたら終わっている。気づいたら朝で、帰ってお風呂に入ってる。よくない気もする。五月病かな。だけど、身体の調子は良い感じ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?