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TAFRO症候群×新型コロナウイルス感染1日目:陽性反応から肺炎判明まで

一番、恐れていた事態になった。
さすがに今回はもうダメなのか…覚悟をした。

でも、父は今回もまた奇跡的に一命を取り留めた。
今日現在、まだまだ油断できる状況ではないけれど、備忘録として書いていこうと思う。

***

2021年1月下旬。
TAFRO症候群の治療方針見直しのため、大学病院リウマチ膠原病内科病棟への入院が決まっていた。入院は4度目だった。

1度目の入院はちょうど180日間だった。
アクテムラと免疫抑制のネオーラル、そしてステロイド剤プレドニンの3つの薬が、父のTAFRO症候群治療のメインになり、無事に外来治療へと移行することができていた。

廃用症候群を起こし、一時は良くて車椅子生活か?とも思われたけれど、退院時には杖で歩行ができるまでに回復。リハビリもかなり頑張ったと先生方に褒めていただいた。まさかここまで回復できるなんて…娘の私は何度もスタッフさんたちの前で号泣し、その都度みんなを困らせていた。

その後、外来でのアクテムラ点滴の際、意識喪失が2回続き、このままアクテムラでの治療を続けるのは困難と判断されたのが2020年7月。それまでの経過を踏まえてアクテムラをケブザラ皮下注射に変えるための3週間の入院を経て、既に5ヶ月が経とうとしていた。

原因不明のみぞおちや背中の痛み、肝機能の低下、足の浮腫など次々と発生するいろんな良くない兆候を主治医のワイルド先生とともに乗り越えてきた。退院時48kgまで落ちてしまった体重も7ヶ月かけて10kg近く戻し、杖での足取りも軽快に。このままケブザラで現状を維持できれば…とかすかな希望を抱いていた矢先、今度は腎臓の機能が低下し、さらに血小板の数値が3.5万まで急激に低下。ケブザラでの治療も見直す必要が出てきたのだ。

入院初日にまさかのコロナ陽性

『(ケブザラに変える時の前回の入院よりも)今回はかかるかもしれないよ』
ワイルド先生は外来でそう父に話してくれた。

入院を告げられた日、父がちょっと肩を落としていたように見えた私は、

『今回も先生たちに任せれば大丈夫だよ!それに、入院していればコロナのリスクも減って私はちょっと安心だなぁ〜』

そう言って父を励ましたつもりだった。

今までは緊急入院だったから、手続きや手荷物の準備なども私が代わりにやるのが当たり前だった。その点今回は事前に入院日がわかっている。荷物をまとめる、書類にサインする、など初めて父自身に入院準備をしてもらうことにしていた。

そして入院当日の朝。
迎えに行った父の部屋には3つのバッグが鎮座していた。あえて中身は確認しなかったけど、父のことだからきっと「あれもこれも…」とまたたくさん詰め込んだのだろう。何も言わずにそのまま、車に積んで持って行くことにした。

病院に向かう車の中、助手席に座る父のマスク越しに聞こえる呼吸の音がいつもより大きいことに気づいた。

『お父さん、少し息が苦しい?』

『いや、うーん、そうかなぁ…』

なんとなくいつもと違う様子だったけれど、ちょっと前から風邪なのか乾燥なのか喉の違和感もあったし、何よりもう少しで入院。先生に診てもらえば大丈夫。そんな感覚だった。

病棟は相変わらず、感染防止のため家族は病室に入れない。食堂で入院手続きを済ませ、病棟受付で病室に向かう父とお別れ。「じゃあ」と軽く手を上げる父の後ろ姿に、これから1ヶ月超の入院をまた家族で支えていくからねと心の中で声をかけた。

***

15時頃、仕事中の私に父から着信が入る。

『酸素の値がちょっと低いんだって。いろいろ検査もしたんだけど、念のためインフルエンザとコロナの検査もしましょうってことで今、結果待ちなんだ。2,3時間で分かるって。コロナの検査、痛かったよ…』

『そっか、やっぱり痛かったんだ?検査結果早く分かるといいよねー』とサラッと返す。『大丈夫。先生たちに任せよう』そう父に言い聞かせるのも忘れない。

実際、その時はあまり深く考えていなかったように思う。入院時のスクリーニング検査、くらいに捉えていた。ただこういう時の父は大抵かなりの心配症モードだ。だからいつも安心してもらうために楽観的な言葉をかけるようにしている。

でも実はその心配、今までも結構な割合で当たってきてたんだよね…

そして、17時半過ぎに来た父からのLINEに目を疑う。

『コロナでした!』

え…まさか…嘘でしょう…???

『肺にハッキリ白い影が写っています』

通常の病棟に入院した患者がコロナ陽性だった。そのことだけでもきっと病棟内はバタバタだろう。父からの陽性結果LINE以降、こちらからの連絡は控えることにした。

大学病院は特定機能病院だけど、コロナ患者を受け入れているのかどうかまではわからなかった。転院しなければいけないのか?もし重症化したら?本来のTAFRO症候群の治療は?腎臓だって弱ってる…

それに、父が陽性ということは、娘の私は接触者?他の仲間は?取引先は?お客様は?職場はどうなる?

