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助け舟

ティーンの頃、「大人だよね」と言われることがあった。

年齢より幼くて汚く言えば"ガキっぽい"見た目の割には話が通るとか、考え方が達観してるとか、そういう印象を持ってもらったからなのかも、と当時思っていた。
けれど、実際そんなことはない。

人生のステージにおいて、僕はいつも何歩か、それなりに出遅れている。

小学生の頃、中学受験をした。
両親のすすめを受けて、周りよりも遅いタイミングで始めた。最初の頃、偏差値はグングン伸びたけど、半年もしたら伸び悩んだ。
成果が出ないことにしびれを切らした僕は、自宅での机に向かった時間の内、半分くらいを好きだった三国志の小説を読んで過ごしていた。
当然、第1志望の中学校にも第2志望の中学校にも合格しなかった。

中学に入っても、何か体育部に入ろうと思っていたけど、練習がきつそうで上下関係が厳しそうで、体験入部で断念した。少年野球でキャプテンをやっていたのに、中学で入った部活は科学部だった。

高校に上がり、理科っぽい部活の方が良いのかと思い、物理部に入部したものの、間もなく幽霊部員化し、半年持たずに辞めた。

大学に入学しても、サークルにも入らず、バイトも何個か転々とし、ふらふら東京ドームへ通ってライトスタンドで応援していた。

極めつけは、やりたい仕事が何なのか分からず、就活に全く身が入らず、訳の分からないアイデンティティ探しのため大学を半年間留年した。
そうして4.5年分のありったけの新卒カードを使って入った会社も全くそりが合わず、1年で退職した。

今振り返っても「こいつ大丈夫か?」と思う。
というか、多分大丈夫ではない。どこかしら人より遅れてる要因があるはず。
新卒の会社で潰れて、精神科で診てもらったら真っ先に発達障害を疑われたときにはちょっとした安堵すらあった。

周りより劣っていること、周りより上手く立ち回れなくて苦しいことに対して欲しかった理由が提示されて、それで安心してしまう程度には、僕は大人ではない。

周りと言っていることが違うことを上手いこと「大人だよね」とふわっとした表現に包んでくれているだけで、その実意味なんてないコミュニケーションの綾だ。


高校で部活を辞めて帰宅部だった頃、大学で誰とも話さずに一週間過ごしてしまった時、失業手当で生活していた頃、そういう時は大体、今後の人生全てに悲観していた気がする。

そりゃ悲観するだろうと今でも思う。
というか、そういう状況で憂鬱になって抑うつ状態にならないような人間なのであれば、僕はそれほど出遅れた人生を歩んでいない。
多分、僕一人の力では、何も切り開けない人生なんだと思う。


けれど、僕には何故かとてもとても運の良いことに、思ってもみない方向からいつも助け舟が来る。

中学受験は大失敗かと思いきや、適当に受けた1回だけ文化祭に行っただけの学校に受かってしまった。国語の問題が鬼のように難しくなっていたらしいが、たまたま国語だけはできた僕は運良く倍率6倍強の入試を突破した。
第1希望の学校より少しだけ偏差値は低かったけれど、自分の頭の出来を考えれば、かなり良い学校だったと思う。

 中学の部活は科学部だったが、そこで出会った同級生とは今でも時折酒を飲みながら屁理屈を言い合う仲になっている。今週末もサシで飲む。

高校で帰宅部になっていた頃に、その時めちゃくちゃ仲良くしていた友人に生徒会に誘ってもらった。週6で活動して正直社会人時代よりもキツかったけど、卒業までとてもエキサイティングな2年間を過ごせた。

大学ではふらふらしていた分、面白いバイトと仲間に出会えた。
忙しい時は月30日出勤するのが当たり前な不思議なバイトだったが、色んな大学の同級生の仲間ができた。今でもお悩み相談させてもらう大切な同期/先輩たちがたくさんいる。

仕事も大コケしてダメかと思いきや、適当に入った今の会社が意外と性に合っていた。
面接で、「お金が無いから働きに来ました。今すぐ働けます」とあけすけに言ってしまう労働者を採用する方もどうかと思っているけれど、現状それなりに評価してもらって、それなりに充実する仕事をさせてもらっている。


僕自信は全然良くないのに、何故か周りから助けてもらっている。
最終的には僕が選択している人生なので、僕がそれなりの選択肢をとれている証左でもあるとは自覚しつつも、それにしてもツイてる人生だと思う。
僕本来のスペックでは到底たどり着けない充実感を、この人生では得られているような気がする。

だからきっと、これから先何か不安になることがあっても、
「どうせ最後は幸せに死ぬんだろうな」
と思うことができる。


当然、今も不安は尽きない。
何か良くないことが起こるのではないかと常に不安になってしまう。
けれど、その度に助け舟がやってきて、それに飛び乗れた僕はそれほど捨てた人間でもないかもなと思える。

これからもきっと助け舟が来る。
来なかったらその時苦しもうの精神を胸に、運のいい人生を歩んでいきたい。

ぼやぼや、ちょっとずつ出遅れている間に、気付けばもう20代が終わる年がやってきてしまった。

心の中の僕は「焦れ、焦れ」と僕を急かしてくるけれど、僕の頭の中ではそれほど焦ってはいない。
人よりみっともない30歳でも、人よりダメそうな30歳でも、きっとどうにかなる。

正解は○年後!などとする必要はない。
今そう思うことこそが、見えない助け舟に向かって、大きく両手を振り回すことなんだと思う。

ちょっとだけ大人になったけれど、ちゃんと大人になれるように、今年も頑張ろう。

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