こういう時の人間の思考力ってすごい。父の容態から病院のこと、自分と関わる全ての人、いろんな角度で切り取った考えが次から次へと湧いてくる。

念のため、早めに仕事を切り上げて帰宅した。「万が一、自分がみんなにうつしてしまっていたら…」そんな怖い想定が頭から離れなかった。

***

19時前、病院から着信。
『長女さん、ご無沙汰しています。』
声の主は懐かしいスター先生だった。

スター先生は、本来の入院経緯からコロナの検査に至るまでの過程、今の現状まで事細かに、穏やかに説明をしてくれた。

先生の説明によるとこうだ。
入院時、採血をしにきた看護師さんが、父の呼吸の様子を見て酸素飽和度を測ると通常値よりも低かったことを報告。その段階で肺炎の可能性を疑い、レントゲンを撮ったところ肺に影が写っていたため、インフルエンザとコロナ両方の検査をするに至った、とのこと。

その後陽性が判明した段階で父は、別フロアにある「コロナ感染者専用病床」に移り、感染症専門医と呼吸器科の先生、そしてリウマチ膠原科がタッグを組んで治療に当たっている、と教えてくださった。

『発熱もないですし、ご本人が苦しがっている様子もあまり見られないんです。もしかするとこれまでのTAFRO症候群のお薬の影響で、症状が抑えられていた可能性も考えられます。ただ今は、酸素の値も低く、肺には白い影がかなりハッキリと写っているのでこれから1週間ほどは注意して診ていかなければいけないという状況です。まさかこんなことになるとは、という感じなのですが…』

ここからは感染症専門医に引き継ぎます、と言うスター先生にお礼の気持ちを伝え、よろしくお願いしますと電話口で頭を下げた。スター先生の「まさかこんなことに」という言葉がリフレインしていた。父は再びスター先生に診てもらうことができるのだろうか…

まだ、父とLINEでやり取りができていた。

「スター先生が電話をくれましたよ。安心して先生たちにお任せして、ひとまずゆっくり休もう!体は苦しくない?」

「大丈夫。わかりました!」

こんなやりとりをしながら、私は妹とも電話で話していた。父のコロナ陽性の結果に動揺を隠せずにいた私は、妹に気持ちを共有しながら、ぶっ飛びそうな自分の思考を落ち着かせる。そして話しているうちに妹もまた同じだということがわかった。

***

20時前、違う番号から着信。
市内局番が同じで下4ケタだけが微妙に違う番号は、大学病院の別の病棟だということがすぐにわかる。おそらく感染者病棟の先生からだ。

『お父さんの状態なのですが、今は鼻からの酸素投与で経過を観察しています。ただ、肺炎の状態は思ったよりも悪くてですね、このままだと明日にでも人工呼吸器を使うことになると思います。判断は今夜、もしくは明日になるかと』

『人工呼吸器を使うと、お話ができなくなります。それでも肺の機能が回復しない場合は、テレビ等でもおなじみかもしれませんがECMOという機械を使うことになります。これを使う前には通常、病院にお越しいただいて説明をするのですが、娘さんも濃厚接触ということなのですよね?保健所から連絡は来ましたか?』

矢継ぎ早にいろいろとお話しされる中、ひとつひとつ整理しながら話を受け入れて行く。スター先生は、父のコロナ陽性とともに入院時に付き添った家族の私を接触者として保健所に報告させてもらったと言っていた。

でも時間はすでに夜。
保健所からの連絡は翌日になるだろうと思っていたし、実際に来ていない旨を先生に伝える。

『わかりました。お電話での説明になるかもしれませんね。何かあった時には必ずご連絡しますので、お電話にはいつでも出られるようにお願いします』

また、だ。
『何かあったら』
このセリフを聞くのはもう何度目になるだろう。

でも今回ばかりは…本当にその「何か」の連絡が来ることになるのかもしれない。

***

妹に再び電話をかけて、先生の話を復唱して伝える。

『終わった、ね?』

説明を終えた自分の口から出た一言目に、自分で驚いた。コロナ病床の先生の話を聞いた時に、私はすでに「何か」が来ることを受け入れていたんだ。

これは覚悟なのだろうか、諦めなのだろうか。
命を諦める?死を受け入れる?
もう、何が何だかわからないけど、確かに私は「終わった」と思った。

『そうだね』
妹も同じ考えのようだった。
遠方に住む妹は、昨年ほとんど父と会えていない。このまま父と別れることになることを予感したそう。

そして、こう続けた。

『もしもお父さんの意識がなくなって、延命治療をするかどうかの局面になったら、私は望まない。でも最終的にはお父さんと長く一緒にいる姉に決めて欲しい』

死を受け入れる前には、そんな重大な選択を迫られることになるんだ…恥ずかしい話、妹からそう言われて初めて考えることになった。

私が、父の命の選択をする。
諦める?…それでいいの?…仕方ないよ?…でも…

その日の夜はほとんど寝られなかった。

